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ホンダNSR250R[名車レビュー] 1988モデルは2スト究極の頂点。他を圧倒した凄まじい“復讐パワー”

1988 ホンダNSR250R SP

●文:ライドハイ編集部(根本健)

きっかけはNR500の敗退。2スト最後発の歴史に残る突撃ぶり

1980年代の2ストレプリカ時代を知るファンにとっては、1988年式ホンダNSR250Rといえば、史上最強の2スト市販公道マシンに位置づけられる頂点マシンだろう。

その完成度の高さ、それも他を圧倒して寄せ付けない圧倒的な強さとパーフェクトさを得るまで、まっしぐらに駆け抜けた開発スピードの凄まじさが語り草でもある。

そもそものきっかけは、ホンダが1978年に世界GPへの復帰を宣言して、翌1979シーズン終盤から走り出したNR500にある。

1979 ホンダNR500/CR250R/NS500

(写真上)1979 ホンダNR500(V4 32バルブ) (下)ホンダCR250R/1983 ホンダNS500(3気筒)

当時の世界GP頂点は500ccクラス。2ストローク4気筒のヤマハYZR500やスズキRGΓが凌ぎを削っていた。それに対してホンダは、かつて1960年代にもそうであったように、シンプルな構造でパワーを稼ぎやすい2ストロークではなく、高度なメカニズムを駆使した技術力で闘う4ストロークで挑戦しようとしたのだ。

しかし、2万rpm回しても通常のバルブ面積では2ストパワーに追いつかない。そこで捻り出したのが、気筒あたり吸気4本と排気4本の8バルブを収めるオーバルピストンだった。

ただ、2シーズンとちょっとを経ても、2スト勢に追いつかない。

そこでまずは勝利を狙い、ついに2スト化を決意。ただ当時のホンダには、1974年のエルシノアという2スト単気筒モトクロッサーに端を発したCR125/250Rのレッドホンダモトクロスマシンしかノウハウがない。

そこでホンダはこの経験から、トップスピードを狙わずコンパクトでダッシュ力があって、トラクションの塊のようなマシンをほぼ1年で開発。それは4気筒ではなくモトクロスのノウハウを活かせる3気筒で、V型にシリンダー配列することで350ccクラス並みのコンパクトさを狙っていた。

このNS500はデビュー年からトップ争いに加わるポテンシャルを発揮、その手応えとノウハウから4気筒NSR500が誕生、歴史に残る快進撃が始まったのだ。

急遽開発した2スト250レプリカ3気筒は惨憺たる結果に

その頃はすでに、ヤマハRZ250でGPマシンのイメージをフィーチャーしたハイパー2スト250がブームに。ホンダは世界GP復帰後に2スト参戦も始めたことから、NS500と同じV型3気筒(ワークスマシンは前1気筒後ろ2気筒なのに対し、市販車は前2気筒で後ろ1気筒のレイアウト)のMVX250Fを開発した。

しかし、2ストロークで市販スポーツの歴史が皆無なことから、焼き付きなどの初歩的トラブル続出で、手堅いV型2気筒のNS250Rと交替を余儀なくされた……

※本記事は2022年7月8日公開記事を再編集したものです。※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。