![メグロZ97型[1937]](https://young-machine.com/main/wp-content/uploads/2021/02/1937_Z97-1.jpg)
●文:モーサイ編集部(小関和夫 上野茂岐) ●写真:八重洲出版
60年の時を経てカワサキが復活させたブランド「メグロ」だが、実は、カワサキとは別の企業の名に由来している。
メグロとは「目黒製作所」というメーカーが作ったバイクの名。目黒製作所は大正時代に誕生し、戦前から戦後直後において、陸王と並ぶ“国産大型2輪車の名門”だった。
2輪車という存在自体が極めて珍しいものだった時代に、目黒製作所はどのようにして大型2輪車の開発/製造に着手したのか。その原点を紹介する。
目黒製作所創業者のひとり・村田延治は、大正時代に“国産ハーレーの開発”に携わっていた
ハーレーダビッドソンの輸入が始まった大正時代。軍用車としての需要もふまえ、“国産ハーレー”の誕生を目指す動きが国内で高まった。
当時、輸入を行っていたハーレーダビッドソンモーターサイクル株式会社の親会社・三共(現・第一三共)が、陸軍と相談し形になったのが有名な「陸王」だが、“ハーレーの国産化”を目指したのは彼らだけではなかった。
1922年(大正11年)に、東京赤坂の勝精(かつくわし)伯爵の屋敷内で、渋沢栄一などの援助を受けた村田鉄工所が、ハーレーを模した1200ccVツインのバイク「ヂャイアント号」を3台完成させていたのだった。
しかし、当時のハーレーの価格が1台1400円だったのに対し、ヂャイアント号の製造コストは1台4000円と高価になり、量産計画は水泡に帰してしまう。
1924年(大正13年)8月、村田鉄工所の社長だった村田延治は、勝伯爵の屋敷内にあった自らの鉄工所を閉鎖するにあたり、友人の鈴木高治に鈴木鉄工所を立ち上げさせた。場所は東京市大崎区目黒村(現・品川区桐ヶ谷)。
その後、村田は勝家を離れて鈴木と合流し、「目黒製作所」を設立する。
信頼性の高さから“目黒のミッション”と名を馳せ、自社製エンジンの開発へ
新たに工場を立ち上げたとはいっても、そこは4軒長屋の1軒にすぎなかった。だが幸いなことに、丸石商会がトライアンフを日本で一部組立てていたため、目黒製作所は補修用ミッションの製作を開始。
事業は順調に進み、折からの3輪トラックブームもあり、エンジン製作の注文も舞い込むようになった。
ミッションは英国製のバーマンなどを参考にし、エンジンはスイスのモトサコシが搭載していたMAGを参考にした。
エンジンは500cc/600cc/650ccの空冷OHVシングルと水冷のOHV750ccVツインがあり、ヂャイアント号での経験が生かされた。
さらに自動車用には水冷V4も手がけるなど、目黒製作所の技術レベルは極めて高いものであった……
※本記事は2021年2月16日公開記事を再編集したものです。※当記事は八重洲出版『日本モーターサイクル史1945→2007』の記事を編集したものです。
モーサイの最新記事
仕事を通じてわかった、足を保護すること、足で確実に操作すること 今回は、乗車ブーツの話をします。バイクに乗る上で、重要な装備の一つとなるのが乗車ブーツです。バイクの装備といえばヘルメットやジャケット、[…]
【燃料タンク容量考察】大きければ良いってもんではないが、頻繁な給油は面倒だ 当たり前の話ではあるけれど、燃費性能とともに、バイクの航続距離(無給油で連続して走れる距離)に関係してくるのが、燃料タンクの[…]
バイクいじりで手が真っ黒、そんな時どうしてる? バイクいじりにつきものの、手の汚れ。 特に、チェーンのメンテナンスやオイル交換など、油を使った作業となるとタチが悪い。 ニトリル手袋やメカニックグローブ[…]
松戸市〜成田市を結ぶ国道464号の発展 かつて、千葉県の北総地区は高速道路のアクセスが今ひとつ芳しくなかった。 常磐自動車道・柏インターや京葉道路・原木インターからもちょっとばかり離れているため、例[…]
創業100年を迎えた青島文化教材社「草創期から異端派だった?」 中西英登さん●服飾の専門学校を卒業するも、全く畑違い(!?)の青島文化教材社に2000年に入社。現在に至るまで企画一筋。最初に手がけたの[…]
最新の関連記事(バイク歴史探訪)
ボクサーエンジンの誕生、最強バイクとして世界中でコピー BMWといえば、2輪メーカーとしてスーパーバイクS1000系からボクサーのRシリーズなど、スポーツバイクで世界トップに位置づけられるメーカーだ。[…]
