
もうすぐ二輪メディア歴50年を迎えるベテランライターが、日本におけるバイク黄金時代のアレコレを実体験と共に振り返る昭和郷愁伝。今回はあの熱き時代だったからこそ沼ってしまった愛車カスタムについて振り返ります。
●文:ヤングマシン編集部(牧田哲朗) ●写真:牧田哲朗/YM Archives
クールスの玉川さんにZ2カスタムを習う
バイク雑誌でメカ解説とメンテナンス記事をうん十年と書いてきた私でしたが、その知識の入り口には初愛車だったZ2カスタムがありました。遊びながら構造と機能と効能を学んだ感じかな。じゃあ、そのカスタム好きになるきっかけはというと、クールスで“マチャミ”と呼ばれていた玉川雅巳さん(故人)との出会いが大きかったね。
いまから約50年前、Z2乗りの大学生だった私はひょんなことから東映映画の仕事を手伝っておりました(詳しくはVol.2を読んでね)。ロケ先での休憩中、インナーに履いているモトクロブーツのベルトを締めている時、「モトクロやってるんすか?」と声を掛けてくれたのが玉川雅巳さんでした。「あっ、ふくらはぎが太いんで、こいつじゃないと入らないんです」と答えると、「なぁんだぁw」といきなり距離が縮まった。
クールスは舘ひろしさんや岩城滉一さんらが結成したバイクチーム(後にロックンロールバンド)で、矢沢永吉さんが率いたキャロルの解散コンサートで親衛隊を務めたことでも有名だよね。当時、撮影していた暴走族映画の主演は岩城滉一さんだったから、同じクールスの玉川雅巳さんも一緒に参加していたんだ。クールスはバイクから着るものまでオールブラックで統一してて、バイクにも無駄な装飾は一切無し。撮影所でも出待ちがいるぐらい女の子に人気だったけど、男でも惚れ惚れするほどかっこよかったなぁ。
この写真はロックンロールバンド“クールス”のCDジャケト。バイクチームも同じイメージで車体もファションも基本は黒で統一されていた。
で、その玉川さんもZ1乗りだから、「A7の純正ハンドルがちょっとタレがあっていい感じなんだよ」とか、「純正ステップを左右交換して組むと足に力入り易いよ」とかいろんなカスタム情報を教えてくれんだ。当時はまだバックステップなんて名称すらあまり知られていない時代。カスタムという行為が一般的ではなかったから、玉川さんの生情報はありがたかったね。
これは余談だけど、クールスの溜まり場だった原宿のスプレンドール(フランス&イタリア料理店)に連れて行ってもらったこともあった。当時の原宿はかっこいい大人の街で、近くの千疋屋パーラーには、アメリカンカークラブの坊っちゃんが集い、喫茶レオンには芸能人や文化人が集う。そんな時代の原宿を見て、かっこいいなぁと実感する10代の自分がいました。昭和のいい思い出です。
冒頭の写真と同じく、美しファイヤーボール外装を外し、映画撮影用に暴走族風とした我がZ2(この写真では一番右)。真ん中はホンダCBだが、同じく黒塗りでそれっぽくカスタムして数増し。走行映像では見事にカワサキに見えちゃうから不思議w
そうしてるうちに、興味はエンジンチューニングに発展。ヨシムラのZ2用ボアアップキット(860cc)の存在を知り、横浜にある○富オートに向かった。理由は練馬の自宅から一番近いヨシムラ取扱店だったから。行ってみてわかったのは、メカの○沢さんがZでレースをやっていて、自分で使いたいからヨシムラ製品の取り扱いを始めたとのこと。バイクを預けてワクワクの内に自宅に帰ると、さっきまで話していた○沢さんから電話がかかってきた。
「牧田くんのZ、店の前に置いといたら車に突っ込まれちゃってねぇ……」と、人生初の全損報告。
「どうせ直すならついでに色々やろうよ」とのことになり、当初は860ccへのボアアップだけだったのが、レーシングカムに強化バルブスプリング、ノーマルキャブの口径拡大、フロントダブルディスク化、ローターの肉薄加工、リヤサスをヨシムラS&Wと大作業に。その間にシリンダーヘッドを持ち帰り、自分でポート加工もやってみたりと、カスタム沼にズブズブと足を踏み入れていったのでした。
初めてのエンジン全バラがZ2
その完成から半年もしないうちに、「Z1のクランク注文するんだけど一緒にどう?」と○沢さんから次なるお誘い。たしか3万円ぐらいだったかなぁ。店のピットと工具を貸してやるから、自分でクランクの組み込みをやりなさいと。初めてのエンジン全バラがZ2ですよw。エンジンをひとりで運んでいたもので、ぎっくり腰になったというオマケももらいました。で、排気量は987ccのハイコンプ。キャブはヨシムラ・ミクニのスーパーキャブ。
