「僕たちは勝利を確信していた」

26年ぶり[劇的なカワサキ鈴鹿8耐優勝の舞台裏]藤原克昭へのスペシャルインタビュー

’93年以来、26年ぶりに鈴鹿8耐優勝を遂げたカワサキ。そのクライマックスは、劇的と呼ぶにもあまりに劇的だった。ファイナルラップでカワサキは転倒。赤旗のまま終わった決勝レース。いったんはヤマハの勝利とされ、その後リザルトが覆り、カワサキ優勝に──。裏側では、何が起きていたのか。そして、なぜ優勝できたのか。アシスタントチームマネージャーという立場で鈴鹿8耐に参戦し、勝利を獲得した藤原克昭さんが真実を語るインサイドレポート。

●文:高橋剛 ●写真:佐藤寿宏/Kawasaki Motors Europe/Kawasaki Motors Japan

誰が欠けても勝てなかった

「レオンと一緒に、ジョニーを迎えに行きました。ケガも心配でしたからね。僕も元レーシングライダーなので、転んでしまったジョニーの気持ちは分かる。ケアしてあげようと思って……。

ジョニーは泣き崩れてました。慰めようがなかった。とりあえずケガがなかったので安心はしましたが、何とも言えなかった。チームのスイートルームに戻って、僕はドロドロになったレーシングスーツやブーツをウエスで拭きました。

完全に負けたと思ってた」

藤原克昭 Katsuaki Fujiwara

【藤原克昭 Katsuaki Fujiwara】 全日本ロードや世界GP、スーパーバイク世界選手権、スーパースポーツ世界選手権、そして鈴鹿8耐など幅広いカテゴリーで活躍。’11年にはアジア選手権SS600ccでタイトルを獲得した。’14年に現役を引退し、アドバイザリースタッフなどを経て、現在はカワサキモータースエンタープライゼス(タイランド)でマーケティング部長を務めている。

――7月28日、午後7時28分。鈴鹿8耐は、トップを走っていたカワサキレーシングチーム鈴鹿8Hのジョナサン・レイがファイナルラップを迎えていた。あと2分足らずでチェッカーフラッグが振られる。後続は20秒以上後ろにいる。優勝が目前だったS字コーナーで、レイは転倒した。

数分前に、スズキエンデュランスレーシングチーム(SERT)のマシンが白煙を上げた。路面にオイルが出ていてもおかしくはない。ただ、その30分ほど前から小雨もぱらついていた。さらにレイ自身も、転倒の1周前に同じ箇所を何事もなく通過している。転倒の理由は、はっきりとは分からない。

ただひとつ確実なのは、ゼッケン10をつけてトップを走っていたカワサキニンジャZXー10RRが転倒し、マシンを止めたという事実だった。

直後に赤旗が掲出され、レースはそのまま終了となった。チェッカーフラッグが振られないレースは、どのチームが勝ったのか判然としなかった。

鈴鹿サーキット全体がクエスチョンマークで満たされている中、レイが転倒するまで2番手を走っていたヤマハファクトリーレーシングチームの優勝がアナウンスされた。

ヤマハのライダーたちが表彰台の頂点に立った、その影で――。

リザルトは覆り、カワサキの優勝が決まった

「レオン(ハスラム選手)とロン(レオン・ハスラムの父)の荷物のパッキングを手伝ったりしてるうちに、ジョニー(ジョナサン・レイ選手)もだんだん落ち着いてきた。『ゴメン……』と言うもんだから、『ゴメンなんていらんから』と。僕は『ありがとう』と言いました。彼は本当に素晴らしいレースをしてくれた。

『お腹が空いたし、先にホテルに戻るよ』と、ライダーたちは鈴鹿サーキットを出ていました。そして、『ご飯食べてるよ』なんてメールが来た頃だったかな。午後9時半を過ぎてたと思います。チームスタッフに『ちょっと来てください』と呼ばれて、『え? 何ですか? 何ですか?』と。そしたら、『リザルトが覆った。我々の優勝です』と聞かされました。

