ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、その当時を振り返ります。MotoGPがブリヂストンのタイヤワンメイクとなって2年目の2010年、左右非対称コンパウンドを導入して臨む予定だった日本GPが、1週間前に延期されて……。
TEXT: Toru TAMIYA
左右非対称コンパウンドを18戦中12戦に用意
2010年のMotoGPは、前年よりも1戦増えて2007~2008年と同じ年間18戦のシーズン。ブリヂストンのタイヤワンメイク2年目ということで、供給するタイヤに関しては、前年度のレースを参考にしながら、例えば「あのサーキットは、2009年はミディアムとハードを用意したけど、ソフトとミディアムとのほうが良さそう」など、改善すべきポイントを探して対応していきました。とはいえ、最適なタイヤの仕様は天候にも大きく左右されるので、前年のデータどおりで大丈夫とは一概に言えないのですが……。そういう中で、ひとつだけ前年と明らかに変わったのは、左右非対称コンパウンドタイヤを導入するレースの増加。2009年は6レースに左右非対称を用意しましたが、2010年はライダーからの要望が多かったツインリンクもてぎでの日本GPなどを含む、計12レースに増やしました。
ちなみに左右非対称コンパウンドを使うのはリヤタイヤのみ。フロントは、ブレーキングでの安定性が求められ、それにはタイヤのコンパウンドも影響するので、デメリットを考慮してこのときはまだ採用しませんでした。サーキットは周回コースなので、立体交差があれば話は別ですが、必ず左右どちらかのコーナーが360度分多くなります。また、仮に左右のコーナー数が同じでも、低速コーナーと高速コーナーではタイヤに対するシビアさが異なります。そのため、数や高速レイアウトが多いほうのコーナーは発熱やライフが厳しくなり、少ないほうは温まりづらい傾向。これに対処するのが左右非対称コンパウンドです。
リヤタイヤは、シーズンを通してエキストラソフト、ソフト、ミディアム、ハード、エキストラハードという5種類のコンパウンドを使用しますが、左右非対称コンパウンドの場合はこれらの組み合わせとなり、しかもコースによって左右どちらのコンパウンドをソフト傾向にするのかも異なるため、実際には10種類程度のリヤタイヤを用意したはずです。厳密に考えれば、どのコースも必ず左右でタイヤに対するシビアさは変わるので、すべてのコースに左右非対称コンパウンドを導入するのが理想。しかしそれでは製造コストが大変なことになってしまうので、左右でタイヤへの影響が明らかに異なるサーキットに絞りながら使用することになりました。対称と非対称のどちらを使用するかは、車両の走行データから速度や負荷のかかり具合などを抽出してシミュレーション。MotoGPマシンの走行実績がまったくないコースでも、コース図からタイヤへの負荷をある程度は予測できます。さらに開発部隊は、F1のデータと突き合わせながら、予測精度の向上も図っていました。2010年は、シルバーストーンサーキットに舞台が移ったイギリスGPと、当初予定されていたハンガリーGPが、まったく走行実績がないコース。ただしハンガリーGPは、新しいサーキットの建設が遅れて2年連続でキャンセルされました。
ライダーの信頼を得るため、事前のセーフティコミッションで説明
またこの年は、左右非対称コンパウンドの積極的な導入だけでなく、ソフトとミディアムのコンパウンド改良にも取り組み、ウインターテストの段階から新しい仕様を持ち込みました。具体的には、温度レンジをよりワイド化。コンペティション時代には、作動温度域がある程度狭くてもピークが高いタイヤを用意したほうがいいこともありましたが、全員がイコールコンディションとなるワンメイクでは、ワイドレンジで乗りやすさにつながるほうがベター。この年も前後とも1レースにつき2種類ずつのスペックを供給しましたが、これが1種類でカバーできるというのが技術的には究極の理想です。ただしプロモーション的には、ライダーが選ぶスペックが2種類に分かれたほうが、レースへの興味や話題が増加する要素として機能。そして選択が分かれるためには、性能がオーバーラップしている領域が多いほうが良いので、使用頻度の高いソフトとミディアムの適用範囲を広げたかったのです。2009年は、ほとんどのライダーが同じスペックを使用したレースが多かったので、どうせ2スペック供給するなら、両方使ってもらえるようにしたほうが、観戦している方々により楽しんでもらえると思ったのです。
左右非対称コンパウンドの導入予定サーキットと、その年に供給するタイヤのスペックについては、開幕戦のカタールGPで土曜日に開催されたセーフティコミッションで説明。ライダー代表はバレンティーノ・ロッシ選手、ケーシー・ストーナー選手、ロリス・カピロッシ選手、マルコ・メランドリ選手の4名でしたが、彼らも全員納得して、我々の対応を喜んでくれました。その効果だったのか、予選後の会見ではストーナー選手が「今年もブリヂストンは非常に素晴らしい仕事をしてくれている」とコメントしてくれていました。事前に説明しておくことでライダーも安心できますし、ライダーの信頼を得ることは我々にとっても大切なこと。まずはひと安心したのを覚えています。
日本GPに選手たちが来られない!
この年、大きな出来事としてはまず、カタールGPの2週間後に第2戦として予定されていた日本GPの延期がありました。アイスランドで火山が噴火して、火山灰の影響で大規模な空路封鎖が発生したことが原因。決勝日まで1週間となった日曜日の朝に、ブリヂストンのドイツ人スタッフが来日できない可能性が高いという連絡が入り、とりあえず日本人だけで日本GPの仕事ができるよう、スタッフ集めに奔走しました。そして昼ごろになんとか体制を整えたのですが、今度は中国で開催されていたF1のブリヂストンスタッフから、「ドイツ以外もヨーロッパ便はすべて危ないようだ」との連絡。そこで、ヨーロッパが朝になるのを待ってMotoGPを運営するドルナスポーツのカルメロ・エスペレータ会長に電話したところ、「中止を決定した」と言われ、夕方には正式にメールが届きました。中止の決定はフリープラクティスの5日前。前代未聞の出来事にかなり驚かされました。
カタールから運んだ多少の機材は日本に到着していたものの、タイヤは日本の倉庫に準備していたので、会場のツインリンクもてぎにはまだ搬入していませんでした。しかし、ブリヂストンの応援席はすでに販売済み。イベントブースの準備も終わっていました。さらに痛手だったのは、日本GPで恒例となっていた1コーナー内側のホスピタリティ用テントがすでに建っていて、パドックの作業用コンテナもすでに設置されていたこと。結局、これらで何百万円もの出費になってしまいました。
また、800人分用意していた応援席チケットの対応もかなり大変。日本GPは10月の延期が発表され、チケットはそのまま使えることになりましたが、日程が合わず観戦に行けない人もいます。応援席のチケットはもてぎから買い取って配布していたので、ここのキャンセルや返金はブリヂストンでまとめて処理しなければなりません。応援席の購入者は、本社の社員だけでなく工場の社員も多かったので、どう対応するか頭を悩ませました。結局、キャンセルを申し出たのはせいぜい30人くらい。給料振込口座に返金できることになったので、混乱もなくホッとしました。ちなみに、VIP用のお土産として準備していたマグカップには、日本GPのロゴと本来の開催日だった日付を印刷していたのですが、秋に延期開催されたときには日付部分だけ新たにシールを上に貼って対応したので、日付がふたつ入ったスペシャルなものとなりました。
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