僕(筆者・MIGLIOREディレクター)が、今夏『もて耐』に参戦しよう! と思ったのは、齋藤さんの「俺はもう一度『もて耐』に出るぞ」という一言があったから。その時、69歳の齋藤さんの目はとても輝いていたし、齋藤さんのバイクへの取り組みやモチベーションの高め方は憧れすら感じさせられる素敵さに満ちている。そして灼熱の『もて耐』で、齋藤さんは後輩たちに背中を見せ続けた。それは、その場にいる全員が納得するような、なんともいえない大きな背中だった。
●文:ミリオーレ編集部(小川勤) ●写真:安井宏光、佐藤洋 ●外部リンク:ケイファクトリー
齋藤昇司(さいとう・しょうじ)/1953年生まれ。高校生の時にモトクロスに没頭。その頃からカワサキのテストライダーに憧れ、高校卒業後の1972年、新卒でカワサキに入社。1970年代はオフロードやモトクロスを中心にバイクを開発。1980年代に入るとロードバイクの開発がメインになり、1990〜2000年代の空前のフラッグシップブームを牽引。最後に担当した市販車はニンジャZX-12R。その後はテストライダーチームの取りまとめを担当しつつ、様々なバイクの試乗を続けた。現在はケイファクトリーのテストライダーを務める。
⚫︎『カワサキ一筋48年! 元カワサキテストライダー齋藤昇司さんがケイファクトリーのデモ車開発に参画』の記事は>>こちら
69歳(8月の誕生日で70歳に!)の齋藤さんが『もて耐』完走!
「あー、気持ちよかったぁ〜」。チェッカーを受け、ホームストレートにゼッケン38のカワサキNinja ZX-25Rを止め、ヘルメットを脱いだ齋藤昇司さんの第一声である。西陽が斉藤さんの満面の笑顔をさらに輝かせる。少しZX-25Rに跨ったままレースの余韻に浸りながら水を飲んだあと、斉藤さんはピットに戻っていった。その足取りはとても軽く、カワサキのリバーマークを背負った大きな背中は達成感に満ちていた。
元カワサキのテストライダーである齋藤さんは、カワサキ現役のテストライダーやデザイナー、若手エンジニアの有志に混ざって『チーム38レジェンド』として、7時間を走り切る『もて耐』2023に参戦。齋藤さんがZX-25Rで『もて耐』に参戦するのは、2021年以来2回目のこと。
7月末の週末、モビリティリゾートもてぎは天気に恵まれたが、強烈な暑さと湿度の渦中にあった。体力的にも厳しいコンディションではあったが、『チーム38レジェンド』は、いくつかのトラブルに見舞われたものの、41位で完走した。
同ピットには僕が結成したZX-25Rで参戦する『カワサキ チーム31』が入り、監督にカワサキモータースジャパンの桐野英子社長を召喚。ライダーに元世界GPチャンピオンの原田哲也さん、元アジアロードチャンピオンで現在はトリックスターに勤務する山本剛大さん、マジカルレーシング代表の蛭田貢さん(71歳)、モトサロン代表の岡正人さんを要し、42位で完走となった。
チェッカー後に最終スティントを走った69歳の齋藤さんと、『カワサキ チーム31』の71歳の蛭田さんが健闘を称え合う姿は、改めてレースの楽しさを思わせてくれたし、みんなにスポーツライディングはいくつになっても楽しめることを証明してくれた。
レジェンドたちの笑顔を見た誰もが「『もて耐』に出てよかった」と思ったに違いない。レースというと勝つことや速く走ることが命題になるが、それ以外の楽しみ方もあるのだ。そして、『チーム38レジェンド』と『カワサキ チーム31』はこの感動のためにチームを作り、マシンを作り、レースに挑んだのである
「最後、蛭田さんを見つけて少しだけ一緒に走ったんだ。まあ、ストレートで抜いたけどなぁ」と齋藤さんは笑う。実は齋藤さんは、この前のスティントのヘアピンでオーバーラン、グラベルでマシンを倒してしまった。「転ばないでくださいよ〜」と僕が言うと「転んでない。倒れただけ(笑)。1台ブレーキングで入ってきたから負けられんと思って……コースアウトしたらフロントを取られて、立ちゴケ」と少しだけ砂埃がついたツナギを着たまま齋藤さんは目を細める。「小川さん、もっと言ってください」と、その場にいた桐野社長は苦笑い。皆に心配されるものの、やはり根っからのライダーなのだ。
実はチーム38の発起人でもある齋藤さん。『38』の意味とは?