『うお〜〜〜っ!』と叫びましたよ。『ホントかよ!』と絶叫しながら、もう涙が止まらなかった。大泣きでした。悔し涙からうれし涙に変わって、もう何がなんだか分かりませんでした。

そこにちょうど就臣(加賀山選手)が通りかかったんです。就臣はリザルトが覆ったのをまだ知らなくて、僕が泣いてるもんだから、『カツ、残念だったな』と(笑)。「また頑張れよ」なんて言うんです。

『違うんだよ、優勝したんだよ! これはうれし泣きだから』『マジで!? すげえ!』と喜んでくれました」

’15~’18年に4年連続でスーパーバイク世界選手権のタイトルを獲得しているジョナサン・レイ(中央)、レイの幼なじみで互いに全幅の信頼を寄せ合うハスラム(左)、そして若手のホープであるラズガットリオグル(右)。「これはもう、勝利しかないと思った(藤原さん)」という最強のラインナップだった。

――世界耐久選手権のレースディレクションは当初、赤旗掲出から5分以内にピットに戻らなければならない、というルールに基づき、ヤマハの暫定優勝をアナウンスした。モトGPやスーパーバイク世界選手権にはそのようなルールが確かに存在する。

だが、カワサキレーシングチームからの抗議を受け、レースディレクションはEWC(世界耐久選手権)のルールを精査。赤旗掲出1周前のリザルトを採用して、カワサキの優勝とした。

ヤマハはその裁定に対し抗議することはなく、レース翌日の後車検を経て、正式にカワサキの優勝が確定した――。

セーフティカーか、赤旗か。判断は難しかったと思う

「レース中は『勝てる』なんて思いませんでした。ヒヤヒヤしてましたよ。

でも、『ひょっとしたら午後7時ぐらいにトップのHRCに追いつくかもね』なんて話はしてました。で、実際に『追いついたじゃん!』と。『抜いたじゃん!』と(笑)。トップに立った時は、そりゃあ盛り上がりました。

HRCの巧(高橋選手)は2スティントを連続走行して、本当にスゴイことだと思う。でもさすがにペースは上がってなかった。一方のジョニーは暗くなっても2分10秒台といういいタイムで走れてたんです。

トップに立ってからも、ドキドキの連続でした。楽勝ムードなんかこれっぽっちもなかった。2番手で追い上げてたヤマハのアレックス(ローズ選手)もすごく速かったですしね。

しまいにはどこかのチームが落としたサイレンサーをジョニーがスレスレで避けるシーンまであったりしてね。

『おい〜!』と叫んでるところをテレビカメラに抜かれましたけど(笑)、奇跡的に避けられたのを見て「これは持ってるぞ!」とは思いました。

そしてSERTのエンジンブローでしょう? その後、ジョニーが転んだ時は、チーム全員が立ち上がって『オーマイガーッ!』ですよ。でも、すぐに赤旗が出たから、これは勝ったぞと。大喜びでした。ところが最初はヤマハ優勝とされて、表彰台のてっぺんもヤマハ。ガックリなんてもんじゃなかった。悔し泣きですよ、ホント。

SERTのエンジンブローでセーフティカーを入れるか赤旗を出すかの判断は難しかったと思う。リザルトについても、いろいろな意見があると思います。でも、僕たちは勝利を確信していたし、会場のほとんどの人たちもカワサキを応援してくれてた。そういう熱い空気は感じましたね。

ただ、勝ちかと思ったら負けですからね。これ以上ないぐらいの気持ちの浮き沈みで、ジェットコースターみたいなものでした。でも、混乱してる中でも冷静なチームスタッフがいたんです。規則書を読んで、しっかり抗議してくれたおかげで、一転して優勝になった。そういう落ち着いた人がチームにいたっていうことも、大事だった思います。そう、誰ひとり欠けても今回の優勝はなかったんですよ」

#21ヤマハと直接争う場面も見られた。非常に高いレベルで展開したレースは、観客にとっても見応え抜群だったはずだ。

――昨年のカワサキは、カワサキチームグリーンとして鈴鹿8耐に参戦していた。ライダーはレイ、ハスラム、そして渡辺一馬。

レースウィークの土曜日、レイは40分間の計時予選で2分5秒403をマークし、ポールポジションを獲得。だが日曜日の決勝では、降雨によるセーフティーカー導入が長引く中、スリックタイヤのまま走り続けたレイが転倒。3位でレースを終えた。

