ホンダ広報部の高山正之氏が、この7月に65歳の誕生日を迎え、勇退する。二輪誌編集者から”ホンダ二輪の生き字引”と頼りにされる高山氏は、46年に渡る在社期間を通していかに顧客やメディアと向き合ってきたのか。これを高山氏の直筆で紐解いてゆく。そして、いち社員である高山氏の取り組みから見えてきたのは、ホンダというメーカーの姿でもあった。 連載第9回では、高山氏にとって大切な存在=スーパーカブとの関係について振り返る。
23年に渡るスーパーカブのPR活動が広報マンとしての礎に
スーパーカブは、人々の生活をより豊かにより便利に、生活に役立つバイクとして多くの人たちに支持され続けています。そして本田技研工業を一躍世界的な企業に押し上げた立役者でもあります。私とスーパーカブとの出会いは1965年、10歳の時でした。友達の家の広大な屋敷で、初めてスーパーカブC100を恐る恐る動かしたことを最近のことのように思い出すことができます。自転車では得られない強烈な力を感じることができました。そのような体験を原点として、バイクの世界に没入することになりました。カタログを集めては毎日眺めて楽しんでいました。自分でもこのようなカタログを作ってみたいと思うようになり、バイクメーカーのホンダに拾ってもらいました。
入社後のスーパーカブとの関わりは、1981年にスタートした「ホンダ エコノパワー燃費競技」に始まります。スーパーカブ50のエンジンをベースにした専用設計のマシンで、究極の燃費にチャレンジします。鈴鹿サーキットで開催された第1回大会では、事務局スタッフとして携わっておりました。この時にスーパーカブの偉大さを少し知ることになり、翌年には150km/Lの燃費を誇るスーパーカブ50(通称赤カブ)を購入。初めてスーパーカブのオーナーになりました。
そして、大きな転機は1997年にやってきました。三樹書房発行のスーパーカブの書籍に関わった(第7回参照)のがきっかけで、スーパーカブに関する仕事は私に回ってくるようになりました。広報の先輩からは「ホンダを知るには、スーパーカブを知ることである。ホンダの生きざまはスーパーカブが手本である」と、ことあるごとに説かれました。小さく生んで大きく育てる。とか、人々の生活を豊かに楽しくするのがスーパーカブでありホンダの使命である。というような哲学でした。
この年の10月に、ホンダ二輪製品の世界生産累計が1億台を達成しました。その時のリリースは私が担当しました。全体の1/4以上をスーパーカブシリーズが占めるなど、このバイクの偉大さを改めて知ることになります。熊本製作所で行われた1億台記念式典では、リトルカブが1億台目に選ばれました。
そして同じ1997年に、カブファンの集いである「カフェカブパーティー in 青山」(現在のカフェカブミーティング in 青山)の第1回目が開催されました。このイベントには、現在まで継続して関わることになりました。
また、2008年に誕生50周年を迎え、スーパーカブ誕生とロングセラーに関わる取材が増えました。その頃、カフェカブミーティングin青山も10年以上が経ち、スーパーカブはビジネスバイク一辺倒から、趣味でも楽しめるバイクに成長を遂げてくれました。ホンダの社員よりも、お客様や報道の方々のほうがスーパーカブにこだわりと情熱を持っていました。お客様の熱意が、全国で開催されるカブオーナーの集いに発展していきます。
スーパーカブのPR企画を自ら立案して実行
それまでの取材は、受動的に対応するのが精一杯でしたが、自身の企画による能動的なPR活動を模索していました。そして辿り着いたのが、スーパーカブ110を使用した「マスコミ対抗燃費チャレンジ」です。栃木県のツインリンクもてぎで開催される「ホンダ エコマイレッジチャレンジ全国大会」を取材していただくために、青山からもてぎまでの片道で燃費を競い、翌日は全国大会を取材するという一石二鳥のようなものです。まずはコース設定から。バイクで3回の下見を行って納得できるコースができました。自分で競技規則を作り、先導役も努めます。あいにく2010年の第1回大会は冷たい雨にたたられました。ここでも雨男が健在です。参加者全員が無事ゴールを果たし、最高記録は雨と強い向かい風にも関わらず73.96km/キロメートルと、スーパーカブの優秀性が証明されました。この大会は計4回開催されました。
そして、大きな転機がやってきました。毎年スーパーカブシリーズの生産台数をカウントしていましたが、2017年10月頃に1億台に達することが1年以上前に予測できたのです。その翌年の2018年は、誕生60周年を迎えます。ここから、社内プロジェクト立ち上げを提案して始動です。なんと、私が作ったシナリオに上手く重なるタイミングで新型スーパーカブが計画されており、それが1億台目になりました。