軽二輪の排気量上限=250ccスクーター登場は、スペイシー250フリーウェイから ホンダPCXやヤマハNMAXなど、ボディサイズは原付二種クラスでありながら排気量150〜160ccの軽二輪スクーターを[…]
1965年までは“クルマの免許”に二輪免許が付いてきた 80歳前後のドライバーの中には、「ワシはナナハンだって運転できるんじゃよ、二輪に乗ったことはないけどな(笑)」という人がいる。 これは決してホラ[…]
ホークシリーズ登場後、すぐにホークIIIを投入。“4気筒+DOHC”勢に対抗したが… 1977年の登場から1〜2年、扱いやすさと俊敏さを併せ持つホークシリーズは一定の人気を獲得したが、ホークII CB[…]
生産台数の約7割を占めた、ハーレーの“サイドカー黄金時代” 1914年型のハーレー初のサイドカー。ミルウォーキーのシーマン社がカー側を製作してハーレーに納入。マシン本体にはカー用のラグが設けられており[…]
最新の関連記事(名車/旧車/絶版車)
ヤマハ・ハンドリングの真骨頂、パイプ構成では得られないデルタ形状アルミ鋼板フレーム! 1980年に2スト復活を世界にアピールしたヤマハRZ250の衝撃的なデビューに続き、1983年にはRZ250Rで可[…]
RZ250を上回る新テクノロジー満載! 1979年にホンダがリリースした、まさかの2ストローク50ccスポーツのMB50(広告なでの名称はMB-5)。 250ccやビッグバイクのスケールダウン・デザイ[…]
現在に続くミドルクラスの基盤は日本メーカーが作った ’70年代の2輪業界における最大のトピックと言ったら、日欧のメーカーが歩調を合わせるかのように、ナナハン以上のビッグバイクを発売したことだろう。もっ[…]
過激な初代からフレンドリーな後継モデルへ カワサキのビッグバイクと言えば、優れた資質を備える初期型をベースにして、2代目以降で徐々に動力性能を高めていくのが通例だ。だがマッハシリーズの場合は、初期型が[…]
ヤマハ・ハンドリングのこだわりを400レプリカ路線へ融合! 1980年にRZ250をリリース、レプリカの時代に先鞭をつけたヤマハも、4ストのスポーツバイクXJ400系ではツーリングユースを前提とした、[…]
人気記事ランキング(全体)
火の玉「SE」と「ブラックボールエディション」、ビキニカウルの「カフェ」が登場 ジャパンモビリティショー2025でカワサキが新型「Z900RS」シリーズを世界初公開した。主軸となる変更はエンジンまわり[…]
KATANAというバイク 一昨年のこと、キリンと同じ年齢になったことをキッカケにKATANA乗りになったYです。 ノーマルでも十分乗り易いKATANAですが、各部をカスタムすることで、よりカタナ(GS[…]
外観をスタイリッシュにリニューアルしたトリシティ125 前回のトリシティ300に続き、今回試乗を行うのも前2輪を持つLMWシリーズのトリシティ125。ちなみにLMWとは、リーニング・マルチ・ホイールの[…]
グランプリレースの黄金時代が甦る! 1970年代~80年代にかけて伝説的なアメリカンライダーのケニー・ロバーツ氏が走らせたYZR500は、イエローのストロボライン(ヤマハは現在スピードブロックと呼称)[…]
最新の投稿記事(全体)
フロントまわりの軽さも操縦しやすさに大きく貢献 猛暑が続いていても、やっぱりバイクに乗りたい…というわけで、今月はCB750 HORNETでプチツーリングしてきました! このバイクは、アドベンチャー系[…]
ドライグリップを最大化した公道用タイヤ 2020年の年初に発売され、各メーカーのスーパースポーツマシンにOEM装着されてきたレーシングストリートRS11に後継モデルが登場した。 新作のバトラックスレー[…]
気鋭のクルーザー専業ブランドによるカスタムクルーザー 以前に試乗記事などをお届けしたBENDA(ベンダ)がいよいよ本格上陸する。日本での輸入販売を手掛けるウイングフットより取り扱い開始が発表されたのだ[…]
Z1100とZ1100 SEの国内販売を正式発表 先に欧州で発表されたスーパーネイキッド“Zシリーズ”の長兄たるZ1100 SEがジャパンモビリティショーで日本初公開され、国内販売画正式発表された。ス[…]
入れないとどうなる?フロントフォークのオイル はいどうも、みなさんこんにちは。本日は愛車DT50のフロントフォーク定期メンテナンスをやっております。 トップのキャップボルトを外してカラーを取り出して、[…]














































 
   
   
   
   
   
  