9月に最終戦を終えてしまうという、全日本ロードレースでは35年ぶりの出来事から1か月近くが経とうとしています。今回のレース通信は、今シーズンをフル参戦最後の年と位置付けて戦った小室旭選手にフォーカスしてお届けします。
●文/写真:佐藤寿宏
記憶に残るレースを見せた小室旭
早いもので、もう10月ですね。本来であれば、今ごろMotoGP日本グランプリを終えて、鈴鹿8耐に向けていろいろやっている最中だったはずなんですが…。
全日本ロードレース選手権は、すでにシーズンオフ。2021年シーズンも4人のシリーズチャンピオンが誕生しました。そんな栄光を手につかんだ4人の影には、死闘を繰り広げたライバルがいました。
全日本ロードのTVレポーターを担当している北川圭一さんは「立場が変わり伝える側で見ていましたが、勝負の世界、本気で勝負するから感動があり、また残酷でもある世界だなと改めて感じました」とSNSに書き込んでいました。世界耐久や全日本でチャンピオンを獲り、長年レースをしてきた北川さんでも、改めてそう感じるものなんだなぁっと、その言葉がとてもストレートで印象に残りました。
勝者がいれば敗者もいる。ハッキリと結果が出るのがレースでもあります。J-GP3クラスでは、小室旭が記録には残らなくとも記憶に残るレースを見せてくれました。
小室はポイントリーダーとして、最終戦オートポリスを迎えていました。第5戦鈴鹿、第6戦岡山国際と尾野弘樹が圧倒的な速さを見せ、最終戦も尾野がリードすることは確実と見られていました。それでも、小室は3位以内に入れば自力でチャンピオンを決められる状況だったため、大方の予想は“小室有利”というものでした。
オートポリスの事前テストは、8月上旬に行われ、9月17日~19日のレースウイークとはコンディションが異なることは確実でした。例年であれば、レースの前週に事前テストが行われ、マシン、トラックを置いて飛行機で戻るか、そのまま滞在するかというのがオートポリスラウンドのセオリー。今年は、事前テストの時期が早かったこともあり、参加を見合わすチームも少なくありませんでした。やはり、プライベートチームにとって事前テストのみの遠征費の負担は少なくないですから。参加を見合わせたチームの中には、小室の率いるSunny moto Plannningも入っていました。
オートポリスは、阿蘇の大自然の真っ直中にあり、天候が変わりやすいサーキット。晴れていれば自然が美しいところだが、山の中だけに霧というか雲に覆われることが多く、視界不良で走れないことも少なくありません。事前テストに参加しないということは、レースウイークに満足に走れないまま決勝を迎える可能性も大きいということでもありました。
かくしてレースウイークは、台風14号が接近し、金曜日は走ることができない可能性がありました。しかし、台風14号の足取りは予報より遅く、北寄りの進路を取ったため1本目はウエットで、2本目は15分ほどでしたが奇跡的にドライで走ることができていました。
ここで小室は今年の仕様で初めてオートポリスを走りながら、ドライの走りを思い出すだけで精一杯という状況でした。欲を言えば、もう1種類のタイヤを試しておきたかったのですが、そんな余裕はありませんでした。
土曜日の公式予選もウエットからドライに乾いて行く中途半端なコンディション。まずはレインタイヤで出て行きコースを確認する。
「これは乾いてスリックタイヤでの勝負になる。ただ、西側から雲が降りてきていたので、赤旗になる可能性もあったのでコースにとどまり、タイムアップして行こうと思いました」
実際、セクター3では雨がパラついており、コンディションは安定しなかったが、そこで3番手タイムを出し、フロントロウを確保。決勝に向けて、リヤのバネレート、ギヤ比を見直し、混戦になることも見越したセットを進めました。日曜朝のウォームアップ走行では、予選よりタイムもアベレージも上がり、マシンセットは、いい方向に進んでいることを確認。あとは15周のレースにすべてをかけるだけとなっていました。
「胸を張っていい結果だと思います」
レースがスタートすると予想通り、尾野がレースを引っ張りリードを広げて行きます。2番手には、KTMを駆る高杉奈緒子が続き、小室は3番手につけていました。4番手以降は、離れている状態でした。このまま行けば小室がチャンピオンでしたが、予想以上にリアタイヤの消耗が激しく、後続の集団に飲まれることを覚悟していました。
「タイヤを使ってしまっていたし、後ろとのギャップが減ってきていたので後ろに飲まれるのを覚悟しました。飲まれても厳しいと思いましたが、とにかく3位でゴールすることを考えました」
集団に飲まれた小室は、一時6番手まで後退しましたが、残り2周を切った14周目に4番手に上がると、前でバトルを繰り広げる徳留真紀と細谷翼を追います。しかし、リアタイヤの状況は厳しくコーナーの立ち上がりで思うように加速できないでしました。そしてラストラップに入ると、下りの4コーナーで仕掛けることを考えますが、うまく入れず、そのまま最終セクターを迎えてしまいます。すると最終コーナーで黄旗が出ており前のペースが少しだけ落ちたところを見逃さず、立ち上がり重視のラインを取った小室は、細谷に並んで行くのでしたが……。わずか0秒008差の4位になり、チャンピオンと同ポイントのランキング2位という結果で2021年の小室のシーズンは幕を閉じました。
「去年、応援してくれるみんなとチームを立ち上げて、ほぼ素人だけのスタッフで走り始めました。本当に、手弁当で来てくれて、誰一人弱音を吐かず、この緊張するレースを一緒に戦ってくれて、本当に大変だったと思います。レース人生の中で一番内容の濃い2年でしたし、やり遂げたという思いはありますね。もちろんチャンピオンは獲りたかったですし、目標にしていましたけれど、同ポイントのランキング2位も胸を張っていい結果だと思います。これでふてくされていたら、ランキング3位以下のライダーに申し訳ないと思いますし、ライバルがいたからこそシリーズが成り立ちますし“オレたちはすごいことをやっているんだ!”ということを、もっとアピールして、身近なところからファンを増やして欲しいですね」
2年連続でシリーズランキング2位となった小室。今シーズンは、フル参戦最後の年と位置付けて戦っていました。昨年、タイトルを争った村瀬健琉、今年の尾野弘樹は、一昨年、同じプロジェクトで戦ったメンバーでもあり、尾野の所属する7Cは小室も走ったことのあるチームだけに、その実力は知り尽くしています。そんなライバルに勝つためにKTMを選んでタイトル獲得を目指しました。
落ち着いた口調で話す小室は、レーシングライダーとしては“意外”とも取れることを口にします。それは“競り合うのは好きではない”と…。
「予選は好きだけれど、決勝でバトルをするのは、実は、しょうに合わないんですよね。バイクを速く走らせるのは、好きなので、レースは独走優勝が理想でした」
カミングアウトとも言える発言ですが、小室の性格を表しているのかも知れません。その性格で、よく長年レースを続けてきたと言えるでしょう。
「レースだからこそできた貴重な経験を、今後の人生に生かして行きたいと思っています。一線は退きますが、若いライダーがいい環境で走れるように、その手助けもしたいと思っていますし、自分を育ててくれたレース界に恩返しができるように、これからもレースに携わって行きたいですね」
全日本を走るようになって20年。その間、うれしいことも悲しいことも様々なことがあったでしょう。これからも小室だからできることが必ずあると思います。小室のレース人生、第2章を期待しましょう。
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