数年に一度レベルのトラブルが発生

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース」Vol.74「ドライなのに途中でマシンを乗り替えたオーストラリアGP」

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、その当時を振り返ります。2013年のシーズン後半。MotoGPクラスはルーキーのマルク・マルケス選手がチャンピオンシップをけん引。しかしオーストラリアでは、そのタイトル獲得を脅かす、タイヤトラブルに起因したチームのミスが……。


TEXT: Toru TAMIYA PHOTO: DUCATI, HONDA, RED BULL YAMAHA

参戦初年度からタイトル争いをリードするマルケス選手

2013年のMotoGPは、この年にステップアップしてきたホンダワークスチームのマルク・マルケス選手が、シーズン中盤に第8戦ドイツGP、第9戦アメリカズGP、第10戦インディアナポリスGP、第11戦チェコGPと4連勝。これでチームメイトだったダニ・ペドロサ選手と26点差、ヤマハワークスチームのホルヘ・ロレンソ選手とは44点差までリードを拡大しました。その後、ロレンソ選手が第12戦イギリスGPと第13戦サンマリノGPで勝利してやや巻き返し、この2戦をロレンソ選手はいずれも2位、ペドロサ選手は3位でフィニッシュ。第14戦アラゴンGPでは、マルケス選手とペドロサ選手がレース中に接触し、これでペドロサ選手のトラクションコントロール用センサーケーブルが切断され、ペドロサ選手はハイサイド転倒によりリタイヤに終わりました。

そして迎えたのがマレーシアGP、オーストラリアGP、日本GPと続いたフライアウェイ3連戦。その初戦となったマレーシアGPでは、ペドロサ選手が優勝。決勝翌日の月曜日には、アジアの若手育成を目的に翌年からスタートしたアジア・タレントカップのオーディションが実施されました。ブリヂストンもこのプログラムに協力。そのため私も、居残ってオーディションに立ち会いました。日本からも18名の若手ライダーが集結。アンダーボーンフレームのマシンに初めて乗る子も多かったようですが、みんなすぐに乗りこなしていたのが印象的でした。このとき、日本人は佐々木歩夢選手や鳥羽海渡選手や水野涼選手など7名が合格。ちなみに、翌年のレースではホンダ・NSF250Rが使われるということで、ブリヂストンはJ-GP3で使用しているタイヤを供給しました。

ホンダの2名がランキングをリード。なかでもマルケス選手は最高峰クラスルーキーとは思えない戦いぶりだった。

カタルニアGPではロレンソ選手が優勝した。同選手のヘルメットをデザインしたダウン症のスペイン人女性と一緒に登壇。

フラッグ to フラッグでマシン交換

さて、マレーシアGPの翌週に開催されたオーストラリアGPでは、ブリヂストンにとってMotoGPの歴史における大事件のひとつとなるようなアクシデントが発生しました。用意したタイヤで、27周のレースラップを安全に完走することが難しいという判断から、トータル19周に減算かつ連続周回数を最大10周とし、ドライコンディションでは初となるフラッグ to フラッグにより、定められた2周の間に全ライダーがピットインしてマシン交換することになってしまったのです。

フィリップアイランドのコースレイアウトと新舗装がタイヤに大きな負荷をかけた。慌ただしくマシン交換するのはアンドレア・ドヴィツィオーゾ選手だ。

これは、前年12月の路面改修でグリップが良くなったことにより、元々タイヤに厳しかったコースがさらに高負荷化されたことが原因。最終コーナー手前からの高速コーナーで、長時間トラクションをかけ続けて走ることから、リヤタイヤ左側がかなり発熱するのです。もちろん我々も、路面改修によりラップタイムが速くなることを予想し、タイヤに対する負荷をシミュレーションして、エキストラハードの耐熱構造を導入するなどの準備してきたのですが、その想定をはるかに超えるレベルになってしまいました。金曜日最初の走行となったFP1の段階で、すでに数名のライダーが使用したタイヤにブリスターが発生。空気圧を大幅に上げて対処することなども検討したのですが、それでもフルラップは危険と判断。予選までの走行で、持ち込んだスペックで安全に走れるのは10周と判断し、10周までにピットインしてスペアバイクに乗り替えるフラッグ to フラッグとするよう、MotoGPを運営するドルナスポーツやFIM(国際モーターサイクリズム連盟)と話し合いを重ね、周回数やレギュレーションの変更で対応してもらいました。

