ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、その当時を振り返ります。2012年、MotoGPクラスは1000ccに排気量が拡大され、同じタイミングでタイヤをワンメイク供給するブリヂストンも、より転倒者を減らすことなどを目的にタイヤの構造変更に挑みました。
TEXT: Toru TAMIYA PHOTO: DUCATI, HONDA, YAMAHA
温まりやすくスライドコントロールがしやすいタイヤを
2012年のMotoGPは、使用するマシンの排気量上限がそれまでの800ccから1000ccに拡大されたことが、もっとも大きな変更点。もちろん各メーカーは、これに対応するため前年からマシン開発を進めており、ブリヂストンもテスト用のタイヤを供給していました。当初、1000cc用のタイヤは800cc用そのままの仕様。これは、排気量が上がってもガソリン容量の問題からピークパワーはそれほど変わらないと予想され、車重も問題になるほど変わらないことが理由でした。実際、一足早く1000ccのテストを開始したドゥカティからも、タイヤに関するネガティブなコメントはとくにありませんでした。
しかし2011年中盤、我々は1000cc用タイヤの構造を変更することを検討しはじめました。これは、よりウォームアップ性とコントロール性に優れた“乗りやすい”タイヤにすることが目的。そのぶん耐久性が若干落ちることが予想されましたが、それでもライダーたちからは、「温まりやすくてスライドコントロール性が高く、あるいはスライドがわかりやすいタイヤにしてほしい」という要望が多くありました。2011年当時のタイヤは、コンパウンドの改良は継続的に実施してきていたものの、コンペティション時代の最終年だった2008年から大きな変更をすることなく使ってきました。競う相手がいないワンメイクになったことで、グリップを上げる必要がなくなったこともその理由。しかし2012年に向けて、転倒者を少なくするために構造まで変更することにしたのです。
リヤの性能が上がればフロントが足りなくなり……
ただし、これには大きな問題もありました。我々が新たなタイヤを開発する一方で、メーカーは1000ccのマシンづくりを進めています。タイヤの仕様を大きく変更すれば、マシンづくりの方向性にも影響を与えるので、メーカーの開発陣やテストライダーを困らせることにもつながります。一方でブリヂストン側としても、1000ccのマシンテストが少しずつ実施されている状況において、どの時点でどのメーカーのデータを開発の基準に使うのかという難しさがあるわけです。それらの課題もあって、2012年シーズンに向けた構造変更は、リヤタイヤのみを対象としました。
そしてこのタイヤを、2011年中盤の1000ccテストに繰り返し導入。リヤの構造を少し変更し、フロントはコンパウンドを若干改良した状態だったのですが、「来季用のスペックはとてもいいから、前倒しして今年中に投入してほしい」という声が上がるほど、各チームからのお墨付きをもらいました。ところが、リヤタイヤの性能が向上したことで、それまで各ライダーからとくに要望がなかったフロントタイヤに対して、「問題はないけど、もう少し乗りやすいとうれしい」という声が上がるように……。バイク用のタイヤは前後のバランスがとても重要で、リヤの性能が上がるとフロントの性能が不足し、フロントの性能が上がるとリヤが不足するということが頻繁に起こるので、これは想定されたことでした。またマシン側の制御が進んだことで、フロントから転倒することが多くなったという事情もありました。そのため、今度はフロントタイヤの構造変更を検討することになったのです。
しかしフロントの変更は、リヤと比べてさらに多くの課題があります。少しでも構造や形状を変更すると、ハンドリングなどの特性に変化が起きやすく、マシンセッティングやライダーの慣れに時間がかかることも多いのです。敏感に影響を与えるので、現状あるマシンのうちこのメーカーには合うけどあっちのメーカーには合わないなんてことが発生しやすく、またコースによっても相性が変わりやすいので評価の結論を出しづらいということもあります。
そのため、テスト禁止期間が明けて2012年1月31日からマレーシアのセパン・インターナショナルサーキットで実施された公式テストでは、リヤの構造のみを前年用から少し変更し、前後ともにコンパウンドを新しくしてよりワイドレンジで作動するように改良したタイヤをメインに供給。それに加えて、フロントのテストタイヤとして、構造が異なるスペックも2種類持ち込みました。我々としては、この新しいフロントタイヤは2012年中盤にかけてテストし、評価が高ければ2013年シーズンから導入するという構想でした。最初の公式テストでは、参加したすべてのライダーに新しいフロントタイヤを渡しましたが、1000ccニューマシンのテストに重点を置いたチームもあったことから、約7割のライダーが新しいフロントタイヤをテスト。多くのライダーとチームから高評価を得ました。さらに2月末から実施された2回目のセパン公式テストでは、1回目にテストできなかった数名のライダーが新しいフロントタイヤを使い、ここでも評価はおおむね良好でした。
あるワークスチームの2名が強硬に反対
ただし、前述のようにフロントタイヤはコースとのマッチングが顕著になりやすいことから、シーズンオフ最後の公式スケジュールとなったヘレスサーキット(スペイン)のテストにもこの新しいフロントタイヤを持ち込み、高温のセパンに加えて欧州の中低温下でも確認評価テストを実施。ここでも、目標としていた温まりやすさやコントロール性のよさ、限界のわかりやすさなどが、我々が用意していた当初の2012年用スペックよりも高いレベルにあると、大多数のライダーが評価していました。
ところが、「新スペックをすぐにでも導入してほしい」というライダーが大勢いる一方で、セパン公式テスト1回目の段階から、チャンピオンを獲得したワークスチームの2名だけがこの新しいフロントタイヤを極端に低く評価。そのうちの1名は、「こんなタイヤ、乗れない」と3周くらいでテストを切り上げてしまいました。他の大多数が高く評価している状況を考えると、いくらマッチングの問題はあるにせよ、そこまで酷い評価にはならないと思うのですが……。恐らく彼らとしては、「悪くはないけど(あるいは従来のフロントタイヤよりちょっといいけど)、ライバルたちのほうがよりタイムアップにつながりそう」というような判断を、チームとしてしたのではないかと推察しています。
いいタイヤであっても、ライバルたちのほうがうまく使いこなせる状況になれば、相対的に自分たちが不利になります。そのワークスチームだけが強硬に新スペックの導入を反対するのは、レースだから当然と言えば当然なのですが、そのままでは話が前に進みません。そこでブリヂストンは、この状況では我々が決定できないとして、新しいフロントタイヤを導入するかどうかの判断を我々以外に委ねることにしたのです。
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