![空飛ぶバイクに憧れた──ホンダ(HONDA)モトクロッサーCRシリーズ[1986]【柏 秀樹の昭和~平成 カタログ蔵出しコラム Vol.24】](https://young-machine.com/main/wp-content/uploads/2025/11/honda-motocrosse_CR-series.jpg?v=1762851096)
ライディングスクール講師、モータージャーナリストとして業界に貢献してきた柏秀樹さん、実は無数の蔵書を持つカタログマニアというもう一つの顔を持っています。昭和~平成と熱き時代のカタログを眺ていると、ついつい時間が過ぎ去っていき……。そんな“あの時代”を共有する連載です。第24回のテーマは、走らせるシーンが憧れそのものだったホンダのモトクロッサー・CRシリーズです。
●文/カタログ画像提供:柏秀樹 ●外部リンク:柏秀樹ライディングスクール(KRS)
商品ではなく「こんなこと、できたらいいな」を描く
今回は見た瞬間にハートを鷲掴みにされてしまったモトクロス系のお気に入りバイクカタログをご覧になっていただきたい。
まずはアメリカホンダ製作によるモトクロスマシンCRシリーズ1986年型のカタログです。
1985年に全米125クラスチャンピオンに輝いたロン・ラシーンによる華麗なジャンプ。もうこれだけでメカニズムとかスペックは後でいいから、こんなことができたらいいなあ、と憧れてしまいます。ずっと見ていたくなるような芸術的「絵画」とさえ思えてきます。
カタログは本来、真横に写真を撮って商品をしっかり見せるのが王道ですが、これは車体色が赤でなければどこのメーカーのバイクかわからないでしょう。
それでもこのアングルにこだわった。その思い切りの良さがバイクカタログファンとしてはたまらな魅力になってしまったのです。カタログ表紙のワンカットだけで、ライダーのハートを熱くさせる決定的なアクションでした。
ゴーグルで隠れた顔の一部やヘルメット、ブーツ、ウエアなどでライダーが一体誰なのか、40年も昔の人物名がすぐにわかってしまうとしたら当時の熱烈ファンか関係者ぐらいでしょう。
このカタログ制作に関わったすべての人たちは「モトクロスはカッコよく飛べなきゃ!」という熱い思いがここに集約されています。
朱に染まる日没ギリギリの舞台かと思わせるこのジャンプシーン。あえて夕暮れ時を狙って、それまでにないジャンプの躍動感に挑戦した写真。匠の照明技術で車体の裏側やモトクロスタイヤの凸凹やジャンプの向こうに残る土煙が鮮明に映し出されています。
CR500R・CR250R・CR125Rの白文字、ラシーン選手の白いウエア、焦茶の大地、そして赤のフレーム。
現在の最新マシンならもっと派手なアクションができるのでしょうが、新旧比較の問題ではなく一番大事な「絵ごころ」としてみていただければと思います。バイクにまったく興味がない人でも一度見たら忘れられないインパクトの強い作品ではないかと思います。
ちなみにラシーンに限らずチャンピオンライダーが翌年型モトクロッサーのカタログライダーをやるのが当時のアメリカホンダの流儀だったようです。
フィルム時代の写真が心打つように──
2点目はカタログではなく当時のホンダの活躍をまとめた小冊子の表紙です。RC500M+A・マラーべの大ジャンプです。S・マックイーン主演の名画「大脱走(原題:The Great Escape)」は拘束された身柄が自由になるための柵越えジャンプが見どころでした。
一方でこの写真は自然豊かなフィールドに駆けつけたモトクロスファンの声援を受けながら世界最高峰の選手が激走するレースシーン。観客の目を奪う豪快な飛び方はもはやフライトと呼べる次元。何度見てもワクワクが止まりません。
アメリカのスーパークロスはスタジアムという建物の中を主とした人工的なコース設定でファンのハートを焚き付けるモトクロスショーですが、一方の欧州圏主体で展開される伝統ある世界選手権のモトクロスシーンはまったく違います。広々とした大地と緑の中を駆け抜ける、まさに自然と一体になるフィールドでスピードを競い合います。
マラーべのマシンは空冷2サイクルエンジンにツインショックに前後ともドラムブレーキ。フロントフォークは正立式ですが、昔も今も世界最高を目指すジャンプは永遠に不滅! と言いたくなるシーンです。
マシンのポテンシャルだけを比較すれば旧型は最新型に遠く及びませんが、躍動美や絶妙の色合いなら決して劣っていません。否、昔の方が心を打つ作品が多かったのかもしれません。
