
世に出ることなく開発途中で消えて行ってしまったマシンは数あれど、それが表に出てくることは滅多にない。ここではそんな幻の名車を取り上げてみたい。今回はカワサキのSQUAREーFOUR 750を紹介しよう。
●文:ヤングマシン編集部
アメリカの排ガス規制で開発を断念
1969年に2スト並列3気筒500ccのマッハ3で世界最速の座を目指したカワサキだが、同時に登場したホンダのCB750FOURが目の前に立ちはだかった。それを打ち破るべく、1971年10月に2スト並列3気筒750ccのマッハ4をリリース。これは、最高速203km/hを公称し、世界最速を奪取。翌年の秋には4スト並列4気筒の900SUPER FOUR=Z1も発売し、この2台で瞬く間にカワサキが世界最速の座を不動の物とした。
一方、時代の主役に躍り出た4ストロークZ1開発の裏側には、2ストローク一筋で開発に邁進する技術者も存在し、ほぼ完成まで漕ぎつけていたのがこのSQUARE-FOUR 750。残念ながらアメリカの排ガス規制の影響で1973年8月に開発中止が決定された。もし、発売されていたらZ1を超えるマシンになっていたのだろうか……。
【KAWASAKI SQUAREーFOUR 750 1973年】後に世に出たRG500Γ(1985年)に先駆けて750cc水冷スクエア4エンジンを採用。並列3気筒シリーズの後継機としてマッハの生みの親である松本博之氏(故人)らが開発した幻のモデルだ。
こちらは2017年2月に実施されたカワサキモーターサイクルフェアで撮影したSQUAREーFOUR750。最高出力は発表されていないが、開発中止になった1973年8月は、すでにZ1が発売されていた時期であり、射程に入っていただろう。ちなみに2スト3気筒750ccのマッハ4は、74psだった。
開発コード「0280」はタルタルステーキと呼ばれた
常に”世界最速”を目指すカワサキは、1971年に登場した空冷2サイクル3気筒の750SS (マッハⅣ)で市販車最速の称号を手に入れた。しかし、市場のニーズによりパワー競争が激化。さらなる性能アップが求められる中、密かに開発をスタートさせたのがコードナンバー「0280」ことSQUARE-FOURだった。
カワサキの開発陣が目指したのは、750SSの排気量や最高出力をそのままに、最高速度とマシンの完成度でマッハを超えること。それは加速性能や最高速度をパワーだけに頼るのではなく、モー ターサイクル全体の性能を追求するという新たな挑戦だった。エンジンは前面部の空気抵抗を抑えるために水冷スクエア4のコンパクトなレイアウトを採用し、右前後気筒と左前後気筒を一体化。それぞれに吸入ポートを連結したツインキャブレター仕様とし、それに合わせて燃料噴射も開発された。
デザインを優先して設計された2in1のエキゾーストパイプは、パワーダウンを防ぐために内側で2本を独立させている。開発は順調に進み、目標の数値を達成するまであと少しと迫ったが、1973年8月にアメリカの排ガス規制の影響で計画はストップ。社内での俗称”タルタルステーキ”と呼ばれた超高性能マシンSQUARE-FOURは、日の目を見ることなく幻のモデルとなった。※カワサキの展示パネルより
左右で前後気筒を一体化したシリンダーを採用し、左右に一つずつのツインキャブレター仕様としている。マッハからの流れで並列4気筒化しなかったのは、全幅を抑えるためと説明されている。過去の取材時に松本氏はFI仕様も開発していたことを明かしていたが、カワサキの展示パネルにもその件は記載されていた。
スクエア4のエンジンに合わせてかメーターデザインもスクエア=4角形としているのはユニーク。水冷なので中央に水温計を配置している。カワサキ初の水冷モデルが発売されるのはこの約6年後の1979年型Z1300まで待たねばならない。
1973年当時のマッハシリーズはキック始動だったが、エンジン下にセルモーターらしきものが確認できる。エンジン右側にキックペダルも存在しているので、セル・キック併用式だったのだろう。
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
最新の関連記事([特集] 幻の名車)
1984年にツインチューブフレームを採用していた これはホンダウェルカムプラザ青山で1989年8月に開催されたイベント「MOVE」に出品されたプロトタイプのCR-1。モトクロッサー、CR500Rのエン[…]
GLの元となった水平6気筒試作車 CB750フォアの発売後、モーターサイクルキングとは何かを探るために試作された1台。ロータリーエンジンのような滑らかさを求めて水平6気筒としたが、ミッションを後ろにつ[…]
