かつてホンダレーシング(HRC)のメカニックだった佐藤雄一さんは、現在はアメリカで航空機用レシプロエンジンの再生作業に取り組んでいる。つまり佐藤さんは、80年前に製造された大戦機のエンジンを、飛行可能な状態に蘇らせる日本人唯一の「レストア職人」だ。佐藤さんが所属するカリフォルニアの工房には、世界各国の「名基」が送られてくる。今回は零戦が搭載した『栄発動機』と、フォッケウルフの『BMW 801』のレストア事情をご紹介したい。
●文:ミリオーレ編集部(鈴木喜生) ●写真:佐藤雄一
鈴木喜生(すずき・よしお)/著者兼フリー編集者。宇宙科学、第二次大戦機などの書籍編纂を手掛けつつ自らも執筆。編集作品として『傑作戦闘機とレシプロエンジン』(二見書房)、『紫電改取扱説明書 復刻版』(太田出版)など。
零戦を再び飛ばすための栄発動機レストア作業
この釣鐘のような金属のかたまりは、零戦が搭載した『栄二一型発動機』のクランクケース。オーバーホールのために全バラにされ、固着したオイルがすべて洗浄された状態だ。栄は14気筒の星型エンジン。だからケースの側面には14カ所のシリンダー・バレルホールがある。
極太のクランクシャフト
そしてこれが極太のクランクシャフト。栄は複列の14気筒なので、7本脚のコンロッドが7つのピストンに結合され、そのユニットが前後に2つ配される。
いまアメリカでは零戦三二型が新造されているが、現在は米国製のエンジンを搭載している。しかし、当初の計画どおりにいけば、この栄エンジンはその新造零戦に換装され、再び空を飛ぶ可能性がある。
代替パーツは米国製
「大戦機のエンジンでは、発電機、スターター、真空ポンプ、キャブレターなどが欠損していることが多いですね。しかも日本軍機のほとんどは終戦時に破棄されているので、オリジナルのスペアパーツを入手することは困難です。その場合には、米国製の他のエンジンからパーツを流用しています」
工具は自作することも
この栄エンジンは、長年に渡って熱帯地帯に放置されていたもの。錆びたパーツは抜き用ボルトを締めこんでも分解できず、そのため佐藤さんはプレス機を利用して、分解するための工具を自作した。
大戦機のレストアでは、当時の専用工具が現存していないことが多い。そのため工具の自作は珍しいことではない。
ただし、この固体のコンディションは悪くないという。再生作業をすべて完了させたとき、この栄エンジンは70%前後のオリジナル度を保てるだろうと、佐藤さんは予想している。
液冷大国ドイツが開発した空冷星型『BMW 801』
日本と同じく敗戦国であるドイツには、残存する機材が極めて少ない。ましてや精密機器であるエンジンは皆無といってもよいほど。
だからこそ、そうした超希少なエンジンが佐藤さんの工房に来る。筆者が取材時に見せていただいたのは、フォッケウルフFw190が搭載したBMW製のエンジン『BMW 801』のレストアだ。
フォッケウルフが搭載した空冷星型の『BMW 801』
BMW 801は、空冷星型複列14気筒エンジン。排気量は41.8リットル、ボア×ストロークは156×156mm。圧縮比は7.22対1。離陸する際の出力は、2700rpmにおいて1700馬力を誇る。
上の写真は、コンロッドアッシーを組み入れる作業の様子。栄発動機と同じく複列14気筒なので、7本脚のコンロッドがワンセットとなる。手前の太いのがマスターロッドだ。
質実剛健で優美なBMWのデザイン
「ドイツらしい力強さを感じさせるデザインです。肉抜き加工が美しいですね。小端部から大端部へのライン形成、角面の処理などに設計者のセンスを感じます」
3年におよぶレストア作業が完了した後、このBMW 801は同じくレストアされたフォッケウルフに搭載され、60年振りの飛行に成功している。機体とエンジンがともにオリジナルのフォッケウルフFw190は、世界にこの一機だけだ。
超精密アナログ・コンピュータ『コマンド・ゲレーテ』
フォッケウルフFw190が搭載した『コマンド・ゲレーテ』という装置をご存じだろうか?
かつての大戦機では、離着陸、戦闘時、速度、高度などの変化によって、スロットル操作だけでなく、燃料流量、プロペラピッチ、過給機の調整、点火時期など、じつにさまざまな手動調整が必要だった。しかし、それらをすべて自動調節してくれるのがこのコマンド・ゲレーテだ。
現代のECUを歯車で
つまり現在のクルマやバイクが搭載するECU(エンジン・コントロール・ユニット)によるエンジン制御を、この歯車だらけアナログボックスが処理してくれるのだ。これによってパイロットはスロットル操作をするだけでよくなり、戦闘時も圧倒的に有利になる。
「この箱を単体で見せられたら、メカに精通した人でもとうてい大戦機が搭載するパーツとは思わないでしょうね」
戦後80年も稼働する、精密アナログ・コンピュータ
取材時に佐藤さんは、この複雑かつ精密な『ブラックボックス』と格闘していた。当時の取り扱い説明書や、そこに記された構造図などを参考にしながら、この完全機械式のアナログコンピュータが正しく機能するよう再生するのだ。
「テストの結果、マニュアル指定値を示したので整備完了と判断しました。軽度なメンテナンスだけで、いまも正常に作動することは驚愕に値します。まるで生き物のようにギヤとカム、スプリングが動き、規則的なノイズを発生します。メカ好きにはたまらないサウンドだと思いますよ」
実働する米国の「産業遺産」を日本が支える
アメリカには多くの航空博物館がある。各団体が定期的に開催する航空ショーでは、マスタング、フォッケウルフ、そして零戦が、惜しげもなく飛び回る。佐藤さんが仕上げたエンジンは、そうした舞台で飛び続けている。
また、飛行機のレースとして名高い『リノ・エアレース』で使用されるエンジンも、佐藤さんの工房に持ち込まれる。カリカリにチューンナップされたそれらエンジンは、80年前に製造されたモノとは思えないほどのスペックを発揮する。
こうした文化がアメリカに残っているのは、戦勝国であることだけが理由ではないだろう。産業遺産とモータースポーツに対する敬意と文化。佐藤さんはひとりのレストア職人として、それを継承している。
本書では、第二次大戦機が搭載した世界のレシプロエンジン7基を紹介。アメリカで活躍する現職のエンジン復元スペシャリスト佐藤雄一氏と、現存大戦機を40年間にわたって取材してきた航空ジャーナリスト藤森篤氏が、それら名機を詳細に解説している。
また、読者だけが視聴できる80分間の特典動画をYouTube上で限定公開。栄発動機、ダイムラーベンツDB605、ブリストル・セントーラス、ロールスロイス・マーリンなど、極めて希少性の高いエンジンのディテールや、メンテナンスシーン、テストベンチによる試運転、さらにはそれぞれの戦闘機の空撮フライトシーンも収録。
零戦、メッサーシュミット、フォッケウルフ、マスタングなど、第二次大戦時に活躍した世界の名戦闘機の原動力となった、1000~2000馬力を発生する至高のレシプロエンジン。80年近く経過した今も、それらエンジンが保存され、メンテナンスを施して、運転可能な状態で維持されている。
本書では、誰もが名を知る名戦闘機とともに、そうしたレシプロエンジンを内部構造までを、豊富な写真と図版とともに徹底解説。希少なレシプロエンジンにスポットを当てた本書は、大戦機ファンや航空ファンだけでなく、クルマやバイクを趣味とする方々にとっても興味深い内容となっている。
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