レースよりイベントで大忙しな日本GP

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.50「ロッシが動くとそれだけで大騒ぎ!」

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、そのタイヤ開発やレースの舞台裏を振り返ります。2008年、ブリヂストンはMotoGPクラス連覇に王手をかけて日本に凱旋。山田さんは、レース実務よりもイベント実施に向けて奔走します。


TEXT:Toru TAMIYA PHOTO:MOBILITYLAND

イタリアでブリヂストンのキャップがブームになっている?!

2008年、ブリヂストンは日本GPの開催を直前に控えた9月24日(水)に、東京都内にある六本木ヒルズの52階で「ブリヂストンMotoGP エクスペリエンスパーティ」というプレスカンファレンス兼インフルエンサー向けイベントを実施したのですが、この年からブリヂストンタイヤを履くことになったヤマハワークスチームのバレンティーノ・ロッシ選手が、「ブリヂストンのイベントに出席したい」と言ってくれて、出演してもらえることになりました。

初日、2008年9月26日(金)のフリー走行で3番手に付けるバレンティーノ・ロッシ選手。土曜日の予選では4番手となり、そこからチャンピオン獲得へ挑むことになった。

それまで、ロッシ選手はスポンサーのイベントに出演することはまずなかったそうで、これにはヤマハ側も驚いたそうです。まあ、ブリヂストン初年度だったので、ちょっとしたサービス心というか、恩を売っておこうくらいの感じだったのかもしれません。そういえばあの当時、ロッシ選手は母国イタリアでのプライベートタイムにもブリヂストンのキャップを被ってくれることがあったらしく、「イタリアでBSキャップがブームになっている」なんて話も聞きました。

この六本木イベントには、この年に日本人でフル参戦する唯一のMotoGPライダーだった中野真矢選手をはじめ、前年にシリーズタイトルを獲得したドゥカティワークスチームのケーシー・ストーナー選手と日本GP3連覇中だったロリス・カピロッシ選手、このシーズンからドゥカティに乗るトニ・エリアス選手、そしてこの年はカワサキワークスチームから参戦したジョン・ホプキンス選手も参加。ロッシ選手は他のライダーからちょっと遅れて到着したのですが、ロッシ選手の登場による盛り上がりは凄まじく、あらためてロッシ人気の高さを認識しました。

このイベントは、大手代理店に企画してもらったのですが、モータースポーツや一般メディアに加えて、SNSのフォロワー数が多い“インフルエンサー”と呼ばれる方々を招待。イベントを発信してもらって日本GPを盛り上げようという狙いで、200名近い方々を招きました。近年ではツイッターやフェイスブックなどのSNSはかなり普及していますが、当時はまだまだの状況。インフルエンサーによる発信は新しい試みでした。それにしてもいまになって振り返れば、これだけのトップライダーをレース直前に、東京の六本木ヒルズに集めるなんていう大きなイベントがよく実現できたなあ……と思います。

さらに、走行がスタートした金曜日の夜に、我々のサポートチームに対して感謝を込めて現地でパーティを開催しました。前年も実施して好評だったこともあり、ロッシ選手やスズキワークスチームからワイルドカード参戦した秋吉耕佑選手を含めて全13名のライダーと7チームのスタッフ、総勢約200名が参加してくれました。

文中にある六本木のイベントでは、ブリヂストンがサポートする6チーム(レプソルホンダチームを除く)から1人ずつ参加してもらった。この年のPRポスターには、#1ケーシー・ストーナー選手、#46バレンティーノ・ロッシ選手、#21ジョン・ホプキンス選手、#7クリス・バーミューレン選手、#24トニ・エリアス選手、#56中野真矢選手の6名が掲載されている。

