
1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第134回は、年末年始を過ごしたケニー・ロバーツ家から往年のWGPに想いを馳せます。
Text: Go TAKAHASHI Photo: YM Archives
チーム・ロバーツの誘いを断った唯一のライダー
年末年始に5泊6日でお邪魔した、アメリカ・アリゾナ州のケニー・ロバーツさんの家。家族ぐるみで仲良くさせてもらっていますが、実は僕、現役時代にケニーさんが監督を務めるチーム・ロバーツの誘いを断った唯一のライダー、と言われています(笑)。
ヤマハからアプリリアに移籍した’97年、イギリスのドニントンパークでケニーさんに「ちょっと話がある」と呼ばれました。トレーラーに行って話を聞くと、「ウチで500ccクラスを走らないか?」というオファーでした。「ありがたい話ですが、お断りします」と即答しました。
チーム・ロバーツは、四輪F1のエンジニア、トム・ウォーキンショーのサポートを受けて独自開発した、KR3という3気筒エンジンの500ccマシンを走らせていました。それはちょっと興味があったけど、当時の僕はアプリリアに移籍したばかり。250ccクラスでもう1度チャンピオンを取りたかったんです。
その後ケニーさんは’07年までチームを運営していましたが、それきりオファーはありませんでした(笑)。でも’02年に僕が現役引退した後も何かと声をかけてくれて、今でも家族ぐるみのお付き合いが続いています。
ケニーさんは「キング・ケニー」なんて呼ばれていますよね。誰が言い出したのか僕は知りませんが、まさにキング。素晴らしいニックネームです(笑)。グランプリの世界にいろいろ新しい風を吹き込ませたこと、普段からの振る舞い、発言力の高さと言っている内容の重み、そして3年連続でGP500でチャンピオンになったこと……。どこからどう見てもキングと呼ぶしかありません。
Kenny Roberts/1951年12月31日生まれ アメリカ出身 ヒザ擦りハングオフを筆頭に、スリックタイヤの導入など現代のロードレースで一般的となったライディングスタイルを確立したのがケニー・ロバーツだ。AMA(全米モーターサイクル協会)グランドナショナル選手権において’73年当時で史上最年少の21歳でチャンピオンとなった成績を皮切りに、デイトナ200マイルレースで3度の優勝(’78年、’83年、’84年)のほか、WGP500でもデビュー後3年連続チャンピオンという偉業を達成し、日本でもケニー・ロバーツのファンになったライダーは多い。’83年のWGPはフレディ・スペンサーの台頭により激闘を繰り広げ、2ポイントの差で2位に甘んじ、その後WGP引退を宣言。以降はチーム監督や後進を育てる指導者として手腕を発揮している。
今や少し耳が遠くなったりして、僕の娘たちからすると「いいおじいちゃん」。すぐ裸になりたがるし、気温が低くてめちゃくちゃ寒い朝なのに「ジャグジーに入るぞ!」と無茶ぶりをしたりと、イマイチ現役当時の凄さが分かりにくくなってきた感はありますが(笑)、やっぱり偉大なキング。僕は心から尊敬できます。
前回のコラムにも書きましたが、ケニー家でのバースデーパーティ&新年会には、エディさん(編註:エディ・ローソン。世界GP500チャンピオンを4度獲得)、ジュニア(編註:ケニー・ロバーツ・ジュニア。’00年世界GP500チャンピオン)、ババさん(編註:ババ・ショバート。’85〜’87年のAMAグランドナショナル・ダートトラックで3年連続チャンピオン獲得。’88年AMAスーパーバイクチャンピオン。世界GPにも参戦)といったレジェンドたちが集結しました。
僕も250ccクラスではありますが世界チャンピオンということで、そういう場にいられるだけでも幸せだし、みんなが仲良くしてくれるのも信じられないぐらいありがたいことです。
ケニーさんの場合は、奥さんが日本人ということもあって、僕にも良くしてくれているのかもしれません。でも、偉大なレジェンドたちの中に入れてもらえるのは、「少しは僕のことを認めてくれているのかな」と。「レースはつらいことばかりだったけど、頑張ってきてよかったなぁ……」とつくづく思います。
だって、輪の中にはエディさんもいるんですよ!? 僕は若い頃あまり世界グランプリに興味はありませんでしたが、エディさんのことはよく知っていて、乗り方が大好きでした。僕の現役時代も、「エディさんのように、めちゃくちゃスムーズにバイクを走らせたいな」と、憧れていたんです。
Eddie Ray Lawson/1958年3月11日生まれ アメリカ出身 ロサンゼルスの近郊・アップランド生まれのエディ・ローソンは7歳からミニバイクレースに慣れ親しみ、ダートトラックなども経験。21歳でAMA(全米モーターサイクル協会)の250クラスでランキング3位の成績を残す。翌年の’80年からカワサキでAMAスーパーバイクに参戦し、’81年と’82年にAMAスーパーバイク王者に登りつめた。また’81年はWGP250クラスの西ドイツ戦でGP初デビューを飾り、イタリア戦とフランス戦のスポット出場で貴重なGPの経験を積む。’83年からはWGP500クラスに参戦し続け、’92年の引退までに4度のシリーズタイトルを獲得した名ライダーとして、今なお根強い人気がある。
今もたまに「原田さんの走りは、エディさんに似てますね」と言われると、「そ、そう……?」とうれしくなります(笑)。でも、実は1番好きだったのはバリーさん(編註:バリー・シーン。’76〜’77年の世界GP500で2年連続チャンピオン獲得)でした。バリーさんは、とにかくカッコいいんだよな~!