その悔しさを経ての、今年だった――。

チームクルーの団結が栄光を呼んだ

「去年は、ジョニーが転んだ。現象だけ見ればその通りなんですが、あれはライダーの問題じゃなかったんですよ。

チームとして、難しい状況にしっかりと対応できるだけのプランを練っておかなくちゃいけなかった。あの時、優勝したヤマハを含めて数チームがピットインしてレインタイヤに交換してた。でも我々にはそこまでのシミュレーションができていなかったんです。

日欧混成チームの難しさがありましたね。指揮体系がしっかりしていなくて、自分が何をするべきかよく分かっていないスタッフもいたと思います。

今年はファクトリー体制になり、そのあたりも徹底的に見直しました。スーパーバイク世界選手権を戦うカワサキレーシングチームSBKのマネージャーであるギム・ロダを総監督に据え、基本的には彼が全体的なリーダーシップを発揮する。日本のチームグリーンのメンバーがマシンの準備やメカニックなどを務めるんですが、そこは黒川治監督がまとめる。そして僕はカワサキレーシングチームとチームグリーンの間に立つアシスタントチームマネージャーという立場です。

明確な指揮体系を作り上げて、連絡経路も分かりやすくしました。誰が何をするべきか、あるいは何かが起きた時には誰に従うべきか、すべてをクリアにしたんです。

その結果、今年のチームはすごくまとまりが良くなった。役割分担がはっきりしたことで、みんな自分のやるべきことがよく理解できて、それぞれのパフォーマンスを最大限に発揮してくれたんです。コミュニケーションも今まで以上にうまくいきました。

今回は、トルコ人ライダーのトプラック(ラズガットリオグル選手)も参戦しました。彼もとても速いライダーです。チーム戦略もあって、決勝で出走することはありませんでしたが、彼はジョニーやレオンがライダー交代する前後、レーシングスーツをすぐに着られるように準備して控えてくれていました。

ライダーとしては、もちろん走りたかったでしょう。僕も元ライダーとして気持ちが分かるだけに、トプラックに頼みづらい部分もあった。でも彼は、快く引き受けてくれたんです。

そうやって控えのライダーがいつでも走れるよう臨戦態勢を整えてくれているからこそ、ジョニーもレオンも安心して戦える。出走こそしませんでしたが、トプラックも第3ライダーとして立派にチームを支えてくれたんです。

決勝レースを終え、暫定表彰台の頂点に立ったのはヤマハファクトリーレーシングチームだった。午後9時半過ぎにリザルトが覆り、カワサキレーシングチームの優勝に。観客がほとんど帰ってしまった鈴鹿サーキットの表彰台に、ライダー、そしてチームクルーが揃った。「最初から表彰台だったら、こうしてみんなで表彰台に上ることもできなかった。貴重な体験ができたよ」と藤原さん(トロフィの左3人目でシャンパンを掲げている)。

また、チーフクルーのペレ・リバも素晴らしかった。スペイン人の彼は、かつて世界GPを走っていたし、スーパースポーツ世界選手権でも活躍しました。カワサキでのテストライダー経験も豊富です。

そんな彼だから、ジョニーやレオン、そしてトプラックという力のあるライダーたちをまとめられたんです。

やっぱり頂点をめざしてますから、ライダーたちだってピリピリすることもあるんですよ。いくらジョニーが世界王者とはいえ、思うようにならない時は苛立つことだってあるんです。

例えば予選などで思ったようなタイムが出せずにライダーたちがナーバスになっている時、ペレは『1発のタイムが出なくても、気にしなくていいんだ』と言うんです。『だから今はセッティングを変えないよ。タイムを分析すると、君たち全員が平均的にいいペースで走れているからね』といった具合に、すごくうまくライダーたちをコントロールしてくれました。実績があり、兄貴分としても慕われているペレだから、ライダーたちを落ち着かせることができたんです。

