【ロータリー狂騒曲】GM/ポルシェ/川重も交渉したNSUライセンス! スズキ「RE-5」受発注ギャップと4ストGSへの転換劇

【ロータリー狂騒曲】GM/ポルシェ/川重も交渉したNSUライセンス! スズキ「RE-5」受発注ギャップと4ストGSへの転換劇

ニッポンがもっとも熱かった“昭和”という時代。奇跡の復興を遂げつつある国で陣頭指揮を取っていたのは「命がけ」という言葉の意味をリアルに知る男たちだった。彼らの新たな戦いはやがて、日本を世界一の産業国へと導いていく。その熱き魂が生み出した名機たちに、いま一度触れてみよう。この記事ではスズキRE-5を取り巻くロータリーエンジンやスズキフラッグシップの歴史について解説しよう。


●文:ヤングマシン編集部(中村友彦) ●写真:YM ARCHIVES

100以上のメーカーがドイツのNSUと交渉

シリンダーを星型に配置する航空機用レシプロエンジンとの混同を避けるため、海外ではヴァンケルエンジン、ピストンレスエンジンなどと呼ばれているロータリーエンジン。この内燃機関が、発表時にどれだけ世界中の期待を集めていたかを示すのは、開発元のNSUに接触したメーカーの数だ。

NSUが社屋を構えるドイツ南部のネッカーズルムを’59〜’70年代初頭に訪れたメーカーはなんと100社以上。ライセンス契約を結んだ会社は、アメリカンモータースコーポレーション、アルファロメオ、カーティス&ライト、川崎重工業、シトロエン、スズキ、ゼネラルモータース、東洋工業(マツダ)、トヨタ、日産、フォード、フィヒテル&ザックス、ポルシェ、メルセデスベンツ、ヤマハ、ヤンマーディーゼル、ロールスロイスなど、約20社に及んだのである。

ちなみに、ホンダはNSUとのライセンス契約は結ばなかったものの、’70年代中盤にロータリーエンジンを搭載する2輪車を独自に試作。また、資本主義の決まり事が通用しなかった旧ソ連では、NSUの無断コピーをベースに発展したロータリーエンジンの4輪車が、’74年から四半世紀に渡って販売された。

もっとも、これだけ多くのメーカーに関心を持ったにも関わらず、ロータリーエンジンを本当の意味で商業ベースに乗せることができたのは世界で唯一、日本のマツダだけだった。

その背景にはさまざまな事情があるのだけれど、各社がロータリーエンジンの開発を打ち切る直接的なきっかけになったのは、’70年にアメリカで制定された大気浄化改正法(提案者の名前からマスキー法と呼ぶのが一般的)と、’73年秋に勃発した第1次オイルショックだ。

このあたりの事情は同時代の大排気量2ストロークと同様で、排気ガスのクリーン度や燃費という面では、ロータリーエンジンは既存の4ストロークに及ばなかったのである。

もちろん’67年からロータリーエンジン車の市販を開始したマツダのように排気ガス浄化装置を新規開発すれば、問題はある程度まで解決できた。とは言え、まだロータリーエンジンを実用化していなかった他メーカーにとって、’70年代前半〜中盤の急務は、既存の4ストエンジンをベースとする排気ガス浄化と燃費改善で、その時点で新時代の内燃機関の可能性は切り捨てられてしまったのである。

そんな中、’70年11月にNSUとライセンス契約を結んだスズキは、’72年に開発中のロータリーエンジン単体、’73年に試作車のRX5を発表し、’74年秋からRE-5の発売を開始した。現代の視点でこの経緯を見ると、世間の動向が読めなかったのか……という気もするけれど、モーターショー公開時のRX5とRE-5は世界中で大反響を巻き起こし、事前の市場調査による受注見込みは約2万台だったのだ。

残念ながらその目論見は外れ、しかも’70年代前半のスズキのフラッグシップは、以後の発展の可能性が閉ざされた2スト3気筒のGT750だったのだから、当時の同社は窮地に立たされたわけである。

もっとも、その窮地の中で多くの技術者が“次こそは!”という意識を持ったからこそ、’74年に開発がスタートし、’76年から発売が始まった4ストのGSシリーズは、先行する他メーカーの4スト勢に、イッキに追いつくことができたのだろう。

’73年の東京モーターショーで公開されたRX5のカットエンジン。先行するマツダの10Aが低中回転域重視のサイドポートだったのに対して、スズキは高回転指向のペリフェラルポートを選択。

すべてが新しい挑戦だった、3車3様のスズキ旗艦

水冷2スト3気筒(1971 GT750)→水冷ロータリー(1974 RE-5)→空冷4スト4気筒(1977 GS750)という変遷を辿った’70年代前半〜中盤のスズキの旗艦。当時の2輪メーカーでここまでバラエティに富んだ展開を行ったのはスズキくらいである。なおGT750以前の旗艦は空冷2スト2気筒。

【1971 SUZUKI GT750】

【1974 SUZUKI RE-5】

【1977 SUZUKI GS750】

2輪向きではなかったジウジアーロデザイン

ロータリーエンジンと並んで、RE-5の特徴と言われているのが、ジュルジェット・ジウジアーロのデザインである。

欧州の4輪界で巨匠と呼ばれる人物が、なぜ日本の2輪を?と感じる人がいるかもしれないが、いすゞ117クーペやダイハツ・コンソルテ、三菱コルトギャラン、スズキ・キャリイL40/フロンテクーペ、トヨタ・スターレットなど、’70年前後の日本車には、ジウジアーロの作品が数多く存在した。だからジウジアーロがRE-5のデザインを担当したことは、べつに不自然でも不思議でもないのだけれど……。

ごく少数マニアにはツボだったかもしれないが、世間のRE-5のデザインに対する評価は芳しくなく、スズキは’76年型で万人受けを念頭に置いた仕様変更を実施。なお’70年代中盤のジウジアーロはドゥカティの依頼を受け、既存のラウンド→スクエアスタイルへの変更を行っているが、こちらの評判も良好とは言えなかった。

そしてこういった事態に遭遇すれば、2輪の社外デザインはNG、となりそうなものだけれど、そうしないのがスズキの面白いところで、’81年型GSX1100Sはドイツのターゲットデザイン、’86年型GSX400X/XSインパルスはターゲットデザインから独立したハンス・ムートにスタイリングを依頼。また、2019年から発売が始まる新型カタナは、イタリアのエンジンズ・エンジニアリングが手がけた、コンセプトモデルをベースとしている。

世界初のRE搭載車と本家NSUの苦難

【1964 NSU WANKEL SPIDER】ロータリーエンジンの本家であるNSUは、’64年にシングルローター500㏄のヴァンケルスパイダー、’67年に2ローター995㏄のRo80を発売するが、いずれもトラブルが続発して経営が悪化。’69年にはVW傘下に入り、後にアウディと経営統合。

【フェリクス・ヴァンケル博士】ロータリーエンジンを考案したフェリクス・ヴァンケル博士は、’24年に22歳の若さで自身の研究所を設立。NSUと共同開発を始めたのは’51年から。

【1967 MAZDA COSMO SPORT】’60年にNSUと技術提携を結んだマツダは、艱難辛苦と言うべき開発期間を経て’67年に日本車初のロータリーエンジン車となるコスモスポーツを販売。2ローター982㏄の10Aは、’68年型ファミリア、’71年型サバンナにも搭載された。

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