先日、トヨタとカワサキが水素エンジンの開発でタッグを組むかも!? というニュースをお伝えしたが、ではどうして、彼らはそこまで水素にご執心なのだろうか? 一見ライダーには関係なさそうに思えてしまう話題だが、我々が水素エンジンバイクをブイブイ乗り回すことのできる未来がやってくるには、トヨタ&カワサキの思い描く未来を理解しておく必要がありそうだ。“究極のクリーンエネルギー”と言われる水素には、日本の未来が懸かっているかもしれないのだから!?
●文:ヤングマシン編集部・松田大樹 ●写真:トヨタ自動車/川崎重工/HySTRA/編集部
水しか排出しないのに“快音”を響かせる
水素エンジンを搭載するトヨタの研究車両兼レース車両「水素エンジンカローラ」が、市販車で競われる「スーパー耐久」レースで確実に成果を残している。初参戦となった2021年5月の富士大会(24時間耐久)、さらに7月のオートポリス大会(5時間耐久)に続き、9月18日〜19日に鈴鹿で開催された5時間耐久にも参戦、ガソリン車やディーゼル車に混じって3度目の完走を果たしたのだ。
この水素カローラは、トヨタの市販スポーツカー「GRヤリス」の1.6L・3気筒ターボをベースに、インジェクターを水素対応品(ガソリンのように液体ではなく、気体を噴射する)に変更し、ガソリンより約8倍も燃焼速度が早いという水素に対応してヘッド回りを改修するなどしたエンジンを搭載している。燃料が水素なので、燃焼させても排出されるのは基本的に水だけ(厳密には窒素酸化物=NOx対策も必要)だが、基本がガソリンエンジンと大きく変わらないため、マフラーからは内燃機関らしい“快音”を響かせるのも特徴だ。
性能面もレースを重ねるたびにアップデートされており、鈴鹿戦での出力は市販GRヤリス(272ps)と全く同一のレベルにまで改善。実験車両という性格上、多数の計測機器を搭載することもあって車重が重く、GRヤリス同等のパフォーマンスとは行かないものの、格下の1500cc・NA車と競るレベルだった富士戦から、今回の鈴鹿戦ではその1クラス上の2000cc・NA車をストレートスピードで上回るまでに進化するなど、パフォーマンス面ではわずかな期間で急激に向上している。車両開発を仕切るGAZOOレーシングカンパニー(=トヨタのレース&スポーツカー開発部門)の佐藤恒治プレジデントによると、鈴鹿で記録したラップタイムは想定より2秒も速いとのこと。
現状での課題は航続距離だろう。後席のスペースを埋め尽くすようにして全容量180Lの水素タンクを搭載しているものの、700気圧という高圧を掛けてタンクを満タンにしても貯蔵できる水素は8kg前後。1周約5.8kmの鈴鹿では約8〜9周ごとに給“水素”が必要となってしまう。とはいえ、こうした問題をレースというフィールドであぶり出すことが水素カローラの目的だし、そもそもまだ3戦目。今後のアップデートに期待したいところだ。
水素カローラは豊田章男社長の肝いり
この水素カローラ、今や日本産業界の顔とも言える、トヨタの豊田章男社長肝いりのプロジェクトであり、自ら“モリゾウ”のエントリー名で参戦ドライバーのひとりを務めているのも特徴だ。では、なぜ社長が前面に出るほどに注力しているかと言えば、このプロジェクトが水素エンジンの実験レベルに収まる話ではないからだ。
豊田社長は以前より「カーボンニュートラルの敵は内燃機関ではなく炭素(CO2)」と訴えている。近年、カーボンニュートラルの実現にはピュア電動車両こそ唯一絶対の正解と捉える風潮が強い。しかしそうではなく、CO2を効率よく削減するには電動はもちろん、ハイブリッドや内燃機関を含めた様々な選択肢を揃え、地域や用途ごとに最適な方法を選択するのがベストのはずだ……というのがその主旨。ひいては、それが日本で自動車産業に関わる人々の雇用を守り、日本の基幹産業を守ることにもつながると繰り返し主張している。
その“選択肢”のひとつが燃やしても水しか発生しない究極のクリーンエネルギー・水素というわけ。つまり水素カローラはカーボンニュートラル時代に水素という選択肢を提示するため、水素燃料でレースを戦い、それに伴って生じる問題や課題を浮かび上がらせるための走る実験室なのだ。さらに水素という分野はまだまだ研究途上だけに、トヨタとしては共に研究開発を進める“水素仲間”が喉から手が出るほど欲しい。水素カローラには水素の将来性をアピールし、共感を集める広告塔としての役割もある。“モリゾウ選手”がドライバーを努めるのも話題性を高めるための一策だろう。
噛み砕けば、モリゾウ君は水素カローラでレースに出て“面白そうでしょ? 日本の未来はコッチだyo!”とPRし、一緒に遊んでくれる水素トモダチを絶賛募集中……とでも例えればいいだろうか。実際、既に電源開発(Jパワー)や川崎重工、岩谷産業といった企業がプロジェクトへ参画しており、水素を「使う」トヨタを軸に、「作る」や「運ぶ」企業を巻き込んで水素仲間の輪は広がりを見せつつある。このあたりは後述しよう。