こんな風に、各人が自分の役割をしっかりと果たしたのが、今年の僕たちでした。ジョニーとレオン、ふたりのライダーの頑張りはすごかった。でも、優勝まで導けたのは、チームクルー全員が一致団結していたからです」

別格の走りを見せるジョナサン・レイ

――藤原克昭さん自身も、レーシングライダーとして活躍した。’02年、スーパースポーツ世界選手権でランキング2位に。’11年にはアジア選手権スーパースポーツ600ccクラスでチャンピオンを獲得している。鈴鹿8耐でも2位表彰台に立った。経験は豊富だ。

その藤原さんから見ても、レイの走りは別格だと言う――。

「正直言って、彼の走りはレベルが高すぎて、僕には何がなんだか分からないんですよ(笑)。もうね、ただひたすら『すげえ……』と唸るばかり。ケタ違いなんですよね。

頑張って分析するなら、まず挙げたいのは凄まじいほどの集中力。シケインの切り返しなんかは縁石のさらに奥を走ったりするんですが、毎周完璧に同じラインを通ってくる。ギリギリの走りをまるで機械みたいに安定して続けられるのは、ジョニーの集中力がズバ抜けているからです。

それに、マシンの理解度がハンパない。ニンジャZXー10RRのことを知り尽くしてますね。セットアップも含めて、どこをどうすればどうなるかを完全に掌中に収めてるから、マシンをまったく暴れさせません。あまりにもスムーズだから一見すると速く見えないんだけど、タイムを見てビックリ、みたいなことが多々あります。

具体的には、コーナーをとてもコンパクトにクルッと回れるのがジョニーの特長ですね。フロントを沈めて1次旋回、そしてすぐリヤに荷重を移して2次旋回という感じで、ピッチングの使い方がバツグンなんです。攻めてる感じがしなくてもしっかり向きが変わっているのは、ジョニーならでは。リスクも少ないライディングスタイルなんですよ。

本当にスゴいライダーですよ。筋肉マニアの僕からすると、ジョニーは体もスゴい(笑)。すごく柔らかい筋肉の持ち主で、体自体の柔軟性も高い。そして、めちゃくちゃタフです。

ジョナサン・レイの走りは夜間走行の時間帯になっても冴えまくっていた。レース中におけるファステストラップ・2分6秒805は200周目(全周回数は216周)に叩き出したものだ。

このフィジカルの強さは、レオンも共通してます。彼の体も素晴らしい。レオンはライディングも超一級ですが、張り切りすぎてクリッピングポイントを外すことがあるかな。ブレーキングで頑張りすぎて立ち上がりで遅れたりと、ちょっと不安定さがあります。本人に伝えると『分かってるよ~』なんて笑うんですけどね。

ただ、あくまでも『ジョニーと比べれば、多少は』というレベル。それにレオンは、マシンの開発能力も高いんですよ。今回の鈴鹿8耐で言えば、事前テストへの参加はレオンが2回、ジョニーとトプラックが1回ずつでした。

でもジョニーは、レオンを完全に信頼してるんです。幼なじみで仲が良く、一緒にモトクロスしたりして、気心が知れてるし、セッティングの方向性も似ている。『レオンが作ったマシンなら、僕は安心して走れるよ』って。

トプラックも含めて、4番バッター級が見事に揃ったチームでしたが、決して容易なレースではなかったし、準備万端でもなかった。テスト回数の制約もあって、レースウィークに入らなければできないことも多かったんです。

ライバルも強かった。HRCの巧も速かったし、ヤマハの克行(中須賀選手)もそう。ホンダ、ヤマハ、そしてカワサキ。ファクトリーの3チームはどこも強くて、どこが勝ってもおかしくなかったと思います」

マーケティング部長・藤原克昭

――現在、藤原さんはカワサキモータースエンタープライゼス(タイランド)、いわゆるタイカワサキに社員として勤務している。肩書きはマーケティング部長。15名の部下を従えて実際に製品のマーケティング業務を行いながら、アジア地域におけるカワサキのレース活動の全統括責任者でもある。

