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1980年の第1回大会にエントリーした際のマシンがドクター須田製だったのに対して、1981年車はスズキ内製だった。これは前年のポールポジション獲得とバイクブームの盛り上がり、さらに女性ライダーというキャッチーな条件が重なったことが理由として考えられる。燃料タンクはアルミ製、カウル/ブレーキ/ステップ/サスペンションはRG500を流用するなど、ほぼワークス仕様。紫外線が当たらない倉庫で保管していたこともあり、カラーリングはオリジナルコンディションを保っていたが、アルミタンクや2本出しマフラーのサビは劣悪だった。高垣さんは当時の仕様を極力維持すべく、外装パーツの再塗装を極力控え、フレーム/エンジン/キャブレターの車検ペイントも落とさず磨き上げた。コース中に響き渡る180度クランク2本出しマフラーのサウンドが最高!