2018年7月16日と9月24日、ツインリンクもてぎの南コースでホンダコレクションホール開館20周年記念イベントが開催された。いつもの動態確認テストはレーサーなどが多かったが、今回は20周年記念ということで市販製品特別走行が実施され、ホンダの黎明期から現在までのエポックメイキングなモデルが走行を披露した。
日本の旗艦が世界を討つ
今から約60年前の1959年は、ホンダがマン島TTレースおよび世界GPに挑戦を開始した年だ。同年、戦後より国民の移動手段として補助エンジンや実用2輪車を製造販売してきたホンダは、ベンリィCB92スーパースポーツを発売。マン島参戦とともに長年の伝統を誇る名ブランド「CB」がここに誕生した。ホンダは戦後の高度経済成長期に最も躍進した企業のひとつ。その技術力は世界屈指といえ、’60年代にマン島TTや世界GPなどで幾多の優勝を獲得した。当時のレーサー達は排気量によって1~6つのシリンダーを持ち、9段ミッションを備えるものまであった。
’65年にはDOHC2バルブヘッドを搭載した2気筒のCB450で英国650cc勢に挑んだが、性能で上回りながら、販売は不振。大排気量のステイタスが求められた。これを受けて’68年10月の東京モーターショーで発表されたCB750フォアは空冷4気筒を搭載して、翌’69年から市販を開始。最高速度200km/hに迫る圧倒的な動力性能や前輪ディスクブレーキなどの先進装備が注目された。同年の鈴鹿の時間耐久レースでは1・2フィニッシュで勝利。’70年デイトナ200マイルレースでも凱歌を上げ、世界的な大ヒットを記録した。
’72年にはカワサキZ1が投入され、大型車市場に拍車がかかる。さらにスズキ、ヤマハも加わり、日本製ビッグバイクは世界のトップブランドに成長していく。そのルーツにホンダCBの名があったことは紛れもない事実なのだ。
“量産車初の直4″を実現した隠れた技術
CBの名を世界に知らしめたのが、並列4気筒エンジンを採用したCB750フォアと言えるだろう。開発がスタートした’67年当時は、MMVアグスタ、ジレラ、ホンダ等のレーサーや限定生産モデルがわずかに直4エンジンを採用するだけだった。CB750フォアは直4バイクの本格的量産化の第1号であり、世界GPを席巻したホンダが、市販車でもNo.1を世界に示した記念碑的モデルだ。
しかし、レーサーの開発手法がそのまま市販車に転用できるわけではなく、クランクシャフトの構造が開発のポイントとなった。当時の4気筒エンジンのクランクシャフトは組立式で軸受けにはベアーリングを使っており、一体鋳造クランクにプレーンベアリングを使った高性能エンジンの例はなかった。そこで当時開発していたF1レーサー等を参考にしながら、信頼性やコストの面でも優れた量産仕様の直4エンジンを完成させたのである。
取材協力:本田技研工業/ホンダモーターサイクルジャパン
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