「自分たちがワクワクするモノを生み出す」RSタイチ創業者&3代目社長が語る歴史と展望【50年カンパニー Vol.8】

「自分たちがワクワクするモノを生み出す」RSタイチ創業者&3代目社長が語る歴史と展望【50年カンパニー Vol.8】

創業50周年を迎えた2025年、創業者の吉村太一から数えて3代目の社長に吉村裕彦が就任したアールエスタイチ。ライディングウエアやモトクロスギア、レーシングスーツや各種プロテクター、ツーリングギアまで幅広くラインナップする総合バイク用品メーカーだ。独自性の強い商品により数多くのファンから強い支持を受けているアールエスタイチの、創業から今日に至るまでの51年の歴史と今後の展望について、創業者の太一と現社長の吉村裕彦に語ってもらった。


●取材/文:Nom ●写真:箱崎大輔/アールエスタイチ

宣伝一流、販売三流で経営が悪化

全日本、そして海外でもモトクロスライダーとして活躍していた吉村太一が、レースを引退してライダーズスポットタイチ(以下アールエスタイチ)を創業したのは1975年のことだ。

「レースを止めたときに、バイクのことはもう止めよう、ほかのこともできるんじゃないかと思いました。でも、やることもなくブラブラしていたら、山本光学の方に『もったいない。南海部品さんに言っといてやるから店でもやれ』と言われ、まあそれもいいかと思って24坪のショップを作って、部品・用品の販売を始めました」(太一)

スズキ、ホンダのワークスライダーとして全日本および世界のモトクロスレースで活躍した吉村太一。世界戦参戦時に培った縁で、アールエスタイチでは欧州製モトクロス製品などを輸入・販売し人気を得た。

1975年に大阪府大東市に創業し、1978年には敷地内にバイクショップの「RSTホンダ」もオープン。用品に加え、車両販売まで手広く扱った。

1975年と言えば第一次バイクブームの直前。まだまだバイク用品店は多くなかった。

「当時、年末になるとバイクで田舎に帰るために風防とか前掛け、後ろに付けるカゴなんかが滅茶苦茶売れました。まだまだ実用品が売れる頃でしたが、ボクはすぐにレースの方に行って、カブのマフラーの社外品やモリワキのZのマフラーなんかがよく売れました」(太一)

なぜモトクロス用品の専門店にしなかったんだろう。

「まだオフロードのマーケットはそんなに大きくなくて、マン島TTレースなどロードがメジャーでした。ただ、そのうちアメリカでモトクロスが流行りだして、速いライダーが出てくるとJTレーシングっていうアメリカのブランドの人気が上がってきて、ウチでも売ろうと思ってサンプルを送ってもらい、それを仕入れて販売しました。当時は代理店契約なんかなくて、アルパインスターズとだって契約書もありませんでしたね」(太一)

当時のライダーにとって、アルパインスターズのレーシングブーツは憧れの商品だった。

「みんな街中でレーシングスーツを着て、アルパインスターズのブーツを履きたがったんですが、当時、レーシングブーツは紳士靴と同じ扱いで産業保護のために輸入枠が決まっていて、なかなか輸入できなかったんです。そこで、伝手を頼って代議士さんを紹介してもらい通産省(現・経産省)に行き、レースシーンの写真などを添えてこれは紳士靴じゃなくてレース用のブーツだと主張して輸入できるようにしました」(太一)

当時のライダーの憧れだったアルパインスターズのレーシングブーツ。太一が当時の通産省と交渉して、輸入できるようにしたそうだ。ちなみに、アルパインスターズとの間に契約書などはなかったという。

レーシングスーツの参入は1978年。すでに大手メーカーが数社存在していて、アールエスタイチは後発。しかも、手に入るまで1年、2年待ちというレーシングスーツの全盛期はとうに過ぎていた。

「販売もない、生産工場もない、売り先もないのに海外の一流ライダーと契約ばかりして、一時それが原因で経営が傾いたこともありました。宣伝一流、販売三流でしたね」

レザースーツの後発メーカーとあって、アメリカの一流ライダーと積極的に契約。彼らが鈴鹿8耐などに参戦するときに、タイチ製レザースーツを着てアピールした。写真は、「Nixe」ブランドのレザースーツを着た、AMAで活躍したババ・ショバート。

