●文:ヤングマシン編集部(高橋剛) ●写真: 編集部/TSR/EWC Official/Honda
「やっぱり”世界一”ってのは違うね」 F.C.C. TSR Honda France総監督・藤井正和氏は笑った。一度味わってしまった美酒の味は、もう決して忘れることはできない。再び、あの場所に立つ。そのためにすべてを投じる。それが藤井氏の生きざまだ。〈インタビュー前編〉
“鈴鹿8耐開催中止”に日本という国の姿を見る
’20年を迎えるにあたり、TSRの事業計画には新型コロナ禍の”コ”の字もなかった。多くの企業、多くの人々と同じように、国内のトップレーシングチームも、新型コロナ禍などまったく予期していなかったのだ。
しかしそれは、日本とヨーロッパを拠点として世界耐久選手権(EWC)に参戦するF.C.C. TSR Honda Franceに対し、情け容赦なく襲いかかった。チーム総監督・藤井正和氏の’20年春のブログには、資金繰りなど生々しい話題がたびたび綴られた。情熱や根性ではいかんともしがたい”レースの現実”だった。
TSRは、三重県鈴鹿市を本拠地とし、レース活動を始めオリジナルパーツの製造/販売など手がけている企業だ。あらゆる事業と同じように、あるいはそれ以上に、レース活動には巨額の資金が必要となる。新型コロナ禍に巻き込まれたTSRは、企業体としての存続を迫られた。
そもそも、EWC自体が新型コロナ禍に翻弄されていた。近年のEWCは、年をまたいでシーズンが設定されている。
今季は当初、’19年9月21〜22日のボルドール24時間を皮切りに、12月14日のセパン8時間、年が変わり’20年4月18〜19日のルマン24時間、6月6日のオッシャスレーベン8時間、そして7月19日の鈴鹿8時間と、全5戦が予定されていた。
ボルドールとセパンは予定通りに行われたが、年が明け春を迎える頃には、世界は一変していた。3月10日、EWCはルマンを9月頭に延期することを発表。その9日後には8月末への再変更が発表され、混乱が窺えた。
さらに4月6日にはシーズンスケジュール全体の大幅な変更を明らかにした。6月のオッシャスレーベンを中止し、7月の鈴鹿でシーズンを再開。8月のルマンを経て、9月にボルドールで最終戦を行う、というものだった。
事態の悪化を受け、4月27日、鈴鹿サーキットを運営するモビリティランドは鈴鹿8時間を11月1日に延期すると発表した。
ギリギリのやりくりをしながら、どうにかシーズンを成り立たせようともがく2輪レース界の姿があった。
そして8月12日、鈴鹿8時間の開催中止が発表された。国内最大の2輪レースイベントである鈴鹿8耐は、昭和53年の第1回開催にあたり、藤井氏の父・璋美さんが尽力したという経緯がある。忸怩たる思いがあった。
「ルマンは無観客でも行うと決めた。フランス人は、フランスのモータースポーツ文化を守ろうとしている。『レースはやる。来られないなら来なくていいよ』というスタンスがはっきりと見て取れる。でも日本は…、来られない国の人がいるならいっそ中止した方が公平だ、という考え方ですよね。そうやってこの国は成り立っている。日本のために、そして藤井のために(笑)、なんとか開催してほしかった、というのが本音ですね」
各国には各国の事情がある。極東の島国である日本への移動は、ヨーロッパ主体で開催されているEWCにとってさまざまなリスクを抱えることになるだろう。中止という判断もやむを得なかったことを、藤井氏自身も重々承知している。それでも、心の叫びは止まらない。
「ヨーロッパの連中が来られないなら、”全日本鈴鹿8耐”でもいいじゃないかと思うんですよ。イベントレースと思われてもいい。それよりも、こうして”やらないという前例”ができてしまったことが怖い。こうなると次年も開催しないのかな、と恐れています。そのつもりでいた方がいいのかな、と」
8月29〜30日、無観客開催のルマン24時間に参戦するにあたり、藤井氏にはふたつの選択肢があった。実績のある従来型CBR1000RRで行くか、登場したばかりの新型CBR1000RR‐Rで行くか…。新型のパフォーマンス向上は間違いない。だが、24時間走り続けるに足るだけの信頼性があるかどうかはまったくの未知数だった。
「ホンダのようなメーカーは我々からしたら神みたいなものですよ。新型CBRなんて、神様からの贈り物としか思えない。特に今シーズンのように何がどうなるか分からない状況で、こんなすごい乗り物が手に入ることの喜びを実感として噛み締めましたね」
藤井氏は新型を選んだ。命運を賭けての決断だった。
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