どんな感じかというとトルクが凄かった。クラッチミートしてゆっくり走り出し、アクセルを一旦もどしてガバっと開けるだけで、あのロングホイールベースで重いZ2がそのままウイリーしてくれるほどでした。そのZ2では筑波のライセンスを取ってサーキット走行をしたり、映画やドラマの撮影に行ったり、はたまた気が向くと大学へも行ったりしてw。まぁ、この仕様でZ2は10年近く乗りました。
暴走族映画の撮影がない時はこんな感じでカフェレーサー仕様。紙焼き写真の変色で凄い色味になってますが、実際はカワサキワークスのカウルの破片を貰って塗装屋に調色してもらったライムグリーンでした。のちに本文で触れた改造をバリバリするのですが、残念ながらその写真は残ってませんでした。
時は進み、次なる愛車はスズキのGSX750E4に。すると、前出の○沢さんがまたもや悪魔の囁き。「ヨシムラにさ、シュワンツが乗ったスペアエンジンがあるんだけど、組まない?」。この頃の○沢さんは独立してショップをオープンし、親父さんに気に入られてヨシムラへもメカのヘルプで出張っていた頃でした。
ゴッドハンドによる、まさしく神パーツとの出会い。もちろん組みましたよ。ちなみに、このE4はリヤを18インチ化して前後ダイマグにロッキードのブレーキキャリパーなどなど、車体も当時のAMAスーパーバイクレプリカ的に大改造。詳しくはいえないけど、これも当然ながらメチャクチャ速かった。ただ、エンジンの慣らしで東名を走っていて、覆面(パトカー)を追い越しまったのは余計だったなぁ。
’85 年からヨシムラの契約ライダーとなったケビン・シュワンツがまず乗ったのがGSX750Eのスーパーバイクレーサー。ライバル勢に対し不利なマシンだったけど、デビューイヤーで通算3勝はお見事。まさか、このシュワンツのスペアエンジンを自分のE4に組むことになるとは……。
のちの東京オートサロンではカスタム車で金賞をいただいた
さらに時は進み、時代は平成。いい歳になった頃、愛車はハーレーのパパサン(スポーツスター883)に落ち着いた。じゃあ、カスタム熱も落ち着いていたのかというとそうじゃないw。まず、ドラッグレース用のパーツをベースにボアアップだけで排気量を1460ccまで拡大し、カム、バルブスプリング、コンロッド、シリンダーヘッド、FCRキャブ、点火、スーパートラップと大暴れ。最後にはアルミスイングアームを組み込んでたね……。
完全に余談ながら、1980年代にはクルマのカスタムにもはまり込み、ルノー・アルピーヌA310Aもフルチューン。FRPボディもワンオフ制作してもらい、某誌主催の晴海のショー(現・東京オートサロン)で金賞をもらい、賞金とマカオGPご招待を頂いたこともあった。
昭和の後半は、日本経済の勢いは半端なく、国内のモータリゼーションの熱量も最高潮の時代。当時の日本男子といえば、高校生以降は湯水の如く愛車に大枚を注ぐのが当たり前だったわけで(言い訳)、私の場合はカスタムによって蓄積した知識で仕事を得ていたわけで(言い訳)、いま考えればカスタムに明け暮れた日々はいい思い出だね。……ただ、後から計算してみたら、カスタムの泥沼に費やした総額で、マンションが買えたかもしれないんだよね。これはカミサンには黙っておこう。
アルピーヌA310のカスタムにも狂いました。元々がFRPボディの車両ですが、それを全部ワンオフのグループ5仕様作り変えてます。細かい所では、エンケイのスペシャルホイールに日本で売ってなかったコルベットZR用のヨコハマを履かせてたり。
当時OPTION誌が開催していた第4回・東京オートサロン(※当時は東京エキサイティングカーショー)では見事グランプリ受賞という快挙も(オプション誌’86年3月号より)。
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
最新の関連記事(名車/旧車/絶版車)
2025年モデル概要:渋系のダークカラーにメタリックの輝きも XSR125は、可変バルブシステム=VVAを採用した水冷単気筒エンジンをスチール製デルタボックスフレームに搭載し、倒立フロントフォークやア[…]
スズキGSX-R:斬新かつ孤高のネーム、走りもケタ違い 1983年は、世界耐久や鈴鹿8耐でスズキの耐久レーサーGS1000Rが旋風を巻き起こした。 その年の暮れ、晴海で開催された東京モーターショーに、[…]