「カワサキらしさをとくに先輩から継承されたことはないなぁ。先輩の背中を見てとにかく走り回ってきた」 決勝後、以前、齋藤さんから聞いたこの言葉が頭をよぎった。『チーム38レジェンド』を取りまとめる長身&アフロヘアが印象的な現役テストライダーの山下繁さんは、齋藤さんの背中を見て育った1人。チーム38として、Ninja H2Rで挑んだボンネビル最高速アタックはいまだ記憶に新しい。
『チーム38レジェンド』を見ていると、齋藤さんの背中を見て山下さんはカワサキらしさを学び、そして今は山下さんの背中を見て若いメンバーは色々と学んでいるような気がした。まさしく今回の『もて耐』参戦も、次の世代に背中を見せる一環なのだと思った。これこそがチーム38のあり方だし、脈々と継承されているカワサキらしさだと感じずにいられない。
そもそもチーム38は齋藤さんが同期の神宮さんと1975年に結成した社内チーム。モトクロスチームとして発足し、ロードレースは76年に鈴鹿6時間耐久に参戦。80年頃からはロードレースの活動が増えるが、85年にチームグリーンのロード部門ができたため、チーム38メンバーはチームグリーンへ移動し、チーム38は活動を休止。しかし、95年頃に山下さんがチーム38としてロードチームを再開し、現在も活動を続けている。
ちなみに『38』とは、明石にある本社の建屋の実験ブロックナンバー。齋藤さんがカワサキに入社した1972年に38工場という、開発をするための建屋が新しくでき、そこから取ったものだ。その38工場は現在も開発部隊の基地として残っている。
齋藤さんは81年の鈴鹿4耐や82年の鈴鹿8耐(雨で6耐に)にメカニックとして同行していたが、鈴鹿サーキットの盛り上がりと観客の多さに『俺も走りたい』と思い奮起。それまでロードレースの経験はなかったものの、ライセンスを取得し、83年から85年まで鈴鹿8耐にも参戦している。
ロードレースはこの3年でキッパリと辞めた齋藤さんは、その後カワサキの空前のフラッグシップブームを牽引していくのである。
「もちろん鈴鹿8耐に参戦するまでも、当時カワサキの開発拠点だった FISCO(富士スピードウェイ)なんかで腕を磨いていた。Z1000Rとかで徳野政樹さんの背中をよく追いかけていた。あの頃は徳野さんがピカイチで速かった。カワサキの社員からホンダワークスライダーになったんだからすごい時代だった。その後、レースをしたことで色々なことが勉強になったなぁ。テクニックはもちろん、セッティング能力や、良い/悪いの見極めもね」と齋藤さん。
カワサキテストライダー引退後にツナギを新調。まだまだスポーツライディングを楽しむ
3年ほど前に齋藤さんと久しぶりに再会したときに「今、新しいツナギを作っているんだ。カワサキのリバーマークを入れてね」と齋藤さんは嬉しそうに話してくれた。新しいツナギができた時も嬉しそうに見せてくれた。人生をカワサキに捧げる齋藤さんのカワサキ愛は引退後も少しも変わらない。
実は齋藤さんがモビリティランドもてぎを走るのは2021年が初めてのことだった、そして2021年の『もて耐』が1985年の鈴鹿8耐以来のロードレースだというから驚く。「山下が誘ってくれたんだ。こんな爺さんを。でも嬉しかったなぁ。山下は入社した時から見てきた。俺の部下でね。最初は負けなかったんだけどすぐに速くなったなぁ。山下はチーム38を復活させて、NK4や鈴鹿8耐にも参戦。ボンネビルも走った。本当に好きだなぁ」と齋藤さん。
そんな話を聞いていると、背中を見せるカワサキテストライダーの系譜にチーム38は必須なのだと思う。レースに限った話ではないが、走る機会を増やせば背中を見せる機会は増える。メーカーのテストライダーチームがこんな風に堂々と『もて耐』を走っていたのは当然『チーム38レジェンド』だけである。
「2021年は2分30秒に届かなかったなぁ。身体にセンサーが付いているかのように、年齢とともに(バイクを)倒せなくなるんだよ。俺は50歳を過ぎたくらいから攻め込めなくなり、バンク角が浅くなっていくのを感じたなぁ。ただ、走り込めば25秒くらいはいくかなぁ」と齋藤さん。今回は27秒台でしっかり周回。もてぎのコースとZX-25Rにまだまだ順応しているのである。「気持ちはいつだって全開。あとはボチボチ走り続けたい」と齋藤さんは笑う。正直、走り写真を見ている限り、バンク角が浅いとも思えないが、昔は相当イケイケだったのだろう……。
カッコいい先輩ライダーの背中を見続けたい!
もうすぐ49歳になる僕は、たまに「いつまでサーキットを走れるのだろう?」と思うことはある。しかし齋藤さんや僕のチームメイトであるマジカルレーシングの71歳の蛭田さんを見ていると、それすら愚問に思えてくる。20年前に言われた「小川、50歳になったら大人になると思ってるだろ。ならんぞ」という蛭田さんの言葉もなんとなくわかってきた。そこには本当に大人にならなくて良いということではなく、とても深い意味が込められているはずだし、蛭田さんや齋藤さんのような大人になれたら最高にカッコいいだろうなぁと思う。
今回、2人の笑顔を見て、背中を見て、バイクを謳歌するその姿を見て、その憧れはさらに大きくなった。今夏の思い出は、僕自身のバイクライフに大きな波紋をもたらしてくれたように思う。その波はどこまでも大きく、いまも止むことがない。
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