第47回マシン・オブ・ザ・イヤー2019

ホンダコレクションホール20周年特集#22

NSR500の3/4スケール、’87NSR50が走行〈映像あり〉

  • 2019/2/12

【HONDA NSR50(左) 1987年】

2018年7月16日と9月24日、ツインリンクもてぎの南コースでホンダコレクションホール開館20周年記念イベントが開催された。いつもの動態確認テストはレーサーなどが多かったが、今回は20周年記念ということで市販バイク特別走行が実施され、ホンダの黎明期から現在までのエポックメイキングなオートバイが走行を披露した。本稿は、のちにNチビと呼ばれることになるNSR50を紹介する。

WGPレーサー「NSR500」の3/4スケールモデル

1986年にピークを迎えていたスクーターレースの世界に、スズキのGAG(ギャグ)やヤマハのYSR50など、遊び感覚のなかにも本物感をもてるホイール径10インチや12インチのミニバイクが出現し、スクーターレースに代わってミニバイクレースが盛んになる兆しが見え始めた。ホンダは、より本格的なレースを可能とするベースマシンを投入すべく、WGPに参戦の「NSR500」をモチーフとして、他を圧倒する本格スペックを3/4スケールで具現化した。

【HONDA NSR50 1987年】コンパクトなボディサイズながら、高剛性フレームや前・後ディスクブレーキ、フルフェアリング等の本格的装備により、操縦する楽しさを味わえるスポーツバイク。振動を軽減する一軸バランサーを内蔵。■水冷2ストローク単気筒ピストンリードバルブ 49cc 7.2ps/10000rpm 85kg 6段リターン

【復刻インプレ】こりやYSR、問題にならんで

いやぁ~、ええわぁこれ!! 雨の中の試乗やったけど、こりゃYSR、問題にならんで。まず本格的なサスや剛性のあるフレームに前後のディスクが、バッチリとマッチングしとる。この手のバイクやと、ハンドルが切れ込んだりと、その大きさにしたなんらかのリスクをおうんやけど、これにはまったくないでぇ!! 今回はリミッター付やったからストレート中ほどから、エンジンはブリブリいいだしおるけど、それでも42秒70や。こりゃリミッター外したら、YSR80も喰えるかもしれんなぁ。

欲ゆうんなら、対レース用に2~4速をクロスレシオにしてほしいなぁ。それならリミッター付のまんまでも、かなりコーナリングを楽しめるでぇ。NSR500の4分の3スケールやから、あんまりオーバーなアクションをせえへんほうがええ。クイックな操作は敏感に反応するから、スムーズに乗ったほうが速く走れる。ボクのF1と同じ乗り方をすりゃええわけやから、楽しいわぁ。気にいったぁ。水冷やし熱ダレにも強いから、ボク、これで鈴鹿の8時間耐久に出たろうかなぁ……。 ※ヤングマシン1987年8月号より

インプレライダーは大島正選手でコースは筑波サーキット東コースだ。

ヤマハのYSR50(左)と比較テスト中の写真。YSRは同じ12インチで2ストエンジンは7psを誇ったが、空冷で5速ミッションとNSR50に水をあけられていた。

世界チャンピオンを育てたNSR50

NSR50は、「青木三兄弟」との出会いを通じ、各地で盛あがりを見せていたミニバイクレースの世界を大きく変貌させていく。群馬榛名サーキットで、次男の琢磨選手は、ジュニアオープンクラスで3年連続ウイナーの偉業を達成した。三男の治親選手も、キッズクラスで勝利をおさめ、「群馬の青木三兄弟」の名を知らしめた。他のサーキットでも辻村猛、眞子智美、武田雄一、加藤大治郎の各選手がNSR50を駆り活躍。「世界チャンピオンはNSR50に乗っていた」「偉大なライダーはNSR50で育った」といっても過言ではない。

1987年5月頃、ホンダが限界性能確認のために吸・排気系をチューニングしたプロト車を榛名サーキットでテストする青木三兄弟の長男、青木宣篤選手(当時15歳)。「速ェ~!! ぶっちダゼ! こいつは…。と~ちゃん買って」という台詞を語る顔写真が右上だ。

取材協力:本田技研工業/ホンダモーターサイクルジャパン

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いち

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本誌編集長。雑誌は生き残りタイアップ全盛期だというのに、ひとり次期型ネタを嗅ぎまわって反感を買う現代のスクープ魔王。
■1972年生まれ
■愛車:BMW R100GS(1988)