宣伝といえば、1980年代の鈴鹿8時間耐久レースや、スーパークロスの観客席を埋め尽くしたタイチのシンボルカラーであるイエローを使用したパラソルやキャップ、パスケースといったオリジナルグッズを思い出す。

「8耐のスタンドでウチの黄色いグッズが目立っていて、『あれはアカン、イエローフラッグと間違えてしまう』なんて言われました。お客さんはお金を払ってウチの宣伝をしてくれていて、あんなありがたいことはなかったです」(太一)

鮮烈なイエローをまとったオリジナルグッズたちは、飛ぶように売れたのに加え、タイチというブランドを広く世間に認知させる効果も発揮してくれたのだ。

タイチのシンボルカラーであるイエローを使ったパラソルやキャップなどの8耐グッズが飛ぶように売れ、観客席をイエローカラーが埋め尽くした。右は、スーパークロスの会場で販売したブランケットコート。こちらも爆売れだった。

1984年にアシックスと共同開発したライディングシューズ「RST301」。バイク用としての機能を盛り込んだもので、現在に至るタイチ製ライディングシューズの原型となるモデルだ。

街中も歩けるウエアが欲しいという声から生まれたフード付きライディングジャケット。各部に配されたプロテクターや、風によるバタつきを抑えるタブなどを備えている。

店舗を次々に閉店しメーカーに専念

タイチブランドが世間に浸透し、本店のみだった店舗が6店まで増えていた2009年。2代目社長に松原弘が就任した。

「無茶ができなくなったんです。新しいことを企画するより、そんなことやめとけって止めることが増えてきた。そこでもう終わりだなと思いました」(太一)

新社長の松原は、本店だけを残して次々と店舗を閉め、用品メーカーに専念するという大胆なかじ取りを行った。

2009年に2代目社長に就任した松原弘(左)は、太一と一緒に仕事がしたいと1983年に入社。社長就任後、店舗経営を止めてメーカーに専念するなど、大きな方針転換を行った。同時に、残業禁止といった社内改革も行った。

2025年6月に新社長に就任した吉村裕彦。大学→専門学校を卒業後、広告制作会社に勤務し、25歳でアールエスタイチに入社。みんなが好きなバイクにかかわり、本当に楽しそうにしている。そして若手であっても、大きな仕事を任され働いている姿を見て、いい会社だなと思ったという。新たなタイチを作り出そうと奮闘中だ。

「当時、ボクは店舗勤務だったんですが、なんで閉めるのって思いました。店舗は売り上げもよかったし、お店がなくなったらどうすんのって、従業員の間に動揺が走りましたね」(裕彦)

当時は、大型用品店が次々とオープンしていた時代で、その中にあってメーカーに専念するという松原の方針は的を得たもので、会社はそこからグーっと伸びたという。

「最初はね、店も卸も両方やれるだろうと思って一瞬寂しかったですが、結果的に良かったと思います。外では『自分が決断した』くらいに言ってましたよ(笑)」(太一)

メーカーに専念することになったタイチは、そこから次々と独自性の強い商品を世に送り出すことになる。いまでは普通になった、フード付きのライディングウエアも2005年にタイチが初めて商品化したものだ。

「現在の企画部部長の栗栖がファッション感度の高い人物で、彼が当時、大きなロゴが入っているようなバイクウエアは街中では着られない。バイクを降りても街中を歩けるような、カジュアルなウエアにしたいと言い出したんです。フードなんてバタつくんじゃないかという声もありましたが、実際にテストしてみたら気になるほどではない。着脱式や固定方法を考えればいけるんじゃないかとなり、じゃあやってみようとなりました」(裕彦)

見た目はカジュアルだが、十分なライディング機能を備え、安全面も重視して各部にプロテクターをしっかりと装備する。いまではすっかり定番となったフード付きライディングウエアは、タイチらしいチャレンジから生まれたものだった。