昔のグランプリにはそういう偉大なレジェンドたちがたくさんいますが、その中でもやっぱりケニーさんはキング。会って話せば誰でもファンになってしまう人柄と器の大きさは、73歳になった今もまったく変わりません。
「あのヤングボーイは速くなるぞ」と言われて
実は僕がヤマハの契約ライダーになって最初の「業務」は、当時のケニーさんが持っていたランチ(牧場)内のダートコースで、ダートトラックのトレーニングをすることでした。
ヤマハのライダーたち数名で行ったんですが、ケニーさんはその時のことを鮮明に覚えているんだとか。引率していたヤマハの関係者に、僕を指して「あのヤングボーイは速くなるぞ」と言っていたそうなんです。
でも僕は他のライダーに比べて全然速くなかった。しかも遅いだけじゃなくて、ダートトラック自体に全然ピンと来るものがなかったんです。「難しいな……。どうやったら無駄に滑らせず、前に進めるんだろう」と、頭を抱えていました。土の上ではバイクが横に滑ってしまい、ちっとも前進しないんです。
その時は、確かウェインさん(編註:ウェイン・レイニー。’90〜’92年の世界GP500で3年連続チャンピオン獲得)も来ていたし、日本からは本間利彦さんや永井康友さんといった凄い先輩たちも一緒でした。みんな速いわ上手だわで、僕は完全に置いてけぼりでした。
ただ、ダートトラックでトレーニングしながら、自分なりに「コーナーの進入で頑張りすぎると、向きが変わらず立ち上がれないぞ」とか、「ちゃんとスピードを落とすことが、ちゃんと加速できることにつながるんだな」とか、ちょっと分かったことはありました。でも、それぐらいのことです。
だから当時ケニーさんが言った「速くなるヤングボーイ」は、絶対僕のことじゃないと思うんです。今でもそこは疑っていて、ケニーさんに会うたびに尋ねるんですが、毎回「いや、間違いなくテツヤのことだ」と言い張るんですよね(笑)。
自分では、速くも上手くもなかった僕を見て、なぜケニーさんがそう言ったのかはさっぱり分かりません。本人も「テツヤのことだ」と言い張りながらも、当時のことはよくは覚えていないでしょう。でも、おかげでさまで僕も世界チャンピオンになれたわけですから、ケニーさんには先見の明があった、と言えるのかもしれません。やっぱり、ケニーさんはキングなんです。
【おまけ動画】2ストのモンスターマシン「YZR750」をケニー・ロバーツが駆る!
