ホンダコレクションホール開館20周年記念イベント

特集:ホンダの歴史的名車バイクが一同に集結【貴重な特別走行映像収録】

  • 2019/1/8

2018年7月16日と9月24日、ツインリンクもてぎの南コースでホンダコレクションホール開館20周年記念イベントが開催された。いつもの動態確認テストはレーサーなどが多かったが、今回は20周年記念ということで市販製品特別走行が実施され、ホンダの黎明期から現在までのエポックメイキングなモデルが走行を披露した。すべて貴重な映像付きでお届けする。

#22:NSR500の3/4スケール、NSR50が走行

1986年にピークを迎えていたスクーターレースに代わってミニバイクレースが盛んになる兆しが見え始めた。ホンダは、より本格的なレースを可能とするベースマシンを投入すべく、WGPに参戦した「NSR500」をモチーフとして、他を圧倒する本格スペックを3/4スケールで具現化した。

#21:世界初ターボバイクの後継機・CX650ターボが走行

GL500(輸出名CX500)をベースに世界で初めてターボチャージャーを装備した量産車であるCX500ターボの排気量を増やし、出力と低・中速回転域でのトルクを向上させた輸出専用モデル。ターボ付きバイク自体は比較的短命に終わったが、この機種を契機にホンダではターボ単体の開発に取り組むこととなり、1988年に4輪車「レジェンド」のウイングターボの開発につながったと言われている。

#20:最速の市販公道レーサー CB1100Rが走行

80年代初頭、ホンダ(HONDA)のステイタスシンボル/ブランドイメージを強固にする旗艦モデルとして開発されたCB1100R。ベストセラーだとかヒットモデルといった方向は眼中になく、ひたすら最高を目指し必ず勝つ…だからこそ値段も性能も、まさに特別なバイクだった。

#19:RV250F?! 世界初の水冷V型2気筒250㏄、VT250F

爆発的に売れた2ストのRZ250に対抗するため、’82年、ホンダは4ストロークV型2気筒のVT250Fを投入する。ホンダには4ストへのこだわりがあった。’79年、2スト全盛のWGPに、ホンダは斬新な水冷4ストV型4気筒のNR500を引っ提げて12年ぶりにカムバック。高成績こそ残せなかったが、そこで得た新技術を元に開発されたのがVTだった。

#18:400cc初のトリプルディスク、スーパーホーク3(SUPER HAWK III)

スポーツライクなホークIII(ホーク3)が一段とグレードアップして登場した。その名も”スーパーホークIII(スーパーホーク3)”。スタイリングは大きな変更はされていないが、ブラックのエンジンやフロントフォークのボトムケース、オールアルミのコムスター、リヤ・コイルスプリングはゴールドで統一され、以前にも増して精悍なものとなっている。※ヤングマシン1980年9月号より

#17:ホンダ初の2スト50ccスポーツ MB50

1970年代後半は、ゼロハンバイク(50ccクラスのスポーツモデル)が長く続いた6馬力時代を終え、各社から6.3psのモデルが出そろった時期だった。MB50は、それまでのゼロハンスポーツが中型、大型モデルのミニチュア版であったのに対し、ホンダ初の2スト50ccロードスポーツモデルとして軽快な操縦性や走行性能を求めた意欲作。燃焼室を集中的に冷却するシリンダーヘッドフィン配置や吊鐘形燃焼室などを採用したクラス最高パワー(7ps)のエンジンを搭載するなど、軽量&高性能モデルにすることを目指して開発された。

#16:ナナハンNo.1モデルのCB750F(FZ)

’70年代を通してカワサキZが世界的に高い人気を誇ったのは紛れもない事実であり、対するCB750フォアが劣勢を強いられたのもまた事実だ。しかしホンダも黙って見ていたわけではなく、’75年には日本初のリッターマシンとなるGL1000をリリース。さらに欧州で人気の耐久選手権にワークスレーサーRCBを参戦させ、これは「無敵艦隊」と呼ばれるほどの強さを誇った。このRCBはCB750フォアを基に開発されたが、そこで得られた成果を市販車に反映させたのがCB750F/900Fである。

