「レアすぎ」「可変マスってスゴ!」1983年スズキ「GR650」【柏 秀樹の昭和~平成 カタログ蔵出しコラム Vol.18】

ライディングスクール講師、モータージャーナリストとして業界に貢献してきた柏秀樹さん、実は無数の蔵書を持つカタログマニアというもう一つの顔を持っています。昭和~平成と熱き時代のカタログを眺ていると、ついつい時間が過ぎ去っていき……。そんな“あの時代”を共有する連載です。第18回は、日本バイク史に残るブームが巻き起こった1983年に登場した、スズキのマイナー車を取り上げます。


●文/カタログ画像提供:柏秀樹 ●外部リンク:柏秀樹ライディングスクール(KRS)

スズキではレアだった並列2気筒は、GSX-8Sの遠い先祖かも?

今回ご紹介するスズキGR650は1983年3月30日にデビューしました。

1983年といえば、日本のバイク史に記憶される年号のひとつと思います。各社の熾烈な販売合戦のために過去最高の販売台数を誇り、ニューモデルが矢継ぎ早に登場した年だったからです。そんな1983年のスズキを代表するヒット作といえばレーサーレプリカの元祖RG250Γですが、一方で世界初のメカニズムやスズキならではの独創的技術を投入しながら、一度もマイナーチェンジされることもなく短命に終わったバイクもあります。その一台がGR650です。

GR650 主要諸元■全長2120 全幅850 全高1180 軸距1430 シート高770(各mm) 車重178kg(乾)■空冷4ストローク並列2気筒DOHC2バルブ 651cc 53ps/7000rpm 5.6kg-m/6000rpm 燃料タンク容量12L■タイヤサイズF=100/90-19 R=130/90-16 ●当時価格:47万8000円

GR650のカタログの表紙はカタログマニアから見ると意外性があります。「VERTICAL RENAISSANCE(バーチカル・ルネッサンス)と赤い文字を左下に配置。表紙下部に開発の狙いとその意気込みを以下のように書き込んでいます。

「400並みの軽さで、750クラスの走りができるマシンを作る。このコンセプトのもとに生まれたのが、GR650だ。細部に至るまで施された軽量化と、可変マスといった新しいメカニズムがもたらす胸のすく加速感。そして、なみ外れた低燃費と、快適な取り回し。GR650こそ、世界のライダーたちが求めてやまなかったマシンのひとつだ。スズキの世界戦略車、GR650。いま、バーチカル・ルネッサンスという新しい時代に向けて、大いなる旅立ちが始まる」

素晴らしい風景写真と静止したバイク、あるいはダイナミックな走行シーンのバイクカタログが表紙を飾るのが一般的。GR650のカタログ表紙は車体のフォルムがつかみにくい角度です。パラレルツインらしいスリムさが表現されておらず絵心を求めるカタログマニアとしては意外でした。カタログの表紙に機種の特徴やコンセプトワークを細かに書き込む例も見たことがありません。

GR650カタログ表紙

表紙をめくるとメッセージ性の強い2ページ目が現れる。

400並みの軽量な車重はわかります。同排気量パラレルツインの視点で見れば1970年登場のヤマハスポーツ650XS-1は乾燥車重185kg。1971年式カワサキ650W1SAは199kg。XSもW1SAもセルスターターなしですが、セルスターター付にするなら当時の技術でプラス10kgほどになりますがセルスターター始動のみのGR650は178kg。1984年登場の水冷4気筒GSX400FWの乾燥重量178kgと同じ数値ゆえに軽量と言いきれます。

同年登場のカワサキGPz400Fの52万5000円や先述のGSX400FWの56万6000円と比較すると47万8000円のGR650は低価格でした。ただし、カタログの車両価格は明記か不明記か、どのメーカーも機種で異なり、GR650は価格明記されていません。

発売直前に向けて最後の最後まで価格設定が判断できずに価格不明記となった事例があるかもしれません。印刷物は所定の製作時間がかかるからです。現在のネットの時代とは訳が違います。もちろんこれは当時のカタログ製作担当者も忘れ去る些細な事例です。

