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サーキットへの来場はフェラーリじゃなきゃダメ! 絶対!

落札価格は4000万円?! ニキ・ラウダが職場への足として使ったフェラーリの4座2ドアクーペ

落札価格は4000万円?! ニキ・ラウダが職場への足として使ったフェラーリの4座2ドアクーペ

伝説的なフェラーリドライバーのひとり、ニキ・ラウダが私生活でもフェラーリを愛用していたことは有名なエピソード。中でも288GTOは喉から手が出るほど欲しかったらしく、マラネロを訪れてエンツォに直訴までしたとか。また、先ごろはラウダが1975年にタイトルを獲得した312Tをオマージュしたワンオフの458が製作されるなど、ラウダにまつわるフェラーリのネタは尽きることがありません。そこで、今回は彼が愛した「意外なフェラーリ」をご紹介しましょう。


●文:石橋 寛(ヤングマシン編集部) ●写真:RM Sotheby’s

フェラーリのF1パイロットはフェラーリに乗れ!

ニキ・ラウダとフェラーリの蜜月は、1974年のF1シーズンからスタートしています。それまで、マーチやBRMといった弱小チームで参戦していたものの、ガッツあふれる走りがエンツォ・フェラーリの目に留まったのがきっかけでした。初年度こそ、大先輩のクレイ・レガツォーニの後塵を拝して総合4位にとどまりましたが、翌75年は前述の312Tで無双の走りを見せて自身初のドライバーズチャンピオンを獲得。ちなみに、レガツォーニは同じマシンで5位だったことから、エンツォの愛情は一気にラウダへと注がれていったといいます。

1974年にスクーデリア・フェラーリ入りしたラウダ。翌75年には312Tにマシンチェンジするや否や破竹の連覇でタイトルを獲得しています。

もっとも、スクーデリア・フェラーリは愛情もさることながら、宣伝効果を狙ってフェラーリパイロットには必ず自社のロードカーを貸与していました。サーキットに来場する際はフェラーリじゃなきゃダメ! 絶対!といったところで、ラウダも契約が成立した時点で1台用意されました。ドライバーの意向で好きなモデルが貸与されるのですが、ラウダが選んだのは365GT4 2+2という4座の2ドアクーペだったのです。

ニキ・ラウダがフェラーリパイロットになって初めて貸与された365GT4 2+2。日頃のアシには快適で安全なクルマを、というラウダの意向でした。

まさかの安全志向から2ドアセダンをチョイス

1973年のフェラーリは、かのデイトナやディノ246といったスポーツカーもラインナップしていたはずですが、どうしてまた変わり種のような365GT4を選んだのでしょう。史家がさまざまな推論を挙げているのですが、どうやらラウダの安全性へのこだわりという説が有力です。また、スクーデリアに入るまで乗っていたとされるランチア・フルビアを気に入っていて、普段のアシをスポーツカーにするのは抵抗があったという説もあるようです。

1972年に発売され、その後400i、412へと進化。フェラーリ初のATが搭載されたのは400以降で、365は5MTのみの設定です。

とにかく、365GT4 2+2はフェラーリ伝統の60°V12エンジン、いわゆるコロンボ・ユニットをフロントに搭載し、4.4リッターから最大出力340ps/6200rpmのパフォーマンスは1500㎏のピニンファリーナボディを最高速245km/hで走らせたという名車。ちなみに、73年当時、V12エンジン搭載車の中で240km/hオーバーを実現したのは365GT4 2+2のみとされています。

母国へ持ち帰るほどお気に入りだった365

なるほど、そりゃラウダでなくとも気に入るはず。当時、ラウダ自ら洗車している写真が残されていますが、なんだか嬉しそうに見えるのは決して気のせいではないでしょう。また、ナンバープレートにもご注目。EEで始まるナンバーはイタリアの暫定登録証で、オーストリア国籍のラウダのためにツーリストナンバーが与えられたものとされています。

なお、ラウダは365を買い取って、母国オーストリアに持ち帰るほど気に入っていたそうです。が、後に売却した際「オーストリアで登録しなおす際の税金や経費の高さにウンザリした」とのコメントも残されています。レースといい、金勘定といい計算高いラウダとしては予想外の出費に悪態もつきたかったといったところでしょうか。

ラウダ自ら洗車する貴重なショット。ナンバーはイタリアの仮ナンバーで、スクーデリアからの貸与を裏付けるもの。

8万キロを走ってはいるものの、オリジナルのインテリアは状態も良好。大切に使われてきたことが伺えます。

MOMOプロトティーポのステアリングは非純正のはずなので、ラウダの好みで変更されたのかもしれません。

4.4リッターV12は6つのサイドドラフト ウェーバー 38 DCOE 59/60を備え、340psを発揮。ティーポF101、コロンボユニットと呼ばれる由緒あるエンジン。

全長×全幅:4810×1796mmというサイズなので、フェラーリとしてはずば抜けたトランク容量。内張の下にはスペアタイヤあり。

70年代初頭デビューだけあって、ホイールはセンターロック式。後継の400以降は一般的な5穴式を採用しています。

極上コンディションが保たれたインテリア 

また、モノクロ写真とはいえボディカラーはどう見ても現在のマラネロロッソには見えません。実際のところ、当初はアルジェント、すなわちシルバーメタリックでしたが、帰国した際に塗り替えられた模様。ですが、ラウダがオーダーしたとされるブルーレザーのインテリアはそのまま。初期の手触りがいいぶん、傷みやすいといわれるフェラーリのレザーですから、レストアされた可能性もありそうです。

元ラウダが乗っていた365GT4 2+2は、オークションで22万ユーロ(約3800万円)が予想されており、一般的な365GT4、その後継モデルとなる400や412の市場価格に比べるとなかなか強気なもの。走行距離8万キロオーバーながら、その間の整備記録は完ぺきに揃っているという逸品ですが、ラウダ&フェラーリの相乗効果はどこまで伸びるのでしょうか。

ラウダといえば、288GTOをエンツォに頼み込んで購入したエピソードも有名。それまでふたりの間にあったしこりが解けたのも288GTOのおかげでしょうか。

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