じつはこのとき、私は現地に行っておらず日本にいて、決勝はTVの解説を頼まれていたのですが、金曜日の段階で現地のブリヂストンスタッフやドルナスポーツのカルメロ・エスペレータ会長などから多数の電話が入ってきて、対応策を協議していました。私は、憂鬱な気分でTV解説をしていましたが、フィリップアイランドのコースは、ピットロードがやや狭いので、混乱して事故が起きないかとにかく心配でした。結果的には転倒者や接触事故はなく、ライダーやチーム、ドルナやIRTA(国際ロードレーシングチーム連盟)などにとにかく感謝したのですが、マルケス選手がチームメカニックのミスによりピットインの周回数を誤って、失格扱いに……。これでマルケス選手とランキング2番手のロレンソ選手は18点差まで縮まりました。

隠すところなく、正直に

また、翌戦の日本GPでは、フィリップアイランドでの状況をきちんと説明する必要があるだろうということになり、レースウィークの金曜日に記者会見を実施。ツインリンクもてぎ(現・モビリティリゾートもてぎ)に相談してカンファレンスルームを借り、プレスに声をかけ、英語での会見になりました。日常英会話はそれほど困らないのですが、このときは公式な場での英語会見だったので、表現や言葉を間違えてはいけないと、ものすごく緊張。ブリヂストンのプレスオフィサーに原稿を書いてもらい、それをほぼ丸読みしながら説明するという感じでしたが、ヨーロッパの主要プレスが来て予想以上に多くの質問も受けたので、それらには自分で考えて返す必要がありました。あの当時、ブリヂストンのプレスに対するポリシーは「オープン&オーネスト(隠すところなく、正直に)」。それに沿っての会見はポジティブな評価を受け、理解してもらえたようでした。

ただし、このときの日本GPで大変だったのは会見だけでなく、3年ぶりの開催となった今年(2022年)の日本GPと同じく台風の影響により悪天候に見舞われ、金曜日のフリー走行がすべてキャンセルされ、土曜日も午後だけの走行になったことでした。予選はウェットコンディションで、気温15度で路面温度17度。ソフトコンパウンドのレインタイヤを履いたライダーからは、「ドライの8秒落ちで走れる。これはスゴいことだ!」と評価を受けたのですが、ドライコンディションとなった決勝日の朝も気温16度で路面温度22度と低く、しかし決勝は気温19度で路面温度29度となり、ソフト側で持つかどうか確認できないままタイヤ選択を迫られることになりました。

そして、マルケス選手とペドロサ選手のホンダ勢はハード側を選択。ロレンソ選手は最後まで悩んでソフト側を選択し、結果的にはロレンソ選手が勝利を収めました。これにより、ランキングトップのマルケス選手に、ロレンソ選手が13点差まで迫って最終戦へ。マルケス選手が有利とはいえ、痺れるような展開となったのです。イベントブースの運営などもあり、ただでさえ最も忙しい日本GPですが、この年は前週のトラブルに対する会見の準備もあり、前日まで徹夜が続き本当に疲れました。

迎えた最終戦はバレンシアGP。チャンピオン争いが最後までもつれ、なおかつスペイン人同士の勝負となったことで、決勝日には10万4000人もの観客がサーキットに詰めかけました。ロレンソ選手は逆転チャンピオンを諦めておらず、決勝ではペースを抑えてトップグループの台数を増やし、混戦にしながら自分が勝利し、マルケス選手の順位をなるべく落とすというもの。実際、レースは大混戦になりかなり見ごたえがあったのですが、マルケス選手はリスクを負わない冷静な走りを徹底。結果、レースはロレンソ選手が優勝して、2位にペドロサ選手、3位にマルケス選手、4位にバレンティーノ・ロッシ選手となり、マルケス選手のチャンピオンが決まりました。

優勝したロレンソ選手と、4位でタイトルを決めたマルケス選手。大胆に上半身を落とし込んで肘を擦るライディングフォームは、その後のMotoGPでスタンダードになっていった。


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