低価格、軽量、トルクフル

さてさて本題のGR650(以下、GR)に戻ります。

GRは400ccクラスと比較しても低価格で400ccクラス並みに軽量な車体でありながら、エンジン系と車体系・足回り系も先端技術を織り込んでいました。エンジン系ではハイパワーインレットパスと呼ぶ新形状として吸気流速を高めてシリンダー内の充填効率をアップ。これによってトルクの谷を低減。

クランクシャフトメタル裏面にあるノズルからオイルを噴射させてピストン裏側を冷却するオイルジェットピストンクーリングシステムを採用。

DOHCのカムシャフトは中空タイプ。車重軽減だけでなく回転質量軽減効果を狙いながら、180度クランク位相に1軸バランサーを加えて振動低減によるフレームへの負荷=軽量化を促進しています。

ツインドーム形燃焼室STDCC(スズキ・ツイン・ドーム・コンバスチョン・チャンバーにはAI(エアインダクションシステム)を合流。AIはエア噴流によってスワール(渦流)を発生させて理想的な空燃比を実現する機構です。

そして何よりもGRで驚きだったのは世界初となる可変クランクマス採用です。低回転では発進時にスタートしやすい特性、中高回転ではアクセル開度に忠実なレスポンスとパワーを両立させるためにスズキは可変マス機構を採用しました。

可変マス機構とは約2500rpm以下までは補助マスがクランクシャフトと一緒に回転しつつ、約3000rpm以上になると補助マスがクランク軸から切り離される技術です。

「コロンブスの卵」と表現された可変マス。

アイドリングから低回転ではクランクマスが大きいほど安定した回転と十分なトルクが得られて市街地でのゴーストップでは容易に発進が出来る上に発進加速性に優れます。一方、中高回転ではその回転質量がマイナスに作用してスロットルのレスポンスを低下させ、高回転の伸びやドライバビリティを落としてしまいます。相反するこの事情を解決するのが可変マスです。

実はこの可変マス機構は車体軽量化にも貢献するものでもあります。高回転時の加減速方向のトルクは非常に大きく、その分だけクランクシャフトや駆動系だけでなく、車体系もよりガッチリしたものが必要になります。車両重量アップに繋がってしまう問題点をこの技術によってスズキは解決しました。

可変マスはスクーターによく使われる遠心力を使う非常にシンプルで重量的ハンデを負わない機構です。その後のさまざまなバイクにも使われて然るべき技術だったと思います。

駆動系ではトランスミッションギヤとシャフトには高精度な特殊ニッケルクローム鋼を採用して、素晴らしいシフトフィールを実現していました。

燃費数値も群を抜いて優れていました。44.5km/Lは同時期の4気筒GS550Lの40.5km/Lより優れ、2気筒250ccのGSX250Eの45km/Lに匹敵する好データを叩き出していました。

スズキ独自の“フルフローター”搭載

車体系では薄肉の高張力鋼管採用のダブルクレードル型フレームにアルミ角パイプのスイングアームをセットしながら、非常に動きがスムーズなフルフローター式リヤサスペンション機構を組み合わせています。当時のスズキRM系モトクロッサーなどがいち早く採用した構造です。ずっと後にホンダがGPマシンほかCBR600RRなどに採用したユニットプロリンク式の大先輩に当たる考え方です。GRのような乗り心地優先車両には最適な選択だったと思います。

リアサスには乗車のままで調整できるスプリングイニシャル調整機能RCPL(リモート・コントロール・プリ・ロード)を装備。当時流行していたフロントのセミエア式サスとセットで上質な乗り心地を目指していました。

フルフローター式リヤサスペンション、SDTCCエンジン、オイルジェットピストンクーリングなど最新技術を惜しみなく投入。

ではなぜスズキはGRを世に送り出したのでしょうか?

