1年ぶりにロードレース世界選手権最高峰クラスの実戦復帰を果たした青木宣篤選手。開幕戦となった地元の日本GPで、ドライの予選は15位、ウェットの決勝は7位と健闘した。
ブリヂストンがMotoGPでタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。2002年、ブリヂストンはロードレース世界選手権最高峰クラスに参戦開始。しかしそのシーズン序盤、待ち構えていたのは数々の試練と“事件”だったのです。 目次 1 開幕戦鈴鹿の日本GPでは地の利の生かし、青木宣篤選手が決勝 […]

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