ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、そのタイヤ開発やレースの舞台裏を振り返ります。2007年の第15戦日本GP。タイトル獲得にリーチをかけたケーシー・ストーナー選手は、大きなプレッシャーに苦しむことになるのですが……。
TEXT:Toru TAMIYA
もてぎでチャンピオンを決めよう!
ブリヂストンにとって6年目のMotoGPクラス参戦となった2007年は、ドゥカティワークスチームにこの年から加入したケーシー・ストーナー選手が開幕戦でいきなり優勝。シーズンは全18戦でしたが、第8戦イギリスGPまでの間にストーナー選手は5勝を挙げ、かなりの強さを発揮している状況でした。ミシュランは、この年に初めて導入された1大会におけるタイヤ本数制限の影響が大きかったようで不調気味。元々技術力のある会社なのですぐに適応してくると思っていたため、まるで予断は許されないとブリヂストンとしては毎戦気を引き締めていたものの、シーズンが後半に入ったころには初めてのシリーズタイトル獲得がかなり現実味を帯びてきたと感じていました。
この年、ツインリンクもてぎを舞台とした日本GPは第15戦の設定。これが終われば残りは3戦ですから、日本GPの終了時点で2番手に対して76ポイント以上の差をつけていれば、優勝回数などを考慮せずとも文句なしでストーナー選手のシリーズタイトル獲得が決まります。シーズン後半に我々が強いサーキットが多めだったこともあり、第11戦アメリカGPが終了したころには「もてぎでチャンピオンを決めましょう!」なんて口にするスタッフもいたほど。この段階では、ランキング2番手のバレンティーノ・ロッシ選手とは44点差しかなく、もてぎでのシリーズタイトル獲得は厳しそうに見えていたのですが、第13戦サンマリノGPでロッシ選手がマシントラブルによりリタイヤしたことでストーナー選手のリードが85点まで広がり、ブリヂストンにとってのホームグランプリで初めてのタイトル獲得が決まる可能性が高まりました。
圧倒的に強かったのは、BSタイヤではなくストーナー選手
もてぎどころか、第14戦ポルトガルGPの段階ですでに、ストーナー選手のチャンピオンが決まる可能性が生まれ、サンマリノGPが終了してからわずか2週間足らずの間に大慌てでチャンピオンTシャツやキャップなどを作成。現地に持ち込んでいました。そんな状況だったので、もてぎではライバル勢に対しても「いいレースをしてほしい」なんて発言するくらいの余裕もありました。これにはもうひとつ、これまで触れてきたように、「ブリヂストンタイヤが強すぎてレースがつまらない」なんて理由でMotoGPを運営するドルナスポーツから呼び出されてワンメイク化をちらつかされたり、この段階ではすでに一度断っていたもののヤマハやホンダのワークスチームから来季のタイヤ供給を打診されたり……なんて背景もありました。
実際のところは、圧倒的に強かったのはブリヂストンタイヤではなくストーナー選手であって、第14戦までの間に8勝をマークしていたストーナー選手以外で勝利したブリヂストンユーザーは、雨のレースだった第5戦フランスGPでMotoGP初優勝を挙げたスズキワークスチームのクリス・バーミューレン選手だけ。ストーナー選手が勝利したレースでも2位や3位にはミシュラン勢が入賞することが多く、我々からしたらミシュランと比べて圧倒的に強いとは到底思えない状況だったのですが……。いずれにしても、ロッシ選手の人気が今以上に絶大だったあの当時、新たなヒーローの誕生はあまり喜ばれなかったのかもしれません。
そんな理由もあり、とくにロッシ選手に対しては日本GPでの健闘を願っていたのですが、ふたを開けてみたらストーナー選手は絶不調。プラクティスの段階から精彩を欠いてまるで走りがまとまりません。いつもなら、タイムが伸び悩むときもその理由を冷静に分析できる彼が、それすらあまりうまくできておらず、チャンピオンに対して初めて大きなプレッシャーを感じていることがひしひしと伝わってきました。予選も不調で、なんとトップから1.2秒遅れの9番手に沈む波乱。それに対してロッシ選手は予選2番手と好調。このレースで、ストーナー選手はロッシ選手の前でゴールすればチャンピオン決定という状況ながら、暗雲立ち込める状況となり、相手に対して「いいレースを……」なんて言っている場合ではなくなっていました。
ところが決勝日は、ホームグランプリで天が我々の味方になってくれました。日曜日は雨で、路面はウェットコンディション。朝のウォームアップ走行でストーナー選手は好タイムをマークしたのです。迎えた決勝は、ウェットでスタートして途中でドライコンディションに変わるという難しい状況。途中でマシンを乗り替えるフラッグ・トゥ・フラッグが導入されたのですが、レインタイヤ装着車からドライタイヤ装着車にチェンジするタイミングは、ライダーの判断に任されていました。
そしてこのレースで優勝したのは、ドゥカティワークスチームのロリス・カピロッシ選手。800cc初年度のこの年、リタイヤも多く不調にあえいでいましたが、状況判断が難しいレースで早めにマシンを交換して、2005年からもてぎ3連覇を達成しました。さらに、2位にはカワサキワークスチームのランディ・ド・ピュニエ選手。これも個人的には最高の思い出です。ストーナー選手は2周目から2番手を走行し、一時はトップに浮上。その後はトップと僅差の2番手をキープしていましたが、そこに後方から迫ってきたのがロッシ選手でした。そしてレース中盤、ロッシ選手がストーナー選手をパス。その2周後に、今度はロッシ選手がトップに立ったのです。しかし結果的には、トップ集団にいたこともあって両者ともにマシンチェンジが遅れ、ストーナー選手は6位でゴール。さらに遅い乗り替えのタイミングを選択したロッシ選手が13位と低迷したことから、ストーナー選手とブリヂストンの初シリーズタイトル獲得がこの日本GPで決定したのです。
17年目で初タイトルを獲得、その感動に浸る時間は……
レースはドゥカティのピットボックスで見ていたのですが、さすがにストーナー選手がゴールした瞬間は、2000年にロードレース世界選手権の最高峰クラスに挑戦するプロジェクトが発足してから関わってくれた方々の顔が次々に思い浮かび、涙が止まりませんでした。ブリヂストンが125ccクラスでロードレース世界選手権に挑戦しはじめたのが1991年ですから、そこからじつに17年目での初タイトル。もてぎには、当時の社長をはじめとして役員だけでも10名くらいが応援に来場していましたし、すでに現役を引退されたOBの方々も駆けつけてくれていました。ホームグランプリで初めてのタイトル獲得を決定する。これほど幸せなことはありません。
そしてレースの後は、我々のホスピタリティテントで、ドゥカティと我々のスタッフ全員でパーティーをやって盛り上がりました。しかしじつは私は、感動の余韻に長く浸っていられる状況にありませんでした。そう、舞台裏では来季のタイヤワンメイク化やロッシ選手に対するタイヤ供給に関するごたごたが、まるで鎮まることなくうごめいていたのです。
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