事前にバーコードを“ピッ”の時代がスタート

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.37「2年連続開幕戦勝利でシーズンイン!」


TEXT:Toru TAMIYA

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、そのタイヤ開発やレースの裏舞台を振り返ります。2007年、MotoGPクラスは800㏄化とともにタイヤ使用本数制限を導入。サポート選手も増え、環境が大きく変化する中でシーズンがスタートしました。

タイヤ仕様本数制限と一気に増えた契約ライダーに対応

迎えた2007年シーズン、開幕の舞台はカタール。ちょうどこの年から、カタールGPが開幕戦に設定されたのです。ただし、この年までは決勝レースが土曜日の日中に実施されるタイムスケジュールでしたが、翌年からMotoGP史上初のナイトレース(決勝は日曜開催)に移行します。そしてこの2007年というのは、マシン排気量が990ccから800ccに変更されただけでなく、とくに我々にとっては大きなレギュレーションの変更がありました。

以前にもこのコラムで触れましたが、MotoGPクラスにタイヤ使用本数制限が導入され、1大会で使用できるタイヤがフロント14本、リヤ17本に。そしてレースウィークに使用するタイヤを、最初のフリープラクティスが実施される前日……つまり通常の日曜決勝であれば木曜日の段階で決定し、使用タイヤにマーキングすることになりました。オーガナイザーであるドルナスポーツのスタッフが、登録タイヤのバーコードをスキャンして読み込むのですが、なにせ全員が初めてのことなのでバタバタ……。しかもこの年、ブリヂストンの契約ライダーは前年の6名から一気に10名まで増えていて、対応しなければならない案件も多く、そういう中でなんとか無事にシーズンインできたという感じでした。

それまで同様、ブリヂストンは契約する全チームあるいはライダーに、タイヤを選ぶ権利を等しく用意していました。それはつまり、有力チームだけにスペシャルタイヤを供給するわけではないということです。ウインターテストの段階から、とくに新しいタイヤを開発したときには全ライダーに試す機会を与え、あとはチームまたはライダーの好みなどで選んでもらった仕様をベースに準備するという形態でした。ちなみに、マシンのメーカーが違えばタイヤとの相性に差が出ることは容易に想像できるかもしれませんが、同じマシンでもライダーによって意外と求めるスペックに違いがあります。

また、ライダーによって選ぶタイヤに違いが生まれるということに関しては、タイヤが最後まで持たないからハードを選ばざるを得ない……というのもよくある話でした。スロットルの開け方とかコーナリングスタイルとか、あるいはマシンセッティングなどさまざまな要因により、決勝におけるタイヤの耐久性に違いが生まれるのです。

とはいえ2007年以降というのは、タイヤがどんどんソフトになる傾向。これは800cc化の影響もあったと思いますが、それと同時に電子制御がどんどん高度化されたことが大きいと感じています。ムダなスピンが無くなることで発熱が抑制され、結果的にタイヤのライフが持つようになると、もっとグリップに優れるソフトな仕様をリクエストされることが増え、グリップに優れるタイヤを決勝で使えるからラップタイムが上がる……ということがどんどん進んでいきました。2007年の開幕当初は以前とそれほど違いはありませんでしたが、しばらく経ってから800cc時代が終わる2011年頃までは、とくに大きな変化があったように感じています。

どれくらいの変化があったかを簡単に説明するなら、1年前のソフト~ハードまでの水準が1~2ランクずれるイメージ。つまり1年前のソフトが、シーズンを通していつの間にかハードの扱いになっていたような感じと思ってもらえればわかりやすいと思います。各サーキットでレースが開催されるのは年間1回のみ。コースごとに、レイアウトや路面状況などでタイヤに対するシビアさが異なるので、例えば第5戦と第10戦でタイヤがこんなに変わった……というような判断はできません。しかし我々は、各サーキットの特徴などをマップ化してあるので、前年との比較をすることで、タイヤに対する負荷がどれくらい変化したのか判断できるのです。

