2003年第13戦パシフィックGPの玉田誠選手。ホームグランプリということもあり、決勝レースではトップライダーたちと互角のバトルを展開しながら、表彰台圏内まで追い上げた。
ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。MotoGPクラス参戦2年目となった2003年、ブリヂストンはリオGPで最高峰クラス初表彰台登壇を果たし、その2週間後に地元大会を迎えました。 目次 1 地の利を生かし、決勝を見据えたタイヤで […]