
今年の8耐こと「”コカ·コーラ” 鈴鹿8時間耐久ロードレース 第46回大会」は、2025年8月1日(金)~3日(日)開催。2025 FIM世界耐久選手権に組み込まれ、EWCトップチームだけでなくMotoGPライダーやWSBKライダーの参戦でグッと盛り上がりそうな気配だ。そんなハチタイが迫る中、改めて往年の耐久レーサーを振り返ってみたい。
●文:ヤングマシン編集部(中村友彦)
現代の耐久レーサーはヘッドライト付きのスーパーバイクだが……
近年の耐久レーサーは、パッと見ではスプリント用のスーパーバイクレーサーと同様である。もちろん細部に目を凝らせば、耐久ならではの機構が随処に盛り込まれているのだが、門外漢にとっては、耐久仕様とスプリント仕様の違いは判別しにくいだろう。
’80年代中盤以前を振り返ると、耐久レーサーはスプリントレーサーとは異なる独特の雰囲気を備えていた。その背景には、当時のレギュレーションが基本的に何でもアリのプロトタイプ/TT-F1だったという事情があったのだが、まだ確固たるノウハウが確立されていなかったからだろうか、かつての耐久レーサーは油臭くて無骨で、誤解を恐れずに言うなら、男らしさやメカメカしさが存分に感じられる佇まいなのだ。
言ってみれば’70~’80年代前半の耐久レーサーは、スマートや洗練という言葉とは無縁の存在だったのである。その事実をどう考えるかは人それぞれだが、各社各様の手法で生まれた往年の耐久レーサーは、多くのライダーにとって憧れの対象だったのだ。
ホンダRCB1000[’76-’79]:欧州耐久選手権で3連覇を達成した”無敵艦隊
●写真:ホンダ YMアーカイブス ※写真は’76年式
’67年に世界GP第1期参戦を終えて以来、約10年ぶりに本格的なロードレース活動を再開するにあたって、ホンダは欧州耐久選手権を選択。「RCB」と命名されたファクトリーレーサーはCB750フォアをベースとしていたものの、DOHC4バルブヘッド+カムギアトレインを採用したエンジン/負圧式キャブレター/小型軽量化を重視して製作されたダブルクレードルフレームなどに量産車の面影はなかった。’76年に8戦7勝でシリーズチャンピオンを獲得したRCBは、’77年には9戦9勝、’78年には9戦8勝を挙げ、圧倒的な強さで3連覇を達成。TT-F1規定が導入された’79年、世界選手権格式となった’80年には、CB900F系エンジンを搭載するRCBの後継機・RS1000が王座を獲得している。
耐久選手権の主役は昔も今もフランス人ライダー。黎明期のHERT=ホンダエンデュランスレーシングチームのエースを務めたのは、ジャン・クロード・シュマラン(左。車両は’76年式)とクリスチャン・レオン(右。同’77年式)。
ヨシムラスズキGS1000R(XR69)[’80]:スズキ本社製フレームと”神の手”が融合
●写真:ヨシムラジャパン YMアーカイブス ※レースではエアファンネル仕様で走行
’78年に開催された第1回鈴鹿8耐に、スーパーバイク仕様のスズキGS1000を持ち込んだヨシムラは、本命視されていたホンダRCBを破って劇的な優勝を飾った。もっとも車体を中心とした大改革を行った翌年は、マシントラブルでリタイヤを喫したのだが、’80年には本社製TT-F1用クロモリフレーム+足まわりを得たGS1000R(XR69)が、ヨシムラとスズキにとって2度目の鈴鹿8耐制覇を実現。チューニングの神様と呼ばれたPOP吉村が手がけた空冷並列4気筒エンジンの最高出力は、ノーマル+約50psの135ps前後に到達していた。なお抜群の速さと信頼性を獲得したGS1000Rは、欧州で開催されるTT-F1世界選手権にも参戦し、’80/’81年に連覇を達成している
’80年の鈴鹿8耐でGS1000Rを優勝に導いたのは、USヨシムラのエースとして活躍したウエス・クーリーと、モリワキの森脇護に見出され、世界GP500やTT-F1でも活躍したグレーム・クロスビー(写真)。
カワサキKR1000[1979~1983]:世界の頂点に立った日仏合作レーサー
●写真:カワサキ YMアーカイブス ※写真は’82年式