#15:量産車世界初 DOHC24バルブ6気筒のCBX(1000)

多気筒化によるエンジンの高出力化は、1960年代の世界GPでホンダが実証していた。多気筒化によりエンジンストロークをショートストロークにでき、さらに1気筒当たりの動弁系を軽くすることにより、多気筒=高回転高出力が可能になったといえる。そして250ccクラスにはRC166という6気筒レーサーを投入し、全戦全勝という圧倒的なパフォーマンス見せつけたのだ。市販車においても’69年にホンダが世界初の量産市販車4気筒マシンCB750フォア発表すると、市場では大排気量多気筒という戦国時代に突入する。すでにリッター4気筒は当然の時代に移り変わり、各メーカーは新しいフラッグシップの模索を開始していくのだった。そして、’78年に満を持してホンダが発表したのが、空冷6気筒マシンのCBXだ。

#14:国内バイクブームの祖、1976年製ロードパル

1958年のスーパーカブC100で原付バイクの決定版を打ち出したホンダであったが、1970年代になるとその効果も一巡し、軽自動車の普及や暴走族の問題、高校生への3ない運動が兆しを見せるなど、2輪市場への不安要素が影を落とすようになっていた。そこで、1972年に2輪車の新たな需要を開拓する企画がスタートし、翌年、NC(ニューサイクル)計画が発動した。この時ターゲットになったのが、主婦層を中心とする女性ユーザー。「バイクのとっつきにくいイメージを排除した、軽快で親近感が持てる乗りもの。自転車に乗れる人なら誰でも生活の足として手軽に扱える、操作性と取りまわし性に優れた、社会に役立つ乗りもの」というコンセプトを具現化し、1976年2月にロードパルは発売された。大胆にもハリウッドでも活躍していたイタリアの女優、ソフィア・ローレンを起用したCMが放送。CM内で「ラッタッタ」と歌われるフレーズから、ラッタッタ=スクーターを含むファミリーバイクの代名詞にもなり、ロードパルの成功に大きく貢献した。

#13:集合マフラーのヨンフォア、ドリームCB400フォア

免許制度改正時期にリリースされ、図らずも「400」の元祖となったのがこのマシン。ナナハンの代名詞となったCB750FOURに続き、CB500FOUR、CB350FOURとホンダは、1972年までに3種類の4気筒CBをラインナップしていた。ところが、350については、コンパクトで扱いやすい反面、加速感が足りない、迫力に欠けるという指摘もあり、インラインフォアの末っ子のあるべき姿を原点から検討し直すことになった。408ccに拡大されたエンジンと4into1集合の斬新なスタイルから人気となったが、デビューの約1年後、1975年10月から400ccまでの中型限定免許が導入され、大ヒットとはならなかった。しかしその後、中古市場で価格が高騰。今に至るまでユーザーの心に残る強いインパクトを放った。

#12:世界初の量産4気筒 ドリームCB750フォア

「CB」の名を世界に知らしめたのが、並列4気筒エンジンを採用したCB750フォアと言えるだろう。’68年10月の東京モーターショーで発表されたCB750フォアは空冷4気筒を搭載して、翌’69年から市販を開始。最高速度200km/hに迫る圧倒的な動力性能や前輪ディスクブレーキなどの先進装備が注目された。同年の鈴鹿の時間耐久レースでは1・2フィニッシュで勝利。’70年デイトナ200マイルレースでも凱歌を上げ、世界的な大ヒットを記録。世界GPを席巻したホンダが、市販車でもNo.1を世界に示した記念碑的モデルだ。