まるで絵に描いたようです。新型スーパーカブの開発責任者は、1億台のことなど全く念頭になく開発していたとのことでした。2018年の60周年記念は、社内外に理解者や応援者が増え、力をもらいました。そして、様々なイベントなどでお客様に感謝できた年になりました。
広報業務は、報道関係者の理解と協力が欠かせません。日夜二輪の魅力を発信している報道の方々に何かプレゼントできないか? と考えていました。そして辿り着いたのが、『スーパーカブ生産累計1億台達成前記念 Hondaコレクションホール所蔵スーパーカブシリーズ 報道体験試乗会』という、長いイベント名がついた試乗会です。日頃の感謝を込めて、大事に保管されている歴代のスーパーカブに乗って楽しんでいただこうと。そして、間もなく1億台が達成されることをPRしてもらうこともセットにしていました。自分でも「面白そうなイベントになる」と確信していました。
コレクションホールの管理担当者も軽いノリで引き受けてくれました。報道の方々にとっては、こんな機会はめったにありませんので、たくさんの試乗要望をいただきました。幸運にも天候は晴れ。コレクションホールの中庭にある試乗コースを、準備した6台の歴代カブに順次乗っていただきました。皆さんが満面の笑みを浮かべて乗っている姿を見ますと、広報冥利に尽きます。
この体験イベントは、3名程で企画から運営まで行いました。かかった費用は、弁当と飲み物代だけというとてもコンパクトな企画でした。試乗が終わった後に私も特別に乗せてもらおうと画策していましたが、あまりにも忙しくて疲れてしまったため、残念ながら乗る機会を逸してしまいました。報道の方々にはとても喜んでいただけました。そしてPR効果は大いにありました。
2018年のスーパーカブ誕生60周年は、PRパンフレットの作成やホームページの企画や各種取材など多忙を極めました。その中で、最も苦労したのがスーパーカブのロングセラーの秘密を語る講座への出演でした。「小学館神保町アカデミー・大人の講座」で、スーパーカブのロングセラーの秘密について語ってほしいというものでした。8月の講座まで3か月もありますので、余裕でOKの返事をしました。しかしながら、よくよく考えてみますと、人前で講義をするわけですからしっかりとした資料を用意しなければなりません。その資料は、参加者の方々にお渡ししても恥ずかしくないものにしなければなりません。これまでは、質問されたことに対応すれば、仕事としては済みましたが、今回は一から作らなければなりません。「えらいことを引き受けてしまったなぁ」と、少し後悔しながら時間だけは過ぎていきます。
ようやく夏休みに3日間かけて納得の行くものができました。講座の日は、新型スーパーカブ110に、昔のカタログや出版物を積み込んで神保町の会場に出かけました。スーパーカブを前に、誕生ストーリーからビジネス、レジャーで愛用されるスーパーカブの魅力のお伝えし、ロングセラーの秘密について私なりの見解を話しました。講義のあとは、自由にスーパーカブに触れて、昔のカタログや資料を見ていただきながら交流を図ることができました。大げさに言いますと、「これでようやくスーパーカブのPR担当になれた」と思いました。
この年、36年ぶりにスーパーカブの新車を購入しました。誕生60周年を記念したスーパーカブ110です。またも鮮烈な赤カブです。次の1億5千万台に向けて、わずかながら貢献できたのではないかと思います。
「世界中に笑顔を運んで。スーパーカブのストーリーとチャレンジ」このキャッチコピーは、2017年の1億台達成から2018年の60周年にかけて制作したパンフレットやWebサイトで使ったものです。社員数名のワイガヤから生まれた手作りの作品ながら気に入ってます。スーパーカブについては、まだまだ語り尽くせないストーリーがたくさんあります。これからも機会があるごとに、その魅力について語り合うことができればこの上ない喜びです。
●文/写真:高山正之(本田技研工業) ●編集:市本行平(ヤングマシン) ●協力:本田技研工業/ホンダモーターサイクルジャパン ※本内容は記事公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
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