ヨーロッパで根強い人気を維持している耐久レースに、カワサキ本社が注目し始めたのは’70年代末。その第1段階として、’79年の鈴鹿8耐にZ系エンジンを搭載するファクトリーレーサーを投入。同社は翌’80年から、耐久レーサーとして数多くのパーツを専用設計したKR1000をフランスのパフォーマンス社に供給。初年度はホンダに敗れたものの、エンジンをZ1→Z1000J系とした’81年はシリーズランキング上位3位を独占し、82年も連覇を達成した。フロントサスペンションは一貫してリンク式アンチダイブ付きで、外装類はフランスで製作。PEM社製をベースにカワサキが開発したスチール製ダブルクレードルフレームは、最終モデルの’83年型でアルミ製となった。
パフォーマンス社は、ジョルジュ・ゴディエ/アラン・ジュヌー(Z系レーサーで’74/’75年にFIMカップ耐久を制覇)のマネージメントを担当したセルジュ・ロセが’79年に創設したレーシングチーム。写真は’82年の8耐を走るジャック・コルヌー。
モリワキモンスター[’79-’83]:異次元のタイムを記録したアルミフレームZ
●写真:モリワキエンジニアリング YMアーカイブス ※写真は’81年式
スズキとの提携を強めたヨシムラから引き継ぐ形で、’70年代中盤からカワサキZ系エンジンのチューニングを開始したモリワキは、’78年になるとオリジナルフレームの開発にも着手。「モンスター」と命名された独自のマシンは世界各国のレースで活躍し、フレームキット/コンプリート車の販売も行われた。さらに’80年代初頭には、当時はまだ車両メーカーもノウハウを掴んでいなかったアルミフレーム採用の第2世代モンスターが登場。乾燥重量163kgという驚異の数値を実現した’81年型は、鈴鹿8耐の予選でワイン・ガードナーが駆り、前年の予選最速タイムを3秒近くも更新する2分14秒76をマーク。モリワキの先進性を世界に知らしめることとなった。
後にホンダのエースとして活躍、世界GPチャンピオンとなったガードナーを始め、グレーム・クロスビー/エディ・ローソン/八代俊二/樋渡治など、モリワキモンスターを駆った名レーサーは数多い。写真は’82年の8耐でジョン・ペイスとタッグを組んだ和田将宏。
スズキGS1000R(XR41)[’83]:名車の規範となった、スズキ初の世界耐久王者
●写真:長谷川徹
世界耐久選手権で王座を獲得するため、スズキは’80年にフランスに本拠地を置くSERT=スズキエンデュランスレーシングチームを設立。当初の同社は既存のXR69を独自にモディファイして戦っていたが、’83年にはスズキ本社が製作したアルミ製ダブルクレードルフレームに、ヨシムラチューンの2バルブGS1000エンジン(耐久性を重視して4バルブのGSXは選択しなかった)を搭載するXR41を投入。エルブ・モアノー/リカルド・ユービンが駆る新生GS1000Rは、シルバーストーン6時間/ハラマ6時間/鈴鹿8耐の3戦で優勝を飾り、スズキに初の耐久ワールドタイトルをもたらした。なお’85年に発売されたGSX-R750は、このXR41を規範に開発されたモデルだ。
6を駆るモアノーは、’80年にホンダRS1000で初の世界耐久王者となり、’81年からSERTに参加。’88/’89年にはGSX-R750を駆ってシリーズチャンピオンを獲得している。
ヤマハFZR750(OW74)[1985]:ヤマハ4スト並列4気筒レーサーの原点
●写真:長谷川徹
2ストが主役のレースでは数々の偉業を成し遂げて来たものの、4ストがメインとなるプロダクションレースではライバルに遅れを取っていたヤマハ。そんな同社が4ストレーサーの頂点を目指して開発した初のファクトリーマシンが、’85年の全日本TT-F1でテストを行い、同年の鈴鹿8耐に投入したFZR750(OW74)だ。日本人にとっては夢のコンビとなるケニー・ロバーツ/平忠彦を起用した同年の鈴鹿8耐では、ポールポジションを獲得するもスタートの失敗でほぼ最後尾に落ち、怒涛の追い上げで再びトップに立つも残り32分でリタイヤ…と、8耐史上最高とも言えるドラマを演出した。翌年もヤマハは苦杯をなめたものの、’87年にYZF750で初の8耐制覇を達成した。
’78〜’80年に世界GP500を3連覇したロバーツは、’83年で第一線を退いていたが、’85年の8耐では初の鈴鹿/初の4スト4気筒にも関わらず、現役GPライダーのワイン・ガードナーを押さえてポールポジションを獲得。健在ぶりを強力にアピールした。
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