#11:二輪市販車初のDOHCエンジンを採用したCB450

今では日本のバイクが世界中で支持されているが、1960年代の前半まではビッグバイクといえばBSAやトライアンフなど英国製モデルの牙城だった。当時500ccクラス以上が中心のアメリカ市場でCB77(305cc)が最大排気量だったホンダは、真の世界一をめざすべく新型で大排気量のCB450をアメリカ市場に投入した。世界グランプリ参戦で培われたテクノロジーと、高精度の部品を投入したDOHC直列2気筒のハイパワーエンジンを搭載し、500~650ccの英国車を凌ぐ43psのパワーと180km/hの最高速を発揮した。

#10:ホンダ スーパーカブC50、インプレッションも収録

1960年代も後半に入ると、所得水準の向上とともバイクの使われ方も次第に変わってきた。走行速度、静粛性、安全性、操作性に関する要望も、1958年に第1世代のスーパーカブC100が発売された当時とは異なり、OHVエンジンでは動弁系の騒音低減や耐久性向上に限界があると考えられた。そこでエンジンをOHCに刷新し、あわせてデザインやスイッチ類、灯火器類等の見直しを図るモデルチェンジを行うこととなった。1966年に発売されたC50のエンジンは第3世代のベースとなり、72ccや90ccのシリーズのモデルも生産されるようになった。スーパーカブC50は’07年の平成18年排ガス規制対応を経て、’12年に全面刷新されるまで基本的には同じ構造のまま生産され、スーパーカブシリーズの繁栄の礎となった。

#09:ホンダ初のTボーンフレームのベンリイCS90(1964年製造)

1962年、ホンダは日本のメーカーで初めてベルギーに海外現地法人を設立し、10月からスーパーカブC100の派生モデルであるペダル付きモペッド、C310の生産をスタートした。しかしセールスは苦戦し、新しいスポーツタイプのモペッドの開発に乗り出す。軽快なデザインを模索するなかで「Tボーンフレーム」のアイデアが生まれた。リヤフェンダーを本体から分離し、パイプフレームのモデルのようなスポーティな外観を生み出すことに成功。フレーム本体は全周溶接で剛性が高く、また空間を生かした造形美が特徴で、1967年にホンダ2輪車で初めてGマーク(GOOD DESIGN AWARD)製品に選ばれた。

#08:ホンダ ドリームCB72スーパースポーツ(1961年製造)

1959年は、初めてCBの名を冠したベンリイCB92スーパースポーツが発売され、第2回全日本モーターサイクル・クラブマンレース(浅間高原)の125㏄クラスで優勝。さらに250㏄クラスでは、50台限定で販売されたCR71も優勝している。そして、CR71と同等のスペックを引っ提げて1960年11月に発売されたのが、ドリームCB72スーパースポーツとなる。CBの名を冠するモデルとしては2例目となる新たなスーパースポーツマシンは、そのネーミングに相応しい内容を与えれた。「トップで70km/h以下では走れません」のコピーに代表されるように、かなり過激なメッセージを掲げて登場すると、世界中で人気を博し、ホンダも欧米のメーカーから一目置かれるようになった。

#07:ホンダ初のCB、ベンリイCB92スーパースポーツ

CB92は、2ストローク246ccのヤマハYDS-1とともに1959年に国内で初めて発売された、いわばスーパースポーツの草分けで、初めてCBの名がつけられたモデルでもある。同年開催の第2回全日本モーターサイクル・クラブマンレース(浅間高原)で北野元選手が優勝を果たしている。 最高出力15ps/10500rpm、最高速130km/hを誇り、リッターあたり100psを超える高性能を実現。セルスターター採用の他、3段階調整式リヤショックの採用、燃料タンクの形状変更等が実施された。

#06:ホンダ初のモンキー Z100(1961年製造)

レジャーバイク、モンキーの元祖がこのZ100。1958年に発売されたスーパーカブC100のコンパクトで堅牢、扱いやすい特性の小型で高性能な4ストローク50ccエンジンがあって初めて可能となったモデルで、ホンダが1961年に建設した遊園地「多摩テック」の遊具に活用する事も視野に入れて誕生した。多摩テックは、ホンダ独自の思想に基づき「人の自由な移動と操る楽しさ」が持つ喜びや感動を通して、人と人が出会い新しい文化や価値を根付かせてゆくことを使命として運営され、その考えは、現在の鈴鹿サーキットやツインリンクもてぎに継承されている。

