元MotoGPライダーの青木宣篤さんがお届けするマニアックなレース記事が上毛グランプリ新聞。ヤングマシン本誌で人気だった「上毛GP新聞」がWEBヤングマシンへと引っ越して、新たにスタートを切った。1997年にGP500でルーキーイヤーながらランキング3位に入ったほか、プロトンKRやスズキでモトGPマシンの開発ライダーとして長年にわたって知見を蓄えてきたのがノブ青木こと青木宣篤さんだ。最新MotoGPマシン&MotoGPライダーをマニアックに解き明かす!
●監修:青木宣篤 ●まとめ:高橋剛 ●写真:Honda, Michelin, Red Bull
バシッとハマればビシッとグリップするが……
皆さん、バイクに乗る時は基本的にタイヤのことを信じていますよね? じゃないと、ブレーキもかけられず、車体を傾けることもできず、スロットルを開けることもできず、何もできないことになってしまう。タイヤというのは、バイクを走らせるにあたってそれぐらい重要なパーツだ。
MotoGP第9戦イギリスGPは、ブリティッシュウェザーに悩まされる展開となった。8月4日(金)は気温が低すぎてワケも分からないまま転倒するライダーが続出し、翌5日(土)は土砂降り。そして決勝の6日(日)は決勝レース中盤に差しかかるとコースの一部で雨が降り、レース中にマシンを乗り換えられる「フラッグ・トゥ・フラッグ」が宣言され、レース終盤にはレインタイヤに交換したライダーも何人かいた。
……と、走行セッションがある3日間がすべて不安定な気候に翻弄されたレースだったが、要するに何が問題で翻弄されるのかと言えば、冒頭に書いた、黒くて丸いタイヤである。中でも4日(金)に多発した「ワケも分からないままの転倒」は、コーナー入口でいつも通りにマシンを傾けたらスカッとグリップを失ってしまうことで、ライダーとしては非常に怖い。
タイヤには適正温度というものがあり、その範囲内でグリップを発揮するように設計されている。量産車用タイヤは、冬から夏まで、そして乾燥路面から濡れた路面までさまざまなコンディションで使われることを想定し、適正温度のレンジは非常に幅広い。
一方レーシングタイヤは、極めて高いグリップを発揮する反面、適正温度もピンピンのシビアさが求められる。温度がバシッとハマッた時にはビシッとグリップするのだが、逆に温度が合わないと全然グリップしてくれないという事態に陥る。
そこで「ワケも分からず転倒」の話に戻るのだが、8月4日のような低温時には、当然、低温でもグリップするはずのタイヤを選ぶ。よく「ソフト」と呼ばれるタイヤだ。よりグリップするよう、タイヤウォーマーでチンチンに温められたソフトタイヤを履きピットアウトするのだが、恐ろしいことに走っているうちにどんどんタイヤが冷えていく。そして、スカッとグリップを失い転倒の憂き目に遭うのだ。
「ちょっと待ってよ。技術の粋を尽くしているMotoGPマシンなら、タイヤの温度センサーぐらい装着してないの?」とお思いの方もいるだろう。ここでちょっと説明を。MotoGPマシンではタイヤの空気圧センサーの装着は義務付けられているが、温度センサーは義務付けられていない。タイヤ温度センサーの存在がはっきり確認されているのはドゥカティとKTMだが、恐らくデータとして集積しているだけで、ライダーに常時伝えるような仕組みにはなっていないだろう。
なぜ空気圧センサーの装着が義務付けられているかと言えば、できるだけタイヤのグリップを引き出そうと空気圧をギリギリまで下げる、というセッティングが横行したからだ。しかし空気圧を下げすぎるとバーストの恐れがあるため、主催者のドルナが空気圧センサーの装着を義務化し、空気圧が定められた範囲内かどうか全車をモニタリングしているのだ。
一方、温度センサーに関しては「各自の自由」。ライダーにとって、タイヤの温度よりも「グリップするか、しないか」の方が問題だ。ただでさえ右へ左へと体を動かし、最近ではボタンをポチポチポチポチ押しながらせわしなくライディングしているのに、「温度なんか教えられても……」と思ってもおかしくない。
ただしドゥカティは、タイヤ温度が高くなりすぎた時にはライダーに警告するシステムを導入しているらしい。タイヤ温度が高くなりすぎると内圧が上がり、接地面が減ってグリップ力が低下する。このことによる転倒リスクを少しでも防ぐためだ。チームからライダーへの愛情とも言える。
タイヤ温度が低くなりすぎた場合も、適正温度から外れるとグリップ力が低化する。今回のイギリスGPにおける「ワケも分からないままの転倒」は、まさにコレだ。しかも内圧不足はバーストを招く恐れもある。ただし、低温側に関しての警告表示という話は聞いたことがない。