パドックとイベントブースを結ぶ長い地下通路を行ったり来たり……

しかしこの年、土曜日に実施していたブリヂストンイベントブースでのトークショーに、ロッシ選手は参加してくれませんでした。あの当時、ブリヂストンブースでは日本GPの土曜日にライダーのトークショーを開催。予選後のイベントブース出演に関しては、予選上位3名のフロントロー会見がある場合は当然ながらそちらが優先で、それ以外はこちらの要望に応じてほしいというのが我々の基本的なスタンスでしたが、「時間がない」とロッシ選手には断られてしまったのです。とはいえ、中野選手やストーナー選手など、この年も多くのライダーがこのトークショーに出演。前年に初めてタイトルを獲得したことや、この年の初めからロッシ選手、そして日本GPの前に実施されたインディアナポリスGPからホンダワークスチームのダニ・ペドロサ選手がブリヂストンを履いたこともあってか、この年はとくに多くの方々から「応援しています」とか「がんばってください」と声を掛けられたことを覚えています。

ちなみにこのトークショー、相手がロッシ選手でなくてもセッティングがとにかく大変。各チームの担当者と事前に時間を決めてライダーを招くわけですが、そこまでのフリープラクティスや予選で調子が悪かったり転倒したりなんてライダーが、「行きたくない」とダダをこねるなんてこともありました。実際にライダーをイベントブースまでクルマでアテンドする仕事は、別のスタッフに任せることが多かったのですが、そこまでの時間調整は私が担当。10分刻みくらいで登壇するライダーが替わるようなスケジュールなので、予定が狂うとなかなか痺れます。私はステージ上で出演ライダーが現在どこにいて、あと何分くらいで到着するかという情報を得ながら、司会者と一緒につなぎトークをするのですが、たいてい少しずつ遅れるので、アドリブでのトークが長くなることもありました。それでもブースに集まったファンはとても喜んでくれたので、やりがいもありました。

このライダートークショーは、昼休みの12時過ぎからと、予選終了後の15時過ぎからの2回に分けて、この年は5チーム10名のライダーに登壇してもらいました。つまり、10名分の時間調整が必要で、なおかつ私自身にも出演の時間があります。ブリヂストンだけではありませんが、ツインリンクもてぎのイベントブースというのはメインゲート付近にあり、ロードコースのパドックからはオーバルコースの下をくぐりつつとても長い階段とエスカレーターを上ることに……。「この週末、何往復するんだよ!」というくらいあの階段を上り下りするのが、私にとっての日本GPなのです。

写真はツインリンクもてぎで、右に見える(P)がパドックで、左の(e)はイベント会場。これらを結ぶ地下通路を嫌になるほど往復するのが、レース関係者や取材記者にとっての、もてぎ名物である。

秘密の導線を確保して、ロッシ選手に移動してもらうことに

ところで、この2008年は実現しませんでしたが、ロッシ選手はその後何度かブリヂストンのイベントブースにも出演してくれました。初めて快諾してくれたのは2010年のこと。「ヤマハブースでのイベント終了後に寄ってもいいよ」と言ってくれたのです。もちろんそれは、とてもうれしいことなのですが、そこからが超大変。ヤマハとブリヂストンのイベントブースは100mほどの距離だったのですが、そこをロッシ選手が歩いたら大騒ぎになります。他のライダーだと、何人かでガードしてブース間を移動するということはありましたが、相手はあの超スーパースター。日本人ファンは比較的行儀がいいですが、とはいえ収拾がつかなくなることは目に見えています。

そこで、ヤマハブースの後ろにクルマを待機させておいて、ツインリンクもてぎのVIPルームにつながる廊下に一度歩いて入ってもらい、そこから階段を下りてブリヂストンブースの真横へ……という秘密の導線を、サーキット側を巻き込みながら確立しました。もちろん、要所にはガードマンを配置して。それでも、本当にロッシ選手が来てくれるという確証が得られなかったので、イベントに関する事前告知はしていなかったのですが、ロッシ選手が登壇すると同時にものすごい数のファンが集まってくれて、やっぱりあのときも「バレだけは本当に別格だなあ……」と思ったのでした。


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