「Z1から始まったカワサキ直4伝説! 」1970年代:Z1前期系の全年式を徹底解説【2輪史に輝く名機たち】

「Z1から始まったカワサキ直4伝説! 」1970年代:Z1前期系の全年式を徹底解説【2輪史に輝く名機たち】

屹立したシリンダーのヘッドから連なる4本のエキゾーストパイプ。いつの時代もライダーの心を熱くする“カワサキの直4”。打倒ホンダを誓って世界に羽ばたいたZ1こと900super4に始まり、兄貴たち憧れのゼッツーに、AMAで大活躍したローソン・レプリカ、世界のミドルと日本の400を牽引したザッパー&FX、そして新たな時代を切り開いたニンジャの水冷直4たち…。一度は乗っておきたいカワサキ直4を紹介する本特集。今回はZ1前期系をお届け。


●文:伊藤康司(ヤングマシン編集部) ●写真:YM Archives

二輪史に輝く名機「Z1」

いまだ絶大なる人気を誇る「Z1」こと、1972年に発売された900super4。後世のビッグバイクのベンチマークとなる名機は、いかにして世に出たのか──。

1960年代、カワサキは650ccバーチカルツインのW1や2ストローク3気筒のマッハIIIで、世界のバイク市場の中心であるアメリカに打って出た。いずれも評価を得たが、米国市場では環境問題の拡大から4ストロークの大排気量高性能モデルの要望が高まっていた。

そこでカワサキは次なる世界戦略車として、水面下で750ccの4ストロークDOHC4気筒エンジンの開発をスタート。この「N600」と呼ばれた研究用エンジンは1968年3月に完成、最高出力はすでに73psを発揮し、開発は順調かに見えた。

ところが同1969年の10月に開催された東京モーターショーで、ホンダが市販量産車で世界初の4気筒エンジンを搭載する「ドリームCB750フォア」を発表。何の前触れもない強大なライバル車の登場は、カワサキにとって寝耳に水だった。

「ホンダを完全に打ち負かすには完璧を期すべし」とカワサキは計画を修正し、開発コードもN600からT103に変更。ちなみにコード名は、大戦時に活躍した零戦のエース機として有名な「V103号機」にあやかった。こうしてカワサキは、絶対に負けられない戦いの火ぶたを切った。

1973 Z1 900super4

当時のカタログ。

打倒ホンダに燃え究極の直4マシンを開発

Z1は「ベスト・イン・ザ・ワールド」のスローガンを掲げ、すべてにおいてCB750フォアを上回るべく開発を再スタート。米国販売拠点のUSカワサキからはV4型やスクエア4、直6エンジンの提案を受けたが、技術陣は機構が複雑になることから直4が最適と判断した。

しかしCB750フォアのSOHCに対し、Z1の直4はDOHCという優位性はあるが、同じ750ccではインパクトが薄れる。そこで排気量を当時のハーレーと同じ903ccに設定して開発を再スタート。後に登場するであろうライバル車を想定し、ボアアップによって1000~1200ccに排気量を拡大できる余裕を持たせた。

クランクシャフトは現在主流のプレーンメタル支持の一体式ではなく、耐久性や当時の整備環境(異物の混入など)も考慮してニードルベアリング支持の組み立て式を敢えて選択。コンパクト化や軽量化より“頑丈さ”を優先した。

反対にカムシャフトは高価なモリブデン鋼を用いて強度を確保し、左右端の軸受け部を減らした。これはライダーの膝との干渉を避けるのと、フレーム設計からの要求。加えてフレームにエンジンを搭載した状態で腰上(クランクケースより上側)の整備を行えるようにしたのもZ1の大きな特徴。

これらの設計によって良好な整備性やチューンナップの可能性を広げたことが、今日のZ1の稼働台数や人気の高さに繋がっているのは確かだ。

車体は900ccの大型車