国立博物館収蔵の車両がオークションに出品。とんでもない値がついた…! しかしこれほどの物語のあるクルマが一体ナゼ…「腑に落ちない」

国立博物館収蔵の車両がオークションに出品。とんでもない値がついた…! しかしこれほどの物語のあるクルマが一体ナゼ…「腑に落ちない」

ハリウッド映画「フォードVSフェラーリ」の大成功はご存じの通りですが、もしも「コルベットVSフェラーリ」だったらアメリカでは倍、いや10倍くらい興行収入が増えたかもしれません。なにしろ、国立のコルベット博物館があるほどの人気ですから、かのフェラーリを打ち破ったとなれば、それこそ「全米が泣いた」てなことになるはず。実は、そんな映画の題材になりそうなコルベットが実在します。ル・マンでフェラーリの最高速をブチ抜いてみせた奇跡のようなREDコルベット、アメリカ人でなくとも大拍手でしょう。


●文:石橋 寛(ヤングマシン編集部) ●写真:RM Sotherbys

プライベーターに近いチームが、コルベットとともに次々と実績を積み上げた

RED=レース・エンジニアリング&デベロップメントというと本格的なファクトリーを想像しがち。ですが、当初ダナ・イングリッシュとトイ・イングリッシュというレースメカをしていた兄弟が立ち上げた小規模なファミリービジネスに過ぎませんでした。それでも、1970年代初頭にL88を搭載した69年モデルのコルベットを手に入れ、レースに参戦し始めるとすぐさま頭角を現します。当時の全国的に知られたジョン・グリーンウッドの「スターズ&ストライプス」コルベットへの対抗心をむき出しにして、自ら「レベル(反逆者)コルベット」を名乗るなど、注目の的となっていたのです。

もちろん、リザルトも着々と積み上げ、1971年のIMSAで2.5リッター以上クラスを制しつつ、デイトナとセブリングでも連続クラス優勝するなど、プライベーターにほど近いチームながら大健闘を果たしたのでした。すると、この活躍に目を付けたスポンサーたちが続々とサポートを申し出てきました。トランス・ワールド航空(TWA)、モエ(シャンパン)、グッドイヤータイヤなど一流企業ばかりで、イングリッシュ兄弟のホクホク顔が目に浮かぶというもの。また、コルベットの生みの親ともいえるゾーラ・アーカス・ダントフが、REDチームに高性能パーツを秘密裏に供給しはじめ、技術的なアドバイスまで授けたといいます。

紆余曲折を経て、伝統のル・マンに参戦

ここでダントフが焚きつけたのか、イングリッシュ兄弟の血が騒いだのか、REDはコルベットでのル・マン参戦を決意。しかしながら、ポッと出のプライベーターがエントリーできるほどル・マンは甘くありません。簡単に却下されてしまったのですが、やはり捨てる神あれば……というやつで、思わぬところから救いの手が伸ばされたのでした。当時の北米で最大のフェラーリ・ディーラーをしていたルイジ・キネッティ(自身も三度ル・マンを制しています)が持っていた参戦枠のひとつを譲ると申し出てくれたのです。もっとも、スポンサーマネーの一部を上納することや、キネッティのチーム「NART」カラーに塗り替えることが条件でしたが、イングリッシュ兄弟は喜んでレベル・コルベットを塗り替えたといいます。

ところが、レベル・コルベットはもともとスクラップの寄せ集めで作られたようなクルマだったため、FIAの「公道走行が可能であること」という規則に抵触。あわやエントリー取り消しの危機に陥りかけたのですが、兄弟はすぐさま1968年製の破損したシボレー・コルベット・ロードスターを調達し、ここでご紹介しているマシンを作り上げたのです。もちろん、レース仕様のサスペンション、ブレーキ、M22「ロッククラッシャー」トランスミッションなどが装着されたのですが、これらはすべてダントフが支給したものでした。ド根性な兄弟もさることながら、ダントフの執念も見上げたものです。

ル・マン初参戦のREDコルベットがとんでもない結果を叩き出す

さて、無事に1972年のル・マンで走ることができたREDコルベットですが、ここでは書ききれないほどのドラマが生まれています。たとえば、予選でクラッシュしたフロントエンドをガムテープで修復したところ、オフィシャルから耐久性を指摘されてしまい、困ったメカが修復箇所の上でジャンプして「このとおり、問題ありませんぜ」とやったとか(笑)雨のユーノディーエールでスリップ&スピンしたものの、360度回りきったときにスピードがいくらも落ちていなかったなど、よくも完走できたと目を丸くせずにはいられません。また、最大のライバルだったフェラーリ365デイトナの最高速332km/h(206mph)に対し、REDコルベットは約341.2 km/h (212 mph)を記録。これにはピットにいた全員が飛び上がって喜んだと伝えられています。なお、最終的には総合15位となり、本大会で唯一完走できたコルベットとなりました。

ル・マンから帰国した後、REDコルベットはオリジナル塗装に戻され、再びアメリカのレースシーンで活躍を遂げます。1981年まで、違うオーナーの下でレースが続けられたものの、その後はコレクターの手にわたり、栄光のNARTカラーにリペイントしなおされました。そうして、前述の国立コルベット博物館に収蔵されていましたが、この度オークションに出品。75万~110万ドル(約1億2000万~1億7000万円)と、当然ながらコルベットとしては記録的な指値が付けられました。腑に落ちないのは、これほど胸アツなストーリーなのに、いつまでたっても「コルベットVSフェラーリ」が映画化されないこと。これが作られた暁には、落札価格がダダ上がりすること火を見るより明らかでしょう。

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1972年、ルイジ・キネッティのNARTカラーでル・マンに参戦した1968年製REDコルベット。最後尾から5番目にスタートして、総合16位をゲット。

L88エンジンのレッドゾーンを5800rpmへと引き下げたことが24時間闘い続けられた秘訣とされています。

およそ8週間で、スクラップから完成させたREDコルベット。ベースはオープンボディだったとのこと。

ル・マン参戦時のショット。ダクトテープで修復されていることにご注目。

オーバーフェンダーやサイドミラーの位置が生粋のレーシングカーであることを主張。

サルテ・サーキットに駆け付けたコルベットの父、ゾーラ・アーカス・ダントフ(中央)REDへの献身はよく知られた事実です。

1973年のデイトナでポルシェ911とミラージュ(フォード)を従えるREDコルベット。NARTカラーからオリジナルに戻されています。

FIAのスペアタイヤを積むルールを知らなかったREDチームは、急遽レンタカーのプジョーから移設。レストアされた後もずっと積まれています。

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