市販されなかったターボはミッドナイトスペシャル仕様 1981年10月末~11月にかけて開催された東京モーターショーは、各社がターボのモデルを一斉に出品して話題となった回である。ターボ過給器付き2輪車は[…]
これが後のGL500につながったかは不明 これはいろいろなエンジン型式の可能性を探るために開発された1台で、クランク軸縦置きの200㏄空冷Vツインを搭載したもの。製造コストが高く、商品化できなかったと[…]
【’09VMAX開発秘話】2リッター「音魂(オトダマ)」は失敗だった 新VMAXの開発には実に十数年の歳月が費やされた。このプロジェクトを長い間推し進めてきた中心人物は開発の経緯をおよそ次のように語る[…]
最新の関連記事(カワサキ [KAWASAKI] | 名車/旧車/絶版車)
CBXと双璧をなした6気筒マシンの誕生【1979 カワサキZ1300】 CBXと同時期に登場した6気筒マシンが、カワサキのZ1300だ。 しかし、こちらは同じ6気筒でも色合いが違う。排気量は1300と[…]
空冷エンジンのノウハウを結集【カワサキGPz1100】 航空機技術から生まれたハーフカウルと、レース譲りのユニトラックサスを装備。 さらに、Z-GP以来の燃料噴射装置を採用。インナーシム化や多球形燃焼[…]
GP技術をフィードバック【カワサキZ1100GP】 当時はH1、H2RやZのレースでの実績に加えて、カワサキは世界GP250ccクラスの1978〜1981年連続チャンピオンを獲得。 こうしたレースで活[…]
見事に王座を獲得したエディ・ローソン【カワサキZ1000R】 エディ・ローソンは1958年に誕生、カリフォルニア州の出身だ。 1983年からヤマハで世界GPに参戦、以後1992年に引退するまで4度の年[…]
チャンピオンを生んだ野心作= “J”【カワサキZ1000J】 ロングセールスを誇った名車、Z1。それだけに信頼性もあった心臓部とフレームだが、さすがに1980年代になると抜本的な改良が求められた。 カ[…]
人気記事ランキング(全体)
さらなる軽快な走りを求めて仕様変更 ホンダは、前21/後18インチホイールの250ccトレールバイク「CRF250L」「CRF250 RALLY」をマイナーチェンジ。カラーリング設定と仕様を一部変更を[…]
いよいよスズキの大逆襲が始まるかもしれない! スズキを一躍、世界的メーカーに押し上げたカリスマ経営者、鈴木修氏が昨年の12月27日、94歳で死去し騒然となった。そんな年末に、海外二輪メディアのMCNが[…]
そもそも”アメリカン”バイクとは? 一般にクルーザーとも呼ぶが、車体の重心やシート高が低く、長い直線をゆったり走るのに適した設計のバイク。ハーレーダビッドソンなどのアメリカ車に代表されることから、アメ[…]
根強い人気のズーマー 2000年代、若者のライフスタイルに合ったバイクを生み出すべく始まった、ホンダの『Nプロジェクト』。そんなプロジェクトから生まれた一台であるズーマーは、スクーターながら、パイプフ[…]
V3の全開サウンドを鈴鹿で聞きたいっ! ここ数年で最も興奮した。少なくともヤングマシン編集部はそうだった。ホンダが昨秋のミラノショーで発表した「電動過給機付きV型3気筒エンジン」である。 V3だけでも[…]
最新の投稿記事(全体)
レトロな容姿になってもやっぱり走りはイマドキ 2024年の全日本ロードレース選手権最終戦で、鈴鹿サーキットに対する苦手意識をようやく克服しました。日曜日朝のフリー走行で、走り方の意識を変えたことがその[…]
サイドスタンドを取り外してハンドル切れ角を制限するサーキット仕様車両への最適解 ツーリングやワインディングを走るのはバイクの代表的な楽しみ方ですが、スポーツライディングの選択肢のひとつにサーキット走行[…]
ヨーロピアンスクーターの老舗ブランド・ランブレッタ 1947年にイタリアで最初のスクーターを発表したランブレッタ。1970年代にイタリア労働争議の嵐に巻き込まれ工場を閉鎖するも、根強いファンによってコ[…]
この1枚の写真、どこかに違和感を感じませんか? さて、この1枚の写真、どこかに違和感を感じませんか? アレっと思ったそこのアナタ、鋭い! そして、かなりのマニア(ぴったんこカンカン)です。[…]
作業環境を整えるアイテムが、ミスを減らして仕上がりを向上させる 塗装好きのサンデーメカニックといえども、整備で使う工具に比べて塗装関連の道具を使う機会は少ないはず。スプレーガンの置き場が定まらずひっく[…]
- 1
- 2