目標達成も……ここは通過点!

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.20「初めての表彰台は“日本の真裏”で!」

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。MotoGPクラス参戦2年目となった2003年、ブリヂストンは初表彰台登壇という目標に向けてまい進。そして、ついにその時がやってきます。

やはり初めて走るコースということもあってか、リオGP予選の玉田選手は9番手。タイムとしてはトップのバレンティーノ・ロッシ選手と約1.7秒差、予選3番手のセテ・ジベルノー選手と約1秒差でした。しかし決勝では、1周目を7番手でクリアすると、序盤に5番手まで浮上。ここから、ロリス・カピロッシ選手やマックス・ビアッジ選手と僅差のバトルを繰り広げ、8周目にカピロッシ選手、レース中盤の12周目にビアッジ選手を抜いて3番手に浮上し、レース終盤はビアッジ選手と2秒ほどの差を保ったまま周回を重ねて3位フィニッシュを果たしました。

これは現在でも不思議なのですが、なぜかリオGPが開催されていたネルソン・ピケ・サーキットの路面とブリヂストンタイヤは、グリップと耐久性の関係性などに関して相性が良かったんです。玉田選手とこのサーキットの相性も良かったのだと思います。そのことは、翌年の好成績にもつながるのですが、その話はまた今度!

最高峰クラス参戦開始から約1年半。この2年目は初めての表彰台登壇というのを最初の目標に掲げながら、気づけば年間16戦のシーズンはもう第12戦と終盤……という状況でのリオGP決勝3位表彰台でしたから、うれしさと同時に安堵したことを覚えています。レースで結果を残すというのは本当に難しくて、いろんな要素が組み合わさっていますから、どれかが優れていてもどこかに大きなマイナスがあるとうまくいきません。

また、当時のMotoGPの裏事情ということでは、このリオGPが開催された9月中旬……というより理想としてはもう少し早めのシーズン中盤に結果を残すということが、とても大きな意味を持っていました。というのも当時のMotoGPは、翌年の体制に関するさまざまな交渉が7~8月くらいからスタートするんです。ですから我々としては、交渉を進める中にいいところを見せておきたいという思惑があります。翌年、ブリヂストンはスズキとカワサキのファクトリーチームと新たに契約してタイヤを供給するわけですが、リオGPの段階で、当然ながらその交渉はスタートしていました。良いチームを得るためには、実力をアピールできる結果が必要。そういう意味でも3位という結果にほっとしたわけです。

ブラジルはとにかく行くのに時間がかかり大変で、治安が悪く不安なうえ、過去には運送業者の不手際でタイヤが期日に到着しないなどのトラブルもあり、ずっと良いイメージがなかったのですが、この初表彰台で悪いイメージが払拭されました!

2003年第12戦リオGP決勝、レース前半にロリス・カピロッシ選手とマックス・ビアッジ選手(写真左)を抜いた玉田誠選手(同右)は、ビアッジ選手を数秒差で従えたまま3位でゴール!

ブリヂストンと玉田選手、ネルソン・ピケ・サーキットの相性のよさは今でも不思議なほど

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