たとえばデジタルカメラなど存在しなかった当時のフィルムでも日本人に馴染みが深い富士フイルムとコダックでは出来上がった写真の色合いがまったく異なっています。写真だけでなく印刷でも日本と欧米の違いは明白です。北米と欧州でも色合いは異なりますが、鮮やかで艶やかさが際立つ北米の印刷物に惹かれてしまう日本のカタログファンは意外に少なくないかもしれません。
後発、しかも遅れていた2ストで巻き返す
次のカタログをご紹介する前に、まずはホンダCRシリーズの概略史を少々。
1960年代半ばでバイク総生産量がドイツを抜いて世界一にのし上がった日本のバイクメーカーですが、海外のモトクロスシーンについては大きく遅れをとっていました。しかし、ヤマハトレール250 DT-1が1968年に登場して以降、様相は一変。スズキがハスラーシリーズで続き、1973年のオイルショック前まで日本全国にモトクロスコースが、あれよあれよと増えていく大盛況を見せていました。
折しもホンダから1969年にCB750フォアが登場。大型ロードスポーツ車への関心が一気に集っていたところにオフロードシーンの隆盛が絶妙に重なり合う形でした。1960年代末期から1970年代初頭は生産量だけでなくバイクの遊び方が一気に広がる、新たなブームといえるほどの活況を呈していました。
カワサキもすかさずTRシリーズで追従し、2ストローク分野で遅れをとっていたホンダはCRシリーズを投入したというわけです。
4社のモトクロスシーンで後発となったホンダですが、1971年に開発コード335でスタートし、翌年の1972年には日本GPでホンダは初勝利をあげ、その技術を還元したCR250Mが1972年9月26日に誕生しました。CRの名を冠したホンダ初の市販モトクロッサーです。
1974年にはエンジン出力の要となるチャンバーとマフラーをダウン型へ。他社も同じ流れになったのですが、最低地上高が稼げる形のアップ型へ徐々に移行しました。
CR250Mの名称はCR250Rへ。1977年11月です。エンジン本体まで赤色にするなどホンダは外観の独自性をアピール。
1978年になると125と250が同時発表となり、これ以降は同時発表が標準になり、外装パーツの共用化を進めながら外観もほぼ同じ構成になりました。
ちなみにこの年のCR125Rは前輪23インチを採用。林道ブームの立役者となったこの時期のXL250Sも23インチでした。
1979年にはミニモトクロッサーCR80Rがラインナップ。
1980年にホンダはCR80Rを除いてCRシリーズにプロリンク式リヤサスペンションを採用。
従来のツインショックの弱点を大幅に改良した低重心、軽量・コンパクトそして理想の衝撃吸収力を手に入れて走行安定性が格段にアップしました。CRの戦闘力向上に大きく貢献しました。
1980年当時のホンダはロードレースで楕円ピストンのNR500を投入して注目されながらも、一方で世界耐久選手権ではRCBが連戦連勝を重ねて初代メーカーチャンピオンに輝き、トライアル部門では4ストロークと2ストロークの両方で活躍と普及拡大を展開。
モトクロスではワークス部門で125ccと250ccクラスにパラレルツインの高回転型エンジンを投入。一般公表されていませんがVツインのモトクロスマシンもテストしていたそうです。
フロントサスには非常にしなやかな作動性とフルブレーキ時のノーズダイブがないWプロリンク式を試験採用するなどレースで活躍しながら独自の先進性をホンダはアピールしていました。
このフロントサスペンションはスズキから移籍したMXの神様ロジャー・デコスタ選手の提案で進められましたが、1980年代半ばまでCR系のカタログ解説にはデコスタの名前が必ず入っていました。ホンダとしてはそれだけ彼に敬意を払っていたということです。
500ccクラスがロードレースの世界最高峰であったようにモトクロスもその頂点は500ccクラスです。1976年から挑戦を始めたホンダはP・カールスメーカーによって初年度ランキング9位。1977年はB・ラッキーが4位。1978年にB・ラッキーは2位、G・ノイスが7位
そして1979年にホンダはいよいよメーカーチャンピオンとG・ノイスが個人タイトルを獲得したのです。ランキング3位は同じくRC500MのA・マラーべでした。1979年まではいずれも空冷エンジン+ツインショックでした。
時代が変わっても心奪うジャンプシーン
