一般には、ホンダF1エンジンやスーパーGTマシンの開発、あるいはホンダ4輪車のチューニングパーツメーカーとして知られる「無限(MUGEN)」。だが、無限が手掛けてきたのは4輪だけではない。バイクの世界でも、ホンダ車をベースとしたレーシングマシンやコンプリートモデルを複数開発している。
●記事提供:モーサイ ●まとめ:阪本一史 ●試乗レポート:植田輝臣(※) ●写真:山内潤也(※) ※八重洲出版『別冊モーターサイクリスト』2001年9月号より
無限 MFT250登場前夜……ダートトラックが盛り上がった時代
1990年代初頭をピークに、徐々に沈静化していった「レーサーレプリカブーム」。
レースマシンの性能・技術を公道モデルにフィードバックするその手法は非常に明確な半面、公道でその高性能が必要か否か、見直される時期が到来したということだったのだろうか。
そうした中、「レーサーレプリカブーム」に次ぐ流れとなったのが「ネイキッドブーム」。普通の乗りやすさ=常用性能と、カウルレスのスタンダードなバイクフォルムが意外なほどに受け入れられた。
またもうひとつ、1990年代のバイクムーブメントを語る上で欠かせないものがある。90年代後半からストリートで大ブームとなったヤマハ TW200(ブームを経て後にTW225も登場)のカスタムだ。
本来オフロードモデルとして登場したTW200だが、不整地走破性を高めるために採用された極太なリヤタイヤがデザインアイコンとなり、低めのシート高という取っ付きやすさもありカスタムベースとしてクローズアップされた。
TWカスタムは、ノーマルから極力装飾を廃して保安部品を簡素化し、タイヤと骨格を強調する手法だったが、この際に手本とされたのがアメリカが本場のダートトラックレーサーのフォルムだった。この機に1986年に発売されたダートトラックレプリカモデルのホンダ FTR250が注目され、2000年からはダートトラッカーイメージのストリートモデル・FTR(223cc)なども登場した。
また、ほぼ同時期には本場のダートトラック競技の普及を後押しする形で、国内何ヵ所かで専用コースが開設。
関東ではツインリンクもてぎで1997年にレースコース新設(2012年に営業終了)、埼玉の桶川スポーツランドでもショートコースが開設され(後に閉鎖)レースやスクールが人気を博すなど、「ダートラ人気」の火が付きつつあった。
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