レースと同じで、こういう時だからこその平常心を

世界GP王者・原田哲也のバイクトーク Vol.30「勝利という目標のために、抑えるところは抑える」

  • 2020/4/1
岡田忠之、原田哲也、青木宣篤

1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第30回は、全日本で激闘を繰り広げた1992年を振り返ります。

TEXT:Go TAKAHASHI
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モータースポーツの開幕戦も、いつになるか読めない状況

前回のコラムから2週間。新型コロナウイルスはさらに蔓延しています……。僕もこの春は仕事で日本に行く用事がいくつかあったのですが、すべてキャンセルになってしまいました。フライトも思うように変えられず、困っています。モナコの街は、人っ子ひとり歩いていない……というわけではありませんが、さすがに人通りも車通りも激減しています。

隣のイタリアもフランスも、かなり大変なことになっていますね。イタリア人の友人は、「同級生が何人も命を落とした」と嘆いています。国境を越えることはもちろんできないので、今は何もできません。気晴らしにバイクに乗ろうにも、モナコは2kmも走れば国境という小国なので、ツーリングもできない。そもそもモナコでも毎日10人ぐらいずつ感染者が増えているので、なるべく出かけない方がいいに決まっています。でも、おかげさまで原田家はみんな元気です。スーパーから商品はだいぶ減ってきましたが、一応は普通の生活ができていますから、ありがたいことです。

モータースポーツの世界も大変な影響が出ていますね。MotoGPもF1もその他のカテゴリーも延期、延期で、いつちゃんとした開幕を迎えられるのか分からない状態です。いい加減なことは言えませんが、ヨーロッパに住んでいる感覚としては、今年はちょっと厳しいのかな、という気がしています。自国だけの問題じゃありませんからね。こうなると、今まで無意識のうちに「開催されるのが当たり前」と思っていたレースやスポーツが、いかにありがたい存在だったかがよく分かります。

出歩けない、レースもないというなかなかハードなシチュエーションですが、僕はそんなにストレスも感じていませんし、平常心のまま過ごしています。こればっかりは自分の力ではどうにもなりませんからね。どうにもならないことを考えすぎても仕方がない。せっかく時間ができているので、新型コロナウイルスが収束した時に向けて、いろんな企画を考えています。というのは、バイクに関してやりたいことがたくさんあるんです。YouTubeでいろんな動画を見ていると、どんどんアイデアが湧いてきます(笑)。

こういう時だからこそ、平常心でいられることは結構大事なのかな、と思います。レースでも常に冷静だったので、「クールデビル」なんて呼ばれましたが、実際そういうタイプでしたからね(笑)。レースは「熱くなったら負け」です。どんなに激しいバトルの最中でもカッとなって我を忘れたことはありません(誰かさんにぶつけられた時はカッとしましたが)。決勝中は、タイヤや路面やエンジンのコンディション、そしてライバルたちの動向を冷静に見極めて、レース戦略を立てなければならないんです。我を忘れている場合じゃない。

勝つためには、欲をかいてはいけない

これは僕のもともとの性格もあると思いますが、どちらかといえば子供の頃からのレース経験で培われた「勝つための方法論」かな……。例えば決勝レース中にライバルから1、2秒離されたとします。大きなビハインドですよね。そこで慌ててしまうと、無理して転倒することになります。でも慌てずに状況判断すれば、ハイペースすぎたライバルのタイヤが先にタレて、自分が前に出られるかもしれません。もちろん、抜くことができずに2番手で終わるかもしれない。でも、転倒したらそこで終わり。どっちを選べばいいかは、すぐ分かりますよね。

’92年、全日本250ccクラスは岡田忠之さんと何度も何度も僅差の勝負になりました。あの年は、僕と岡田さんのふたりが抜きん出ていたので、正直言って岡田さんのことだけを意識してました。どっちみちふたりの戦いなので、最終ラップの最終コーナーで岡田さんの前に出ることだけに集中すればよかったんです。これは本当の話ですが、スタートしてオープニングラップを終えた時点で、「さあて、最終ラップはどうするかな!?」と考えてました。