3番目のカタログは日本のカタログです。HRCワークスライダー杉尾良文選手がエンジンまで赤く塗られた1981年型水冷CR250Rで疾走。発売は1980年11月。ラジエターへの風を積極的に取り入れるためフロントゼッケンプレートがかなり高い位置にセットされ、燃料タンク前部に配置されたシュラウドに白を配色して存在感をアピールしていました。
リンク式リヤサスペンションとエンジンの水冷化によってモトクロスの走行ペースは一気にアップしました。
1983年型になるとCRシリーズすべてに自動調整トルク増幅排気システムATACを搭載して従来よりも低中速回転域をフラットなトルク特性としました。各社はヤマハのYPVSを皮切りに排気デバイス競争も展開しました。
125と250には前輪にディスクブレーキを採用。特にスーパークロスのライダーが要求する的確な制動力のためになくてなならない装備でした。
ラジエター位置やマフラー(チャンバー部)の配置をできるだけ下方にセットするなど低重心化を推進しながら後にリアブレーキにもディスク式を採用。
1年ごとに明確な進化を感じるほどこの時代のモトクロスマシンの開発スピードは早く、1990年代に入りフレームについても他社に先駆けてホンダは市販車にアルミツインチューブ式を導入しました。 通常の鉄製フレームに対してアルミツインチューブ型の硬すぎる特性をどれだけしなやかに仕上げるか。これを承知の上で早期に導入する、いかにもホンダらしい姿勢でした。結果として従来にはない「しなやかなサス特性」という副産物を手に入れています。
以下は、ジャンプ主体のカタログの一部を列挙します。
1983年型CR480Rで華麗に舞うのは1982年全米500ccクラスナショナルチャンピオンのダレル・シュルツ選手。
茶褐色の砂を撒き散らして1984年型CR500Rで豪快にコーナリングするダニー・チャンドラー。スネ部分をアルミ板で覆うアルパインスターズ製デコスターレプリカブーツと当時の主流だったゴーグル一体型フェイスマスクが時代を感じさせます。
青空に向かって高々とジャンプするライダー。左は日本でも多くのファンを魅了したデビッド・ベイリー+1984型CR250R。右は125クラスのナショナルチャンピオンシップ覇者ジョニー・オマラ選手。二人ともジェット型ヘルメット+長いバイザー。ブーツとパンツの間に入ってくる泥や小石のために白のスパッツ。当時最先端のファッションでもあり、多くの日本人もこれを追いかけました。
再び杉尾選手が登場。85年型カタログは1984年9月に制作されたものですが、この年のモトクロス世界選手権500ccクラスではホンダがRC500Mで圧勝。A.マラーベがタイトルを奪取し、ホンダは2年連続メーカーチャンピオン。このカタログの表紙に「RCレスポンス」と書かれているのはワークスクオリティを意味します。ホンダの市販モトクロッサーはCRの名前ですが、ワークスマシンはRCと排気量の数字。そして数字の後にMがつきます。
当時は杉尾選手のようにジェット型ヘルメットにゴーグルですがこの後に口と顎を守るチンガードあるいはゴーグルと一体型になったフェイスガードが流行しました。
トップライダーの後塵を浴びると胸や手の甲に小石がビシバシ飛んできます。かなり痛いのではないかと当時のトップライダーに聞くと「無茶苦茶痛いし、悔しいから意地でもトップに出る」という反骨精神のコメントをいただきました。
ドロドロのマディではめっぽう強く、2位以下を周回遅れにしてしまった伝説の男、全日本V9ライダーといえば東福寺保雄選手(右)。そして125クラスで強さを発揮したホンダワークスの良きチームメイト佐藤健二選手。
そして最後に1975年のCR250M1。アルミ地の燃料タンクが特徴。レッドホンダになる以前の、まさにCRの原点となる華麗なジャンプシーン。すべてはここから始まったのです。
1970年代はまだまだレザーパンツが常識でした。
2ストロークモトクロッサーの歴史でホンダは数多くの勝利を手中に収めただけでなく、常に新しい技術へ挑戦する意欲を失わない素晴らしき伝統が今なお続いてファンをワクワクさせています。あの時代の2ストモトクロッサーならではのサウンドと匂いは永遠です。
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
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