販売だけではなく、普及にも力を注いでいるチェストプロテクターもタイチの情熱を感じる商品だ。

「ホンダモーターサイクルジャパン(HMJ)の方が、安全のために胸のプロテクターを広げたいからウチでも扱わないかと声をかけてくださいました。安心安全なライディングウエアを目指す我々も、ライダーの命を守るという商品コンセプトに共感し協働が始まりましたが、そのプロテクターは重かったんです。

これではなかなか普及しないだろうと思い、プラスチックメーカーさんに協力してもらって、ハニカム構造で強くて薄く軽い、CE規格もクリアした商品を開発しました。ウエア自体に装着用ボタンを取り付けることで、どのジャケットにもタイチの胸部プロテクターが装着できるCPSシステムも考案して、ほかのメーカーさんにも提供しています」(裕彦)

長年にわたって注力しているチェストプロテクターは、CEレベル2規格を取得。軽量・薄型ながら高い安全性を誇る。左は普及拡大を狙って、低価格を実現した新製品だ。

安全性と同様、快適性の追求もタイチ製品の大きな特徴だ。寒い中でも指や身体を温めてライディングに集中できる電熱シリーズの「e-HEAT」、猛暑の夏でも涼しく快適に走行できる「LIQUIDWIND」もライダーの走りたい気持ちを後押しするアイテムだ。

「e-HEATは初めての電化製品でしたから、断線などのトラブル対策やバッテリーの容量決めなど大変なことばかりでした。LIQUIDWINDも、水で濡れたウエアに風が当たったら涼しいだろうと誰しもが思うんですが、実際にはなかなか使ってもらえなくて。それを営業マンが根気よく説明して、お店の方に使ってもらってようやく商品が回転し始めました」(裕彦)

指先や身体を温め、冬でも快適にライディングできるようにしてくれる電熱ウエアの「e-HEAT」。タイチ初の「電化製品」とあって、試行錯誤して開発に成功し、グローブやジャケット、ベストなど現在は幅広くラインナップする。断線の修理など、アフターサービスにも注力している。

LIQUIDWINDは、男性化粧品メーカーのマンダムとのコラボでも話題を呼んだ。

「最初は普通の水を使ったんですが、汗と混じって生乾きの匂いがしたんです。そこで、マンダムさんに協力を依頼して、専用の冷却水を開発しました。両アイテムとも、スタッフの熱量で開発から販売、アフターサービスまでつながったアイテムです」(裕彦)

アンダーウエアに腰に付けたボトルから専用設計のギャツビー冷却水を注水。走行風を受けると、気化熱で胸と背中を冷却する「LIQUDWIND」。現行モデルは注水も電動で自動化されている。

ツーリング専用エアバッグベストを開発

そしてこの春、満を持して発売開始したのがツーリング専用エアバッグベストの「T-SABE」だ。

「いままで培ってきたタイチのプロテクターに関する知見と技術を結集して、エアバッグ世界No.1メーカーのオートリブ社と共同開発したツーリング専用のエアバッグベストです。エアバッグの展開アルゴリズムを公道専用として、二次衝突もカバーするために開いてからしぼむまでの時間もレース用よりも長くしています」(裕彦)

ツーリング専用のエアバッグベスト「T-SABE」。世界No.1エアバッグメーカーのオートリブ社との共同開発で、30カ月に及ぶシミュレーションや実車を用いたクラッシュテストを繰り返し、事故の実態に基づいた公道用の展開アルゴリズムを採用。展開時間もレース用よりも長めにして、二次被害にも配慮した。8万8000円。

安全性と快適性を追求して、ライダーの走りたい気持ちを応援してきたアールエスタイチ。50周年を迎えた2025年、3代目社長に就任した吉村裕彦は、どんな未来を創っていくのだろうか。

「昨年6月から、会社のこれからの方向性を決めるNEXTT.(ネクストT.)プロジェクトを始めました。ライダーの心を動かす会社を目指すため、ライダー起点の発想で商品やサービスを提供していこうとしています。社内にはライダーがたくさんいますから、自分たちがワクワクするようなモノやコトを生み出していきたい。アールエスタイチなら何かしてくれそう、そう感じさせる会社にするためにチャレンジし続けたいと思います」(裕彦)

