2003年に向けて玉田誠選手と契約

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.18「大物か、それとも……。新人ライダーはとっても未知数!?」

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。2002年から、ブリヂストンは最高峰のMotoGPクラスに参戦開始。2年目の2003年、新たに玉田誠選手の起用も決まったのですが……。 ※タイトル写真は2003年MotoGP開幕前のテストで、右は玉田誠選手、左は伊藤真一選手。


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バレンシアGPの決勝日が11月3日。翌年まで時間はほとんどありませんから、玉田選手とも早急に契約を結ぶ必要があります。私が日本に帰ってから、玉田選手に一度来社してもらい契約条件などのヒアリングをしました。ところが玉田選手から返ってきた答えは、「僕はとにかくやるだけ。契約条件とか金額の話はしたくありません。契約に関してはすべて、母親に任せます」というものでした。

当時、玉田選手のお母様が代表となっている会社があり、契約に関してはその会社とブリヂストンの間で締結することになりました。そこで今度は、お母様にも来社していただき、まずは挨拶。「一緒に世界一を獲りましょう!」と約束したことを、いまでもよく覚えています。もちろん私は、それが達成できると信じていました。そして、こちらが提示できる条件を提示して、草案の状態から契約書を作成。お母様とやり取りをして、契約を結びました。

2003年に向けたウインターシーズンで、もうひとつ記憶に残っているのは最初のIRTA(国際ロードレースチーム協会)テスト初日を終えたときのこと。その前にプライベートテストが実施されていたかどうか記憶は定かではありませんが、なんにせよ玉田選手にとってホンダMotoGPマシンのRC211Vは初めてのマシンで、ブリヂストンタイヤを履くのも初めて。しかも彼は、そこまでの間にMotoGPどころか海外サーキットでのレースの経験がまったくない状態でした。IRTAテストにはMotoGPクラスに参戦する他のライダーも参加するので、ライバルたちと同じコースを走行するのは、間違いなくそのときが最初。ライバルたちとの比較をするのに絶好の機会となります。

2003年2月5日撮影。開幕前のIRTAテストでチームに合流した玉田誠選手。

2003年2月5日撮影。ブリヂストンは玉田誠選手をレーシングライダーとして、伊藤真一選手をテストライダーとして起用した。ほかにプロトンKRのマシンも。

一緒に世界を獲る! そんな意気込みでウインターテストに突入

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