空前のバイクブームの渦中だったからという理由もあるでしょう。実はブームよりも伝統的なバーチカルツインというジャンルはスズキの4ストロークバイク戦略の一環に組み入れるべき対象だったからと深読みできます。

現存する日本の4社でもっとも4ストロークバイク開発に出遅れたのがスズキでした。しかし、1970年代後期に投入したGS750を代表とする渾身の4ストロークスポーツモデルたちは、ライバル他社に追いつけ追い越せとばかりにDOHC2バルブから他社に先駆けて4バルブ化しながら4気筒と2気筒スポーツモデルを充実させたのです。しかし、この段階で唯一500ccを超える大型4ストロークツインはトライしていなかったのです。

先述のXS-1やW1SA、W3など、あえて360度クランク650ccバーチカルツインとせず、外観的にも従来からの英国的なティアドロップ型燃料タンク、ツインショックではなく、新しい650ツインのあり方を提唱したかったと推定できます。

だから、カタログ表紙にアイキャッチとなる「VERTICAL RENAISSANCE」なる赤文字をセットしたのです。

ちなみにエンジンは180度クランク。これは低速域よりも中高回転を優位とする特性を持ちますが、だからこそ前代未聞の可変マス機構で360度ツインに劣らぬ低速トルクの充実を図ったという訳です。やや前傾シリンダーなのにVERTICALを謳っていますが、70年代後期に4気筒バイクばかりがもてはやされる中で唯一気を吐いたXS650スペシャルの外観的な雰囲気が少し残っている、まさに中途半端な印象のデザインでした。要するに「アメリカン」なのか「ネイキッド」なのか、わかりにくい外観だったということです。

カタログの最後には詳細なスペック表。

私個人としてはGS1000Sのようなビキニカウルがセットされ、スリムで少し長めの燃料タンクに低めのコンチネンタルハンドルにバックステップという「テイスト系スポーツ・ツイン」だったらもう少し多くのファンが生まれたのでは、と思います。

ところでエンジン出力はW1Sの最終型W3(650RS)とXS-1は53馬力。そしてGR650も53馬力です。WとXSと同じ53馬力でも新時代の53馬力を誇りたかったのではないか。80年代に入ったスズキの4ストロークエンジニアリングとしては優に60馬力超の速いツインバイクも十分に可能だったと思います。しかしRG250γなどすでに馬力競争やタイム短縮など加熱する一方のスポーツバイク路線に性能重視の650ツインを加えることに、社内では一定の慎重派がいたと予測できます。

そうです。馬力数値や最高速度だけでバイクの魅力は語れない、という当たり前すぎる大人の判断がそこにあったのだと思います。

売れたか売れなかったか。企業としては重要な問題でしょう。しかし、現場のエンジニアとして53馬力の表示はまさに勇断だったと私は思います。

輸出仕様にはキャスト/スポークホイールの2種類があった

ちなみにGR650の北米仕様はキャストホイール「GR-650」とワイヤースポークホイールの「GR-650X」(赤のモノトーンのみ)が用意され、「誘惑する人」を意味する「TEMPTER」のエンブレムがサイドカバーにセットされていました。国内向けの400単気筒スポーツ「テンプター」がこの名前を継承しています。

GR-650は国内外仕様ともにヘッドライト下にシティライト(ポジションライト)をセットし、国内向けはライトステーの形状が異なることとサイドリフレクターが省略されていることが相違点です。

国内向けは乾燥重量178kgですが、輸出用は乾燥重量184kg。スポークホイール仕様は3kg軽量な181kgでした。それ以外に異なるのはシート高。輸出仕様は760mmに対して国内仕様は770mm。なぜに国内仕様はシートが10mm高いのか、今となっては謎です。

日本国内では超レアな存在ですが、北米市場などは他社を含めてスズキは500ccを超える4ストロークツインのニーズは侮れないと判断したことは事実でしょう。

流行に左右されやすい日本市場とは異なり、使い勝手の良いバイクこそ正義!という昔ながらの欧米のライダー達にGR650は今なお魅力的に映るバイクと思います。

輸出仕様GR-650 / GR-650X テンプター。

GR-650 Tempter

GR-650X Tempter

輸出仕様GR-650 / GR-650X テンプターのスペック。

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