#05:ホンダ初の50㏄スポーツ、スポーツカブC110

1959年頃には、ホンダのベンリイスーパースポーツCB92(15万5000円)やヤマハのYDS-1(18万5000円)など、125~250ccクラスのスポーツバイクが人気を博し、地位を確立していた。しかし、これらはかなり高価で庶民の手が届く存在とは言えなかった。そんな時、ホンダは4ストエンジンで他を凌駕する性能を持ったスポーツカブC110を発売したのだ。

#04:ホンダ初代スーパーカブC100、インプレッションも収録

初代スーパーカブはホンダ創業の本田宗一郎氏と藤澤武夫氏が直接開発の先頭に立ったモデル。カブF型の6年後、‘58年に登場したのが初代スーパーカブ・C100型だ。「100」と言っても排気量は49ccで、これは当時のホンダ車の型番が、100番台=50cc、90番台=125cc、70番台=250ccを指していたゆえの命名方法(後に変更)。スカートでも乗れる底床フレームに大型のレッグシールド、自動遠心クラッチにより右手だけで操縦可能な操作系など、今に繋がるカブの基本構造は、そのほぼ全てがC100で採用されたものだ。

#03:ホンダ初のカブ、1952年製造のカブF型

カブF型は自転車の後輪に取り付ける6kgの補助エンジンで、ホンダ躍進の基盤を築いた機種。「白いタンク、赤いエンジン」の愛称で親しまれ、デザインでも人気を博したという。販売方法もユニークで、書類や取り付け金具などを含めたエンジン一式を33×33×60cmの段ボールに箱に収めて自転車店に直販するという方法で、全国にホンダ販売網を築き上げるきっかけとなった。尚、愛称「カブ」の由来は、自由奔放に走りまわる小熊を意味する英語からきている。

#02:ホンダ初の4ストローク、1952年製造のドリームE型

1947年のA型からプロトタイプのB型(1948年)、エンジンに加え自転車フレームも初めて自社製としたC型(1949年)を経て1949年8月に登場したのがドリームD型となる。今では、企業スローガン「The Power of Dreams」やバイク販売店ネットワーク「Honda Dream」などホンダを象徴するキーワードとして耳に馴染んでいる「ドリーム」の命名については記録に残っていない。本田宗一郎氏が「今に世界のホンダになる!」と当時夢のようなことを語っていたからという説や、試作1号機を見た社員たちが思わず「まるで夢のようだ」と口に発し、このモデルに将来の「夢を託そう」としたなど諸説ある。

#01:ホンダ初の製品、1947年製造のModel A(A型)

第二次世界大戦の敗戦から1年後の1946年の夏、ホンダの創業者である本田宗一郎は、早くも復興を目指して旧陸軍の小型発電機用2ストエンジンを改造して自転車に取り付け、自転車補助用エンジンの発売を始めた。販売は好調だったがベースとなる発電機用エンジンの数が約500個と限られていたため、その後も供給するためには、自社でエンジンを開発し生産するしかなかった。そこで誕生したのがMoldel A(A型)となる。ホンダA型は、販売店が自転車に取り付けて販売するエンジン単体の製品で、1947年末に1号機が完成し翌年の3月頃から浜松の野口工場で本格生産がスタートした。当時はまだ原付一種という規定がなかったため、50.3ccという中途半端な排気量を採用していたという。

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カサ

カサ いわゆる"Web担"的黒子

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研二くんのゼッツーに憧れるも手が届かずZ400GPで卒輪(そつりん)した"自二車は中型二輪に限る"世代。あれから30余年を経てまさか再び二輪の世界に触れることになろうとは人生何が起こるかわからんもんだ(笑)