「水素で行く!」既に全開推進中の川崎重工
その水素トモダチのひとりである川崎重工が、トヨタとの水素エンジンの共同開発に前のめりで……というニュースは先にお伝えした。現実的には水素エンジンは開発の途についたばかりで、実用化は電動よりもさらに先だというのが技術者に共通する見立て。しかし、とあるカワサキの2輪関係者は「我々は電動もハイブリッドも開発を進めており、その可能性は十分に把握しているが、やはりバイクの根源的な魅力とは“燃料を焚いてナンボ”。そうした意味でも水素は非常に魅力的だ」と語る。
じつは川崎重工は2020年11月に発表した“グループビジョン2030”という事業方針書にて、究極のグリーンエネルギーとして水素社会の実現を目指すことを既に発表している。社内には水素関連事業の部署が存在しており、水素ガスタービンによる発電システムはほぼ実用化。さらに水素を動力源に用いる船舶や航空機、鉄道に加え、一般ユーザー向けと思われる水素ビークル(資料内には3輪水素バイクのCGも存在!)も開発を進めるとしている。
トヨタにはない川崎重工の強みは、モビリティに留まらずインフラ作りにも関われる点だろう。後述するが6月には世界初の水素運搬実験船「すいそ ふろんてぃあ」も完成させており、さらには“水素を石油や天然ガスのように使える社会”を目指して計7社で設立した「HySTRA(ハイストラ)」という技術研究団体では、川崎重工の執行役員が理事長を努めている。実はトヨタと絡む前から“水素で行くぞ!”という明確な方向性を打ち出しているのだ。
このように水素事業に本腰を入れて推進していながらも、基本的にはBtoB(企業対企業)事業が主体となる川崎重工だけに、一般向けにアピールを行い、幅広く水素事業への理解や共感を集めるプロセスが足りていないという悩みはあったはずだ。そこへ、知名度抜群の豊田社長が水素エンジン車でレースに出るというプロジェクトへの参画オファーである。川崎重工にとってはまさに渡りに船だったろう。
鈴鹿サーキットで行われた、トヨタとの共同会見における川崎重工・橋本康彦社長の「(トヨタの想いに)大変共感し、共に水素社会を実現したい!」という興奮気味なスピーチからもそれは伺えたし、トヨタから見てもインフラに加えて陸・海・空すべてのモビリティを有するコングロマリットは、この上なく頼りがいのある水素トモダチといっていいはずだ。
水素社会の縮図がここにある
ここからはトヨタが旗を振るプロジェクトに、水素トモダチがどのように絡んでいくのかを説明しよう。水素カローラの開発自体は順調と言えそうだが、水素社会実現に向けた最大の課題は「どうやって水素を作るか」「それをいかに運ぶか」の2点にある。安く大量に水素を作り、それを確実に市民生活の場に供給できないことには、エンジンだけが快調に回っても水素社会など絵に描いた餅だからだ。
まずは、戦後日本の電力確保にも尽力してきた電源開発が“褐炭(かったん)”から水素を作る。褐炭とはいわば低品位な石炭で、世界中に大量に存在するものの、自然発火しやすいため輸送が困難で、現地での発電程度にしか利用されていないという未利用のエネルギー。価格も石炭の約10分の1と非常に安い。これを水素化して運ぼうというわけだ。今回使う褐炭はオーストラリアのラトローブバレーで露天掘りされたものだが、この場所だけでも日本の総発電量の240年分(!)に相当する埋蔵量があるという。
この水素を日本まで運ぶのは、先述した川崎重工の水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」。マイナス253度で液体化させ、気体時の800分の1の体積になった水素を1250㎥のタンクに貯蔵、日本までの9000kmを16日間で運ぶ。コロナ禍で完成が遅れ、今回の鈴鹿戦には水素運搬は間に合わなかったものの、この水素タンクが驚きの優れモノなのだ。なんと、100℃の液体を入れて1ヶ月放置しても温度の低下はわずかに1℃以下!。超高性能な巨大魔法瓶とでも言えばいいだろうか。ちなみに一度に運べる量は約75トンと、トヨタ・ミライの満タン(=約5kg)の約1.5万台分に相当する。
そして日本に到着した褐炭水素は、家庭用LPガスでは国内でトップシェアを誇り、その備蓄や輸送にも多大なノウハウを持つ「プロのガス屋」で、かつ日本全国に53ヶ所の水素ステーションも展開している岩谷産業が「使う」人の元へと運ぶ。オーストラリアから日本への船舶輸送を動脈とすれば、こちらは毛細血管に例えられるだろうか。ここも非常に重要で、市場の隅々まで行き届く供給網が構築できてこそ、我々が気軽に水素を使える社会が実現できるのだ。