少し脱線してしまいましたが、2007年に話を戻しましょう。この年、サポートライダーは5チーム10人になりましたが、ブリヂストンは各チームに1名のエンジニアが担当する体制にしていたので、エンジニアの人数は増えました。タイヤの供給に関しては、使用本数制限が施行されたので、ライダーが6名から10名になったことでサーキットに持ち込む本数が倍近くになることはありませんでしたが、それでもやはり供給量は前年より多くなり、たしかトラックが1台増車されたはず。あと、エンジニアが事務所として使えるようなトレーラーも増やしました。

大会に対する準備としては、前のレース(開幕戦に向けては最後のテスト)が終了したときに、各エンジニアがチームとミーティング。そこでのヒアリングにより、各ライダーに5~6種類あるタイヤの中からフロント、リヤともに基本的には3スペックずつ選んでもらい、それを次戦の会場に運搬します。シーズン中には翌週にすぐ次のレースが開催されるスケジュールもありますから、そのようなときは事前に2大会分をチョイスしてもらっていました。スペックは、こちらの手持ちとしてはかなりのタイプがあるのですが、たいていこの中から選ぶというものが5~6種類に絞られている感じでした。そこで、全員が同じスペックを選択しても2戦分は持つよう、生産本数をかなり増やしてストックし、減った分は補充していました。ちなみに、2007年段階で予選用タイヤも使用していたと記憶しています。予選用タイヤはリヤだけなのですが、じつはこちらにも1~2種類のスペックがあり、それを含めると各選手が4~5種類のスペックを毎戦事前に選んでいたことになります。

レースのトータルタイムは前年より20秒も速かった

さてこのように、マシンだけでなくタイヤに関してもさまざまなことが前年とは違う状況となった2007年。最初のレースとなったカタールGPで、ドゥカティワークスチームに新加入したケーシー・ストーナー選手がいきなり勝利を収めたことで、ブリヂストンは2年連続で開幕戦優勝という最高のスタートを切ることになりました。この大会、ストーナー選手はポールポジションこそミシュランを履くバレンティーノ・ロッシ選手に譲りましたが、その差はわずか0.005秒。迎えた決勝は日中の開催でしたが、3月上旬ということで気温29度、路面温度45度と、かつてのカタールに比べたらそれほど暑くないコンディションでした。

その決勝では、オープニングラップでトップに立ったストーナー選手が、コンマ数秒差で追うロッシ選手と最終ラップまで僅差の接戦を展開。最後までロッシ選手を抑えてトップチェッカーを受けました。このレースでは、ウインターテストで好調だったスズキワークスチームのジョン・ホプキンス選手も4位入賞。サテライトチームのホンダ・グレシーニから参戦したマルコ・メランドリ選手はホプキンス選手から8秒ほど離されての5位でしたが、ホプキンス選手は3位のダニ・ペドロサ選手をレース後半に僅差で追い、約0.5秒差で惜しくも表彰台に届かずという内容でしたから、これも明るい話題でした。

ストーナー選手は前年にこのカタールでMotoGP昇格2戦目にしてポールポジションを獲得していて、コースとの相性がよいのは明らか。とはいえこのサーキットは、フロントタイヤに厳しいレイアウトです。このような状況の中、ストーナー選手が優勝しただけでなく、多くのサポートライダーが「グリップダウンが少なかった」と評価してくれたことで、まずは我々の自信につながりました。そのコメントを裏付けるように、ストーナー選手は最終ラップにファステストラップをマーク。このタイムは前年に記録されたそれまでのレコードタイムを、0.8秒も更新するものでした。ちなみにレース22周のトータルタイムは、2006年より20秒も短縮され、800ccでの初戦にして990ccの記録を大きく上回ることになりました。

前年のカタールGPを制し、ブリヂストン勢でトップとなるランキング3位となったドゥカティワークスのロリス・カピロッシ選手が、6周目にトップグループの背後まで迫る5番手に追い上げた後にクラッシュしてノーポイントに終わったことが気がかりでしたが、とはいえブリヂストンは幸先のよいスタートを切ることになったのです。

2007開幕戦カタールGPで、幸先のいいスタートを切ったケーシー・ストーナー選手。このまま勢いに乗っていく。


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