ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、そのタイヤ開発やレースを回想します。MotoGPクラス参戦4年目となった2005年、ブリヂストンはドゥカティのワークスチームと契約したことで、数々の新たな経験を得ることになりました。
白熱した議論や交渉を経てドゥカティと良好な関係に
ドゥカティと契約して、初めて日本以外のバイクメーカーと組んだ2005年シーズン。ブリヂストン勢では、ドゥカティ・マルボロチームから参戦したロリス・カピロッシ選手のシリーズランキング6位が最上位となりました。前半戦はなかなか思うような結果につなげることができず苦労しましたが、後半戦は連勝も記録し、表彰台登壇回数も増加。この年、初めてイタリアのチームあるいはライダーと一緒に戦ってみて、それまでイタリア人に抱いていた能天気で楽天的というようなイメージとは、異なる部分も見ることができました。当時のドゥカティのワークスチームというのは、かなり少数精鋭で運営されていたこともあり、レースウィークにかなり夜遅くまで作業していることも多々。勤労という点に関して、それまで私が感じていたラテン気質とは違っていました。この10年以上前から125ccクラスでイタリアのプライベートチームをサポートしてきた経験があったので、そのときからイタリア人に対するイメージがあったのですが、ワークスチームはかなり違っていたのです。
一方で、これは日本のメーカーも同じとはいえそれ以上に、レースで勝つためにはガンガン要求を突き付けてくるという印象も持ちました。もちろん個人差があることなので、イタリア人の特徴と言い切ってよいかどうかは微妙とはいえ、自分たちがトップになるためならありとあらゆる手段を使うというのが一般的。ライダーは、どの国の出身でも基本的にそういう傾向なのですが、ドゥカティは開発者やそれよりも上のポジションに立つ人物でも、自分たちの要望や要求はかなりはっきり強く伝えてきました。
日本メーカーの場合、上のほうの役職を務める人たちは、「一応これを要求するけど、そちらの都合もわかるので……」とか、「彼らも頑張っているのは知っているから言わないでおこう……」とか、「まあ信頼しているので任せておこう……」なんて風潮もありますが、ドゥカティはこちらからすると無理難題に近いようなこともかなり口にしてきました。ドゥカティワークスのチームマネージャーを務めていたリビオ・スッポさんとは、ケンカというわけではないのですが、かなり白熱した議論を展開したことが何度もあります。そもそも、2005年に向けた契約交渉のスタート時点から、ドゥカティのレース部門を仕切るドゥカティ・コルセの代表を務めていたクラウディオ・ドメニカーリさんともさまざまな交渉事はあったわけで、日本メーカーとの違いを思い知らされたのはシーズン開幕前からだったのですが……。
また、イタリア人というのは良くも悪くも熱狂的で、それはメディアも同じ。しかも日本と比べたらはるかにMotoGP人気は高く、同郷であるイタリアンチームやイタリア人ライダーの戦績はもちろん、レース後のコメントなど一挙手一投足に注目しているわけです。現在はやや少なくなったようですが、当時はいくつもの日刊スポーツ紙や専門誌でMotoGPネタが毎日大きく取り上げられていたので、記者たちもレースに帯同して常にネタ探しをしていました。そのため、タイヤに関することを公式リリースに記載する場合は、事前に我々の確認を得るようにとこちらから要求したこともありました。メディアを活用してライバルを陥れるとか、あるいは自分たちの要求をはっきり伝えるなんてことは、彼らにしたら当然という感覚。ドメニカーリさんでさえも、何か重要な要望がある場合には、現場の人間を飛び越して直接上の役職に就く人間に働きかけ、政治的に物事を動かそうとすることもあったので、気を抜くことができずにいました。
