MOMENT──フォトグラファー折原弘之のPhoto&Column

高低差で変化する季節の色づき、静寂の中で見つけた異なる時の流れ──信州をツーリング

高低差で変化する季節の色づき、静寂の中で見つけた異なる時の流れ──信州をツーリング

世界を転戦するF1、MotoGPを追い続け、現在は全日本ロードレースや各メディアを中心に活動するフォトグラファー・折原弘之さんによる写真コラム。バイク乗りに沁みる写真と文章をお届けしていく。


●文/写真:折原弘之

一瞬と永遠

少し前の話になるが、ここ数年は気候が変わったことで暑さが残り、秋はまだ先という10月。それでも高所に上がれば、初秋どころか秋の終わりを味わうことができる。標高2100mに位置する白駒池(長野県南佐久郡)は、10月中旬が紅葉の見頃だという。まだ夏の終わりを色濃く残し、半袖で過ごせるほどの時期に紅葉しているとは、にわかに信じられなかったが冬用のライディングウェアを羽織り、愛車スポーツスターのセルを回した。

普段はバイクに乗ることだけを目的に、ふらっとワインディングを走ることが多い。今回は暖かさの残る中、少し登れば紅葉を見られる場所があると言う情報をつかんだので、目的地を決めての軽いツーリングとなった。自宅から白駒池までは約70kmの行程。しばらく動かしていなかった、愛機のサビ落としにはちょうど良い距離だ。

これまでは、それなりにパワーのあるバイクを選んできた。年齢を重ねたせいか、「ワインディングを攻める」ような走り方をしたいとは思わなくなってきた。今はスポーツスターのトコトコ感が気に入っている。前傾することのない、リラックスしたポジションもまた然り。走り出して20分もすると、清里高原を通過しJR駅最高地点として有名な野辺山に到達。暑さでダレ切っていた空気が締まり、汗ばんだ体に冷えた風が心地よい。

白駒池に向かう山の麓は、まだまだ秋を感じさせる気温ではなかった。本当に紅葉しているのだろうか。不安になるほどの気温だったが、ワインディングを楽しむだけでもよしと思い山道へと踏み入った。ここからはスポーツスターの非力さを感じるほど、急な登り坂が続き一気に標高が上がる。気温もすぐに急降下、冬用のライディングウェアを着てきたのは正解だった。

標高1800mに達した頃から、景色が急に色づき始めた。ほどなく道の両サイドが、黄色と赤で染め上げられた。一気に晩秋にタイムスリップした感覚に襲われる。時には枝葉が頭上に覆い被さり、紅葉のトンネルに入ったかのような錯覚を覚えるほど。この感覚は視界の広いバイクならではのものだろう。決して車でのドライブでは味わえない、特別な世界観だ。

ひとしきり紅葉のワインディングを楽しむと、目的地の白駒池に到着。目的地とは言っても、設定しただけ。紅葉の中を走れただけで、満足している自分がいる。ライディングブーツも履いているし、15分歩いて池に行かなくてもいいかと思いかけたが、湖面に映る色彩を思い浮かべ歩くことにした。池までの山道は人がすれ違うのがやっとの広さだが、思ったほど険しくはない。しかも歩き始めてすぐ、それまでの紅葉とは別世界が姿を現した。日陰の山道特有の湿っぽい空気の中に、見渡す限り緑の絨毯が出現したのだ。その正体は群生した苔だった。しかも密度や面積、そして育ち方が桁違い。しばらく見入ってしまうほど圧倒的な美しさだった。

文献を読むと、苔自体の寿命は5~10年と言われているが、寿命というより代替わりを繰り返すというほうが正しいらしい。植物だが根を持たず、胞子を飛ばして繁殖。適応する環境に胞子がたどり着けば、簡単に増殖し地面や木を覆い尽くしてしまう。苔の寿命を考えれば、時が経てば経つほどその密度は増していき、濃密な緑を作り出すことになる。人が住まなくなった村などでは、5年で地面だけでなく建物の表面を覆い、20年も経つ頃には元の生態系を取り戻すことができるらしい。

この森の苔も途方もない時間をかけ、繁殖を繰り返したのだろう。地表だけではなく大木の幹まで、見渡す限り群生している。その光景は池のほとりに着くまでの15分間に渡り延々と続き、想像を遥かに凌駕するほどの生命力を感じさせる。まさに自然の力を思い知らされた瞬間だ。果てしなく続く緑の絨毯は、長い年月が作り出した歴史そのもののように感じられた。

バイクに乗るついでに、紅葉を楽しもうと向かった白駒池。そこでは、予想もしていなかった素晴らしい景色に出会うことができた。桜や紅葉のように刹那的で、それ故に命を燃やすかのような瞬発力のある美しさ。対して長い時間をかけじっくりと積み上げ、地味なようだが神秘的とも言える苔の美しさ。どちらも、それだけを見にいくだけの価値のある景色だ。

姿や形を変えることで人を惹きつけるもの、変化をせず積み上げることで心を揺さぶるもの。美しさとは、決して一元的なものではないのだと思い知らされる。写真を撮ることで表現する者として、人に感動を与えるには色々なアプローチがあることを改めて実感させられた。

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