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
最新の関連記事([連載] 元世界GP王者・原田哲也のバイクトーク)
実は独走状態が嫌いだった?原田哲也が明かす意外なレース展開 現役時代、僕は「クールデビル」と呼ばれ、「冷静沈着な男」と見られていたようですが、本人としては「こんなに熱いのに、なぜ!?」と思っていました[…]
ウサギとカメの王座争い。0点を抑えてポイントを稼ぐマルティンの強さ 第13戦アラゴンGPと第14戦サンマリノGPを欠場した小椋藍選手(SuperFile Trackhouse MotoGP Team)[…]
アラゴンGPで圧倒的な強さを見せて完全復活を果たしたマルク・マルケス選手。自身の好調さを証明しつつも、実は怪我で離脱中の小椋藍を密かにライバル視している。完全復活を遂げた王者が、若き挑戦者との直接対決[…]
欠場も焦る必要なし!年間最多レース時代に求められる戦い方 MotoGP第12戦イギリスGPで、小椋藍選手(SuperFile Trackhouse MotoGP Team)が転倒、リタイヤを喫しました[…]
タイヤの負担を抑える、正統派ライディングスタイルで勝利を獲得 MotoGP第10戦オランダGPで、ついに小椋藍選手(SuperFile Trackhouse MotoGP Team)が優勝しましたね![…]
最新の関連記事(モトGP)
新たなトレンド“ 足出し”とマシンに合わせた固執しないフォーム ロードレースが大転換を迎えた2000年代。頂点クラスは長く続いた2スト500㏄から4スト990 ㏄ のMotoGPに変わった。初年の20[…]
ハーレーが仕掛ける異色の世界選手権 ハーレーダビッドソンは2024年から3年連続で、MotoGP日本グランプリに出展している。世界最高峰のロードレースに、なぜハーレーが? そもそもMotoGPのレース[…]
開けやすさや姿勢コントロールで安定したコーナリングを追及 80年代のGPシーンはラジアルタイヤの登場やアルミフレームなど様々な方向性でマシンが変革。またライディングフォームもハングオフが一般化したとは[…]
リーンウィズからハングオフへコーナリングフォームの大変革期 ロードレース世界選手権、いわゆるWGPが初開催されたのは1949年。現在も有名な欧州メーカーに加え、今は無きメーカーも多数参戦してしのぎを削[…]
フレディのヒザ擦りに沸くも80sライダーは個性派揃い!! ケニー・ロバーツによって確立された“ハングオフ”は、瞬く間にGPシーンに浸透。イン側のヒザを路面に擦るシーンも目にするようになったが、ロバーツ[…]
人気記事ランキング(全体)
Rebel 250(レブル250)のエンジンが予想以上…… 今や250ccクラスのバイクにおいてナンバーワンの人気車と言っても過言ではないRebel 250。ノーマルの時点から既にカスタムされているよ[…]
スズキ「ジクサー / ジクサーSF」155ccシリーズが新グラフィックに更新 スズキのインド現地法人は155cc単気筒エンジンを搭載するロードスポーツ「ジクサー」ならびにフルカウルの「ジクサーSF」に[…]
SV650/Xが絶版後も評価され続ける理由 スズキのミドルクラスを長年支え、2025年1月発売モデルをもって新規受注を終了した「SV650/X」だが、生産終了後もその価値は色褪せていない。1999年の[…]
ベースは2009年グッドデザイン賞を受賞した伝説の名作「Y-350」 今回デイトナがタッグを組んだ東洋スチールといえば、国内シェア7割を超えるまさに金属工具箱の絶対王者。 ベースモデルに選ばれたのは、[…]
現地で予約開始! 501cc空油冷単気筒「CB500」のメカニズム ホンダは2026年7月24日にインドで世界初公開した新型モデル「CB500」について、同年9月21日に現地価格を公表し、予約受付を開[…]
最新の投稿記事(全体)
新色「グラススパークルブラック×メタリックオーオートグレー」が魅せる 2026年型ジクサー250シリーズのラインナップ構成は、マッスルなネイキッドスタイル「ジクサー250」と、エアロダイナミクスを追求[…]
アドテックとKGモーターズが業務提携! 超小型EV「ミボット」量産とSDV進化を加速 次世代モビリティスタートアップのKGモーターズは2026年10月8日、株式会社アドテックとの間でミニカー規格の1人[…]
125年のヘリテージを「現代の走り」へ昇華!アニバーサリーな空間 会場となったバイパラに一歩足を踏み入れると、目に飛び込んでくるのは「125th Anniversary」の特大フラッグと、歴史を彩るヒ[…]
「秋の激しい寒暖差を乗り切る」WORKMANフェアが全1,111店舗で開催 周期的な雨や急激な気温低下、そして晴天時の朝晩と日中における大きな気温差など、秋の気候はライダーにとって極めて過酷だ。寒暖差[…]
MotoGP™直系の安全性能と快適性。ベースモデル「K1 S」が持つ圧倒的魅力 今回コラボレーションのベースとして選ばれたのは、AGVのラインナップにおいて高い人気を誇るベストセラーモデル「K1 S」[…]
- 1
- 2












































