「一体なぜ…」国をも巻き込んだ妨害工作でわずか51台で消えた…。極めてレアな丸目3灯のフロントマスク。流線型ボディが美しい70年前の革新的名車[タッカー’48]を紹介

「一体なぜ…」国をも巻き込んだ妨害工作でわずか51台で消えた…。極めてレアな丸目3灯のフロントマスク。流線型ボディが美しい70年前の革新的名車[タッカー’48]を紹介

バイクやクルマが好きなら、このパッケージを聞くだけで白飯が3杯はいけるかもしれません。「リヤエンジン・リヤドライブ(RR)」「水冷水平対向6気筒5500cc」「航空機用エンジン流用」「ステアリング連動のセンター3眼ライト」。今から70年以上前、1948年のアメリカで生まれながら、巨大資本によってわずか51台で圧殺された伝説の銘車「タッカー’48(通称:トーピード)」の奇跡的なパッケージングです。クルマの歴史に燦然と輝く“時代の異端児”をご紹介しましょう。


●文:石橋 寛(ヤングマシン編集部) ●写真:RM Sotherbys

ヘリコプター用「フラット6」をリヤに積む狂気

まず度肝を抜かれるのが、圧倒的な低重心とハイパワーを求めて、開発者プレストン・タッカーが選んだヘリコプター用・空冷水平対向6気筒エンジン。タッカーはこれを自動車用に水冷化し、5.5リッターから166馬力、そして45.1kgmという極太のトルクを発生させました。そして、ポルシェ911やスバルが生まれるはるか以前にRR方式を採用。低重心、かつトラクションの確保というコンセプトはタッカーのエンジニアとしての才能が最も輝いているポイントにほかなりません。

リヤに搭載される5.5リッター水平対向6気筒エンジンは、ヘリコプターのエンジンをデチューン。166馬力、45.1kgmを発揮しました。

さらに、このパワーを受け止めるファストバックスタイルの流線型ボディは、現代の風洞実験に持ち込んでも優れた数値をマークすると言われるほどの空力フォルム。トーピード(魚雷)と称されるのも大いに納得です。

タッカーは1988年、コッポラ監督によって映画化されています。監督の父親がタッカー社に投資していて、タッカーも1台所有していたとか。

サイクロプスと呼ばれた動く3つめのライト

フロントマスクで強烈な存在感を放つのが、中央に配置された3番目のヘッドライト。 単なるデザインに終わらず、「ステアリングの切れ角が10度を超えると、曲がる方向を自動で照らす」という、現代の「配光可変ヘッドライト」の元祖とも言えるギミックです。

センターに配置された3番目のヘッドライトは、ステアリングの切れ角が10度を超えると曲がる方向を自動で照らす仕組み。

また、衝突時には助手席の乗員が身を守るためにダッシュボード下へ潜り込める安全スペース「クラッシュダッシュボード」を確保。加えて、衝撃時にフロントガラスが外側へ丸ごとポップアップし、乗員が頭部をガラスに強打するのを防ぐ「強化ガラスの飛び出し機構」も標準装備。デトロイトの巨人たちが「売れるデザイン」ばかりを追っていた時代に、タッカーは「命を守る安全性」を最優先していたのです。

衝突時にダッシュボードが潜り込んだり、シートベルトの標準装備を計画したり、先進的な乗員保護が図られたインテリア。

国家をも巻き込んだ「タッカー裁判」の悲劇

これほどの天才マシンが、なぜわずか51台で生産終了に追い込まれたのか。理由は、その先進性がデトロイトのビッグ3(GM、フォード、クライスラー)にとって「脅威」と映ったから。政治家や証券取引委員会(SEC)を巻き込んだ執拗な妨害工作、メディアを使った「詐欺師」のレッテル貼りにより、タッカーの工場は操業停止に追い込まれることに。のちの裁判では無罪を勝ち取るものの、時すでに遅く、タッカー・コーポレーションは倒産。工場に残された51台(プロトタイプ含む)のみが、タッカーの形見のようになったのです。

1948年製タッカー48は、わずか51台しか製造されなかった悲劇の名車。こちらはシリアルナンバー、19番のオリジナルモデル。

プレストン・タッカーと「日本」の知られざる繋がり

ところで、この悲劇の天才プレストン・タッカーには、日本の自動車産業の歴史を大きく変えたかもしれない「知られざる計画」がありました。アメリカでの夢を絶たれたタッカーは、1950年代前半、なんと日本での自動車生産計画を極秘裏に進めていたのです。当時の日本は戦後の復興期。タッカーは日本の高い技術力と勤勉さに目をつけ、日本国内の有力企業や技術者たちと接触し、第二のドリームカー「タッカー・カリオカ」の生産拠点を日本に構築しようと画策していたとのこと。

もしこの計画が実現していれば、日本のモータリゼーションは10年以上前倒しになり、アメリカのビッグ3を脅かす「逆襲の拠点」になっていた可能性があります。が、このプロジェクトが本格始動する直前の1956年、タッカーは肺がんにより53歳の若さで急逝。彼の二度目の夢もまた、歴史の彼方へと消え去ってしまったのでした。

時代を先走りすぎた孤高の挑戦者

もし、タッカー48が予定通り量産されていたら、世界の自動車史は全く違うものになっていたはず。既存のルールに縛られず、純粋な技術と情熱だけで巨大権力に挑んだプレストン・タッカーの姿は、かつて日本のバイクメーカーが世界に仕掛けた数々の「技術的挑戦」の姿にも重なるようです。

さて、51台すべてが現存するというタッカー48ですが、オークションに出品されることは滅多にありません。それゆえ、今回の出品も100万~130万ドル(1億6000万~2億2000万円)と高額な指値が示されています。興味がわいてきた方は、ぜひ日本のトヨタ博物館に展示されている実車をご覧ください。きっと「熱いエンジニアの魂」みたいなものが感じられるはずです。

まだ風洞実験が行われていなかったにも関わらず、タッカーの空力性能はずば抜けて高いものでした。

フラット6エンジンゆえか、マフラーは6本出し。バンパー上部のラジエーターグリルもRRならではのデザイン。

インテリアは40年代にデザインされたものの、60年代に流行したアトミックデザインに大きな影響を与えたといわれます。

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