こうした水素のサプライチェーン構築は前述のHySTRA(電源開発や岩谷産業も参画している)が主体となって進めているものだが、ここに水素を使う、いわばユーザーである水素カローラが加わってサイクルを構成することで、これ自体がそのまま水素社会の縮図になっている点に注目して欲しい。この規模を拡大していけば、それはそのまま「作る」「運ぶ」「使う」の大規模水素サプライチェーンの構築につながる。つまり水素カローラのプロジェクトは、レースの場を借りた水素社会の実証実験にもなっているのだ。
モビリティの覇権争いは、もはや経済戦争といっていい
「でも、その水素カローラを1km走らせるのにいくら掛かってるのよ?」といった批判的な意見もあるだろう。しかし現状は小さな水素社会ムラを作って、その中で「作る」「運ぶ」「使う」を回し、どんな問題が生じるのかを見極めようよという段階。もちろんコストを計算すれば膨大な数字になるだろうが、実験段階である以上、現状でそこを追求することにはあまり意味はないだろう。
とはいえ川崎重工は「すいそ ふろんてぃあ」の128倍の水素を運べる超巨大運搬船の計画に既に着手しており、大量運搬でコストを下げ、2030年頃に本格商用化を目指すというスケジュールを既に描いている。HySTRAによれば、すべての計画が目論見どおりに進めば、褐炭水素はLNGよりも少し高いくらいで供給できるかも……という試算もあるそうだ。
日本の自動車業界は今、欧州からの大胆かつ性急な“ピュア電動化”にどう対処するかを求められている。正しいかどうかはともかく、ここだという瞬間にズバッと判断を下してガラリとルールを変え、その際には多少の犠牲が出ることも厭わない……というやり方は、まさに狩猟民族たる彼らの面目躍如。欧州が今後のモビリティ覇権をなりふり構わず握りに来ているのは明白で、大げさに言えば日本は今、形を変えた戦争を仕掛けられていると言っていい。
実は水素エネルギーの研究開発は、日本が世界をリードしている数少ない分野なのだという。日本がエネルギー分野でイニシアチブを握れる可能性を秘めており、これが「日本の雇用を守る」という豊田社長の主張にもつながるわけだ。今後モビリティの分野で電動車が存在感を増していくのは間違いないが、それで全世界の全人類を満足させられるほどカーボンニュートラルは単純な話ではないだろうから、豊田社長の「カーボンニュートラルの実現には選択肢が必要」という意見も筆者としてはごく正論だと感じる。
となれば、水素を燃料にレースを走るカローラと、その背後で連携を強める企業によるこのプロジェクトは、単なるクリーンエネルギーの共同実証実験という枠を超え、日本を背負った一大エネルギー事業へと進んでいく可能性も秘めている。日本全体から水素社会への共感を集め、一致団結して日本を守り、日本を救う……。水素カローラを旗印にトヨタや川崎重工が描いている絵図とは、そんな壮大なレベルと言っていいのかもしれない。
余談ですが……我々の趣味にも“選択肢”を!
最後に“水素エンジンバイク”の実現可能性にも触れておこう。現在、川崎重工・水素戦略本部で副本部長を務め、それ以前にはなんと! ニンジャH2のスーパーチャージドエンジンの企画にも携わっていたという西村元彦さんによれば、水素燃料のエンジンを成立させる“だけ”なら、既存ユニットをベースにシリンダーヘッド周辺の改良などで対応できるのだという。むしろ問題となるのはそれ以外。例えば転倒時、超高圧で貯蔵している水素の漏れや引火をどう防ぎ、いかに安全性を確保するか。これはガソリン車とは比較にならないほど高圧化する配管類に関しても同様だ。
しかし西村さんは、気体の水素をスポンジのように吸収する金属「水素吸蔵合金」を使い、水素を固体化して安全性をクリアする方法も考えられると語る。これなら高圧も不要の上、液体化する以上に水素をコンパクトに貯蔵することが可能になるのだという。気体→液体化した水素は体積が800分の1になるのは先述した通りで、仮にこの技術が実用化できれば、4輪よりもスペースに余裕のない2輪ではむしろバッテリーEVより有望なのでは……とも思えてくる。
もちろん金属だから重量的には嵩むはずだし、吸蔵された水素をどう取り出すのかといった課題も残る。しかし、趣味というのはイコール多様性だ。V型、直列、シングル、2スト……と様々なエンジンが存在し、それぞれが色とりどりの特性や乗り味を見せてくれるからこそバイクは楽しい。もちろん電動だって面白いけれど、バッテリー+モーターではどうしたってパワートレーンは均質化してしまう。カーボンニュートラルだけでなく、趣味の世界にも選択肢を残してほしい。そのためにも水素というエネルギーは、我々バイク乗りにも魅力的な存在だと思えてくるのだ。
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