岡田忠之、原田哲也

1992年、全日本ロードレース第3戦[菅生]では岡田忠之選手が優勝。原田哲也選手は2位だった。ちなみにタイトルカットは第7戦[菅生]で、最終コーナーでリヤをスライドさせた岡田選手を0.001秒差で逆転し、原田選手が優勝している。 [写真タップで拡大]

もちろん、途中でも少しは仕掛けてみるんです。ぶっちぎれるならぶっちぎりたいですからね。でも、自分が前にいてちょっとペースを上げても、岡田さんはヒタヒタと着いてくる。「これはダメだ」と、すぐタイヤ温存の走りに切り替える。しばらく走って、もう1度トライしてみる。でも岡田さんは着いてくる。「やっぱり最終ラップの最終コーナーかな」と、途中で出し抜くことは諦めるんです(笑)。

逆に、自分が岡田さんの後ろに着いている時は、徹底的に走りを観察します。どのコーナーが自分より速いのか、どのコーナーは自分の方が遅いのか、岡田さんのタイヤコンディションはどうか、そして自分のタイヤは……? 相手の弱点と自分の強味を照らし合わせながら、勝負の仕掛け方を考えます。決勝レース中はかなり頭を使ってたんですよ(笑)。ということは、それだけマージンを持って走っていた、ということなんです。

長丁場のレースでは、スタートとゴールまでの間に燃料が減り、タイヤが摩耗し、自分自身も疲れて、コースにはラバーが乗るなどして、どんどん状況が変わっていきます。そんな中で走りに夢中になっていては、変化に対応しきれません。だからマージンはかなり取っていたと思います。世界GPではよく4、5台のトップ争いになったんですが、僕はメインストレートを走り抜けながら自分のとライバルふたりぐらいのサインボードを同時に見て、ラップタイムの差を頭の中で計算してたんですよ。走ることだけに集中してたらムリな芸当でしょう?(笑)

結局、一番いけないのは欲をかいてしまうこと。例えば目の前のライバルを抜くことに夢中になったり、決勝レース中により良いラップタイムを出そうとしたり……。何か欲を出すと、だいたい転倒を招いたり、タイヤが終わってしまったりと、いいことになりません。もちろん「勝ちたい!」と強く思ってるけど、それは目標。欲望とは違います。目標を達成するためには、欲を抑えないといけないんです。つまり、冷静で、平常心を保っていなくちゃいけない。

新型コロナウイルスに対しても同じじゃないかな、と思います。今は欲を抑えて、ガマンするべきことはガマンする。そして収束した後のことを考えて、準備しておく。だから今日も僕はYouTubeで勉強です(笑)。

1992年 全日本ロードレースIA250プレイバック

岡田忠之、原田哲也

1992年、全日本ロードレース第5戦[筑波]。この時は最終ラップに仕掛けたが及ばず、岡田忠之選手が優勝した。 [写真タップで拡大]

開幕戦 [美祢] 雨で中止
第2戦[筑波] 岡田優勝/原田リタイヤ(新人だった宇川選手の転倒が引き金となり福智選手と接触、転倒)
第3戦[菅生] 岡田優勝/原田2位(最後のストレート加速で逆転)
第4戦[鈴鹿] 原田優勝/岡田2位(最終シケインで抜かれたが抜き返した)
第5戦[筑波] 岡田優勝/原田2位(最終ラップに仕掛けるが実らず)
第6戦[鈴鹿] 原田&岡田優勝(伝説の同着優勝)
第7戦[菅生] 原田優勝/岡田2位(コンマ001秒差の逆転)
第8戦[富士] 岡田転倒、原田トラブルでリタイヤ(難波恭司選手が初優勝)
第9戦[鈴鹿] 原田優勝、岡田転倒(同ポイントで並び、ランキング首位)
第10戦[仙台] 原田12位、岡田欠場(雨)
第11戦[菅生] 原田優勝、岡田4位
第12戦[筑波] 原田優勝、岡田3位

1992年シーズンは、原田哲也選手が初タイトルを獲得。最終ポイントは161P、岡田忠之選手の最終ポイントは145Pだった。翌年からはともにWGPへ。

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1993年ロードレース世界選手権(WGP)250の世界チャンピオン。1992年に全日本で同クラスのチャンピオンを獲得し、翌年に初挑戦のWGP250で戴冠した。現役当時のニックネームは「クールデビル」。'02年に現役を引退し、現在はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。