とはいえ、彼らにしても我々も、すべてはレースで勝つためにやっているという点は共通。日本企業との関係ではそれまでなかった体験ができたことで、我々の成長につながったことも事実です。そしてこの2005年シーズンを共に戦ったことで、その後のドゥカティとの良好な関係につながったのです。ドゥカティとは最初から複数年契約を結んでいたこともあり、ブリヂストンとしてMotoGP参戦5年目となる2006年シーズンは、前年と同じくドゥカティ、スズキ、カワサキのワークスチームにタイヤを供給することに。ドゥカティは継続起用のロリス・カピロッシ選手とホンダから移籍してきたセテ・ジベルナウ選手、スズキは同チーム4年目のジョン・ホプキンス選手と前年までホンダのマシンでスーパーバイク世界選手権に参戦していたクリス・バーミューレン選手、カワサキはこのチームで3年目となる中野真矢選手と250ccクラスからMotoGPにステップアップしてきたランディ・ド・ピュニエ選手という布陣でした。
2006年には1大会あたりのタイヤ使用本数制限が導入された
この年、MotoGPクラスにはタイヤに関する規制が導入。これは2003年ごろから議論が重ねられてきたもので、ミシュランとダンロップとブリヂストンの3社によって2004年10月7日に合意されました。規制を最初に提案したのはミシュラン。2002年から我々が参戦し、翌年には少しずつながら結果を残しはじめたことで競争が激化し、それまで絶対的な王者だったミシュランの開発費が増えたことが、要因のひとつだったのではないかと推察しています。1大会で使用できるタイヤ本数や年間のタイヤテスト回数などを規制することは、どのタイヤメーカーにとってもコスト削減につながるわけで、総論としては3社すべてが賛成。ただし、それまでの実績があるメーカーと我々のようにまだまだ開発途上の新興メーカーでは、規制による有利不利が異なります。そのため、細かい規制の内容について1年以上をかけて調整が続いたわけです。
その結果、2006年は1大会で使用できるマックスのタイヤ本数を、フロントが3スペック18本まで、リヤが4スペック24本までにすることで決まりました。ミシュランは当初、もっと少ない本数を提案。そのほうがミシュランにとっては有利だったと思います。ちなみに、スペックに関しては均等である必要はなく、例えばフロント18本のうちAが16本でBとCが1本ずつなんて極端な配分でもOK。またレインタイヤについては本数制限を設けず、ただしレインタイヤの定義づけをしました。というのも、例えばスリックタイヤに溝を1本だけ掘って、「これは溝があるからレインタイヤだ」なんてことが認められてしまえば、いくらでもズルができるわけです。そのため、トレッド(タイヤの接地面)を中央と左右で3分割したとき、それぞれの溝比率(※ブリヂストンではネガティブ比、一般的にはシー&ランドレシオとも言われる)が20%以上でなければレインタイヤと認めないということになりました。トレッドを3分割で考えたのは、例えばセンターだけたくさん溝があってサイドがスリックというようなタイヤを排除するためです。
このタイヤ規制には、MotoGPの運営権利を所有するドルナスポーツも当然ながら関わっていました。ドルナとしても、ブリヂストンの参入によりタイヤの重要性がこれまで以上に理解できるようになっていた時代。そして、複数のタイヤメーカーが参入するコンペティションな状態は、MotoGPをより面白くするということもわかっていました。そのためドルナは、タイヤメーカーが3社の場合、どこかのチームにタイヤの使用を新たに要望されたとき、ライダー供給率が33%を超えるまでは拒否できないという項目を盛り込んできました。つまり、超有力なチームやライダーだけに供給してチャンピオンを狙うという戦略を排除することで、コンペ状態の継続を狙ったわけです。それと同時に、もしもタイヤメーカーが参戦を休止する場合は、1年前までに宣言しなければならないことになりました。
2005年シーズンに向けてドゥカティのワークスチームと契約するにあたり、彼らは3年間の優先契約を提示してきました。しかし前述のように、このときすでにタイヤ規制に関する議論はスタートしていて、供給義務が決まりそうな状況。我々としては、タイヤ規制が導入されたら多くのチームをサポートせざるを得なくなり、そのときの状況によりチームを選ぶことができなくなる可能性があるという理由でドゥカティに納得してもらい、優先契約を省いてもらいました。我々の本心としては、供給先を縛られたくなかったということもあるのですが!
TEXT:Toru TAMIYA ※本内容は記事公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。
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