創業者である太一は、新社長に何を期待しているのだろうか。

「お客さんに喜んでもらうのは当然で、新しいことをやるためにもっともっと稼げと言っています」(太一)

ライダー・吉村太一が創業し、モトクロスやトライアルに親しんだ松原弘が発展させてきたアールエスタイチ。大きなバトンを受け取った3代目社長の吉村裕彦のもと、さらなる飛躍を期待したい。(文中敬称略)

「もっともっと稼いで新しいチャレンジをしろと言ってるんです」と、新社長の吉村裕彦に温かくハッパを掛ける吉村太一。レースで培ったチャレンジ精神と顧客重視の視点でアールエスタイチを発展させてきた創業者の意志を新社長の吉村裕彦も受け継いでいる。

現在の店舗は大阪府大東市のFLAG SHIPストアのみ。タイチの全製品とHJCヘルメットのみ展示・販売している。主眼はアールエスタイチのことを知ってもらい、コアなファンを作ること。店舗前のスペースでは、ミーティングやライダーサイン会など各種イベントを行っている。

大阪・高井田中央駅直結のビルに入る現在の本社。パーティションが一切ない広々とした1フロアで非常に風通しのいい雰囲気だ。右は、本社1階下にあるショールーム。一般用ではなく、商品の卸先などを対象に、季節ごとの展示会などを開催するスペースだ。

会社の将来像を明確にするため昨年6月からスタートした「NEXTT.」プロジェクト。ライダーの心を動かす会社を目指し、顧客起点の発想とチャレンジ精神の発揮を2本柱として、原点回帰でものづくりにしっかり注力していこうとしている。

近年は、アジアのバイクショーに積極的に出展(写真は重慶モーターサイクルショー)。現在は、中国、タイ、マレーシアなどASEAN10か国でタイチ製品を販売している。現状、売上げの3割が海外で、これを5割以上にしていくのが会社の方針という。

アールエスタイチHISTORY

1970年モトクロス全日本選手権125㏄クラス、250㏄クラスで吉村太一がチャンピオンを獲得
1975年吉村太一が大阪府大東市にライダーズスポットタイチを創業
1976年オリジナル商品第1号のギアバッグを発売
1977年アルパインスターズ・ブーツの日本総代理店に
1978年レーシングレザースーツの開発、オーダーメイド販売
1983年大東市中垣内に新店舗(現・フラッグシップストア)グランドオープン
1984年ライダーパークタイチ(現・大阪府警訓練センター)建設、ライディングシューズ「RST301」をアシックス社と共同開発
1985年ロードレースギア「Nixe」(ニケ)を発売。オリジナルオイルフィルター「RST-1」を開発
株式会社アールエスタイチに法人化
夕陽丘店オープン(1988年閉店)
1988年ケビン・シュワンツと契約
1989年浜松店オープン(2004年閉店)
1990年オリジナルオフロードウエア「TAICHI RACING FORCE」を発表
1991年テイジンとタイヤウォーマーを共同開発し、翌年からマクラーレンF1に供給
1994年相模原ケーユー店オープン(2009年閉店)
1996年松原店オープン(2015年閉店)
1998年ツーリングライダーのためのギアシリーズ「LD Equipment」を発表
2001年Troy Lee DesignsのMXウエアの取り扱い開始
2002年京都店オープン(2018年閉店)
2003吉村裕彦が入社
2004年HJCヘルメットの日本総代理店に
2006年ドイツINTERMOTOに出展
大人向けライディングウエア「ZIM+BA」発売
2007年ミラノEICMAに出展
2008年レーシングスーツのエアバッグシステム「T-RAPS」を発表
2009年松原弘が代表取締役に就任
2010年新しいブランドロゴ「L-TAICHI」発表
ライダーパーク生駒の運営を開始
2011年電熱ウエア「e-HEAT」シリーズ発売
2015年チェストプロテクター「TECCEL」を発売
2021年マンダムと共同開発した水冷式ウエア「LIQUIDWIND」発売
北京モーターサイクルショーに出展
2025年創業50周年
松原弘に代わり吉村裕彦が代表取締役に就任
2026年ツーリング専用エアバッグベスト「T-SABE」を発売

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