鈴鹿8耐の翌週にはすぐにタイランドサーキット選手権、さらにその翌週にはアジアロードレース選手権とレースが続き、多忙な日々を送っている。

それでも、モータースポーツと製品販売、そしてブランドイメージがダイレクトに結びついているアジアでの仕事を心底楽しんでいるのだ――。

「僕なんか、レーシングライダーしか経験してなかったんですよ。社会人経験ゼロなのに、現役生活を終えたと思ったらエリート集団であるカワサキの社員ですからね(笑)。

声をかけていただいたのはうれしかったし、こんなチャンスもないだろうと転身しました。『思い切って』という感じでもなかったかな。それまでもレースアドバイザーの仕事はしていたし、『社員としてタイに行ってもらえませんか?』と言われた時は、『あ、はい』って、すごく自然というか、すんなり受け入れられました。

レースとして普通に考えれば、今回の鈴鹿8耐は紆余曲折があってなんとも微妙な終わり方になりました。ちゃんとチェッカーフラッグを受けて、花火を眺めながら『うぉ〜!』とみんなで喜びたかったな、と思います。

でも、そのおかげで語り継がれるレースになったことも確か。マーケティング部長としては、これ以上ない宣伝効果が得られたと思っています。あんなプロモーションは、狙ってできるものじゃないですよ。

今回、とても強く思ったのは、鈴鹿8耐は感動を創り上げる素晴らしいレースだということです。そしてバイクは素晴らしい乗り物だということ。僕自身、めちゃくちゃ感動してましたからね。サーキットに足を運んだ観客の皆さん、テレビなどで観戦した皆さんも同じだと思います。

これは僕の個人的な意見ですが、皆さんの前で表彰台に立てなかった以上は、来年もカワサキレーシングチームとして鈴鹿8耐に参戦するべきじゃないかと思っています。このまま終わったら、ファンの皆さんの期待を裏切ることになるんじゃないかと。

来年の鈴鹿8耐ではキッチリと文句なく勝って、改めて表彰台のてっぺんで今年の分もみんなで喜び合いたい。そうやって伝説を作って、国内外のレースやバイク業界を少しでも活性化できたら最高ですよね。

何とも不思議な勝ち方にはなりました。でも、ライダーとしては勝てなかった鈴鹿8耐で、素晴らしいライダー、素晴らしいチームクルーたちと優勝できたことは、最高に幸せです。マーケティング部長という第2の人生で優勝を味わえるなんて、ホント、良くできたシナリオですよ(笑)」

EWCシリーズ王座もカワサキが奪取

鈴鹿8耐はEWC 2018-2019シーズンの最終戦でもある。SERTのエンジンブローにより、チームSRCカワサキ・フランスが初タイトルを獲得した。

KAWASAKI Ninja ZX-10RR [2019 Suzuka 8hours Winning Machine]

【Kawasaki Ninja ZX-10RR】2019 Suzuka 8hours Winning Machine
鈴鹿8耐仕様のNinja ZX-10RRは、実績のあるBEET製マフラー「NASSERT Evolution」を採用している。扱いやすいエンジン特性とパワーアップに寄与。カワサキワークスチームには’96年から正式採用されているBEETのマフラーが、ついに鈴鹿8耐の頂点に立った。
燃料タンク容量はEWC(世界耐久選手権)のレギュレーションにより最大で24リットルと定められている。パワーはもちろん、燃費も勝敗を分ける大きな要素になっている。
SHOWA製サスペンションは、ブリヂストンタイヤとのセッティングが出来上がって好タイムを連発していた昨年の8耐と同仕様。普段はピレリで走るライダーたちも難なく乗り換えた。
STDのNinja ZX-10RRとはまったく異なり、上下逆にしたような形状のスイングアーム。剛性向上とバランス取りを図る。鈴鹿8耐仕様は、SBK仕様、JSB1000仕様とも同様のようだ。

※2019年8月24日発売のヤングマシンに同じ記事が掲載されます。ページをめくる感触を楽しみたい方、保存版としたい方はそちらもよろしくお願いします!

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