非Vツインから始まった、日本メーカー製のアメリカンモデル 1969年に公開されたアメリカ映画「イージーライダー」に登場するハーレーダビッドソンのカスタムチョッパーに影響を受け、長めのフロントフォークと[…]
2ストローク3気筒サウンドと他にない個性で1982年まで販売! 1969年にカワサキは世界進出への先駆けとして、250ccのA1や350ccのA7を発展させた2ストロークで、何と3気筒の500ccマシ[…]
ホンダの“R”だ! 可変バルブだ‼ 1980年代に入ると、市販車400ccをベースにしたTT-F3やSS400といった敷居の低いプロダクションレースの人気が高まってきた。 ベース車として空冷直4のCB[…]
最新の関連記事(カワサキ [KAWASAKI])
2ストローク3気筒サウンドと他にない個性で1982年まで販売! 1969年にカワサキは世界進出への先駆けとして、250ccのA1や350ccのA7を発展させた2ストロークで、何と3気筒の500ccマシ[…]
2025年モデル概要:インパクト大なシリーズ初カラー カムシャフトの駆動にベベルギヤを用いた、美しい外観の空冷バーチカルツインエンジンを搭載。360度クランクによる鼓動感や等間隔爆発ならではの整ったエ[…]
2021年モデル概要:快適装備と電子制御を採用し乗りやすさも実現 大人気モデル・Z900RSのベース車両としても知られるZ900。カワサキの2021年ラインナップモデルが軒並み搭載してきたスマートフォ[…]
現代の耐久レーサーはヘッドライト付きのスーパーバイクだが…… 近年の耐久レーサーは、パッと見ではスプリント用のスーパーバイクレーサーと同様である。もちろん細部に目を凝らせば、耐久ならではの機構が随処に[…]
高回転&高出力主義の権化 250クラスでも高性能な直4を望む声が高まっていた’80年代前半、スズキが世界初の250cc水冷直4エンジンを搭載した量産車、GS250FWを投入。以降、ヤマハ、ホンダが追随[…]
人気記事ランキング(全体)
エイトボール! 王道ネイキッド路線への参入予告か スズキがグローバルサイトでティーザーらしき予告画像を公開した。ビリヤードの8番玉の横には『SAVE THE DATE 4TH JULY』とあり、7月4[…]
新進気鋭のクルーザー専業ブランドから日本市場に刺客! 成長著しい中国ブランドから、またしても新顔が日本市場にお目見えしそうだ。輸入を手掛けることになるウイングフット(東京都足立区)が「導入ほぼ確定」と[…]
静かに全身冷却&最長10時間のひんやり感を実現 ライディングジャケットのインナーとしても使えそうな『PowerArQ Cooling Vest』。その特長は、ファンやブロワー、ペルチェ式ヒートシンクを[…]
なぜ「モンキーレンチ」って呼ぶのでしょうか? そういえば、筆者が幼いころに一番最初の覚えた工具の名前でもあります。最初は「なんでモンキーっていうの?」って親に聞いたけども「昔から決まっていることなんだ[…]
供給不足解消に向け、スズキもかなり「がんばってます」 ジムニーノマドは、2025年1月30日の発表からわずか4日間で約5万台もの受注を獲得し、注文受付が一時停止に追い込まれるなど、国産車としては異例と[…]
最新の投稿記事(全体)
2025年モデル概要:渋系のダークカラーにメタリックの輝きも XSR125は、可変バルブシステム=VVAを採用した水冷単気筒エンジンをスチール製デルタボックスフレームに搭載し、倒立フロントフォークやア[…]
購入前に読みたい2025ヤマハMT-07関連記事3選 ヤマハの新型「MT-07」が、フレーム設計から見直され、大幅な進化を遂げて2025年モデルとして登場。その概要やスイングアームのこだわり、Y-AM[…]
カバーじゃない! 鉄製12Lタンクを搭載 おぉっ! モンキー125をベースにした「ゴリラ125」って多くのユーザーが欲しがってたヤツじゃん! タイの特派員より送られてきた画像には、まごうことなきゴリラ[…]
排気量“500cc”バイクの魅力って? Hondaがラインアップする人気シリーズ「レブル」&「CL」シリーズ。 中でも、レブル250とCL250は幅広い層に人気を集めていて、街中やツーリング先でもとて[…]
スマートフォン連携でバッテリー管理が劇的に進化! 名古屋市に本社を置く株式会社SECONDが、LEADMAX-JAPANとの販売代理店契約を締結。2025年7月1日より、日本初上陸となるモーターサイク[…]
- 1
- 2