タイヤ温度とグリップの関係は、そう簡単に弾き出せるものではないのだ。高温側はまだ多少はデータが揃っているが、低温側はなんとも言いがたい。ライダーの走らせ方やセッティングによって荷重がしっかりかかれば、低温でもグリップすることはよくある。判断ができない情報なら、走行中の忙しいライダーにわざわざ与えなくてもいい、ということだろう。
自分を抑えて走る、いわば心のトラコンを利かせたマルケス
さて、イギリスGPで注目したライダーは、ホンダのマルク・マルケスだ。本人がコメントしていたが、ついに彼も「自分を抑えて走る」ということを実践した(笑)。今までは「転倒上等!」とばかりに常に110%の走りをしていた。それでも心折れずに限界以上の走りをしていたのは本当にスゴイ。しかしイギリスGPではとうとう「99%で走ろうっと……」と、気持ちを入れ替えた。
だが、常に上、上をめざし限界突破が当たり前だったマルケスが、下をめざすのは意外と難しかったようだ。実際には95%まで落としすぎてしまい、ガマンとフラストレーションの溜まるレースになった。結局は転倒リタイヤに終わったが、今までのように110%での転倒とはだいぶ意味が違う。レース後は「これで自信を失うことはないよ」と強調していたが、あたかも自分に言い聞かせているようだった……。
そのホンダだが、アレックス・リンスが’24年にはLCR Hondaを離れ、ヤマハに移籍することが決まった。負傷の後どうしても調子が戻らないフランコ・モルビデリがヤマハと袂を分かつことになり、空いた席に座る形だ。
ホンダとしては、今年唯一勝っているライダーを手放したくなかったはずだ。リンスとしてもホンダで勝てることを証明し、さらに勝ちたい気持ちはあるだろうが、それ以上にヤマハに移籍してでもファクトリーチームで戦うことを選んだ。ファクトリーチームでは、メーカーダイレクトの強力なサポートや、待遇の良さはもちろんのこと、ステイタスという他では得難い栄光が手に入るからだ。
ワタシ自身、GPではスズキのファクトリーライダーとして戦った。素晴らしい経験をさせてもらったことは確かだが、現役時代を振り返ってみると実は成績を残せなかったプロトンKR時代が充実していたことに気付く。
プロトンKRでは、自分たちでゼロからマシンを作り上げていったのだ。とんでもなく苦労したし、思うような成績も残せず、当時はフラストレーションが溜まるばかりだった。でも現役を退いた今となっては、あの時の苦労が自分の糧になっていることが分かる。本当に充実した時間だった。
リンスが早々にホンダのサテライトチームを離れ、ヤマハのファクトリーチームに行くことは、ライダー心理としては当然のことだと思うし、深く理解できる。だが、長い目で見た時にこのチョイスが吉と出るかどうかは、分からない。
リンスはスズキで直列4気筒エンジンを走らせて好成績を挙げたが、ホンダはV型4気筒エンジン。そしてまた来年はヤマハで直4に戻ることになる。これを好機と捉えられるかといえば、これがまた、そう簡単な話じゃない。
直4とV4は、お互いにないものねだりを繰り返しているのだ。直4はV4になろうとして、V4は直4になろうとする。結果として、ふたつのエンジン型式の間はかなり近付いていく……。だからこそリンスはV4のホンダでも勝てたのだし、逆に言えば、ヤマハで直4に戻ったからそれがうまく作用するとは限らない。
新燃料におけるホンダ逆襲のシナリオとは?
将来性という点で、ひとつ言及しておきたい。MotoGPは今後、段階的にカーボンニュートラル燃料(CNF)を導入することになっている。来’24年には燃料の最低40%を非化石燃料にし、’27年には100%完全に非化石燃料にする、と謳っているのだ。
日本では全日本ロードJSB1000クラスや、4輪のスーパーGT500クラスなどでCNFが導入されている。多くのライダーやドライバーは「違和感はない」と言っていたり、タイム自体ほぼ変わらなかったりするものの、ガソリンに比べてCNFは揮発性が低く、燃えにくいと言われている。燃焼効率という点では、まだまだ課題が残されているのだ。
そして、「燃えにくい燃料をいかに燃やすか」という技術においてもっとも頼もしいのは、なんと言ってもホンダなのだ。古くは’72年のCVCCがよく知られているが、現在のF1のパワーユニットを含め、燃焼効率を極限まで高める技術力は、ホンダの強力な武器だ。
MotoGPは燃費の厳しい足かせもあるうえに、極めてバンク角が深いがゆえに超ハイレベルなドライバビリティが求められる。燃えにくいCNFでハイパワーを出し、低燃費を稼ぎ、優れたドライバビリティを持たせられるメーカーと言えば、間違いなくホンダが最有力候補だろう。CNFの導入は、ホンダ逆襲の起点になるとワタシは考えている。
もちろん、未来のことは分からない。でも、CNF導入で勢力図が変わる可能性も考慮しながらライダー移籍の動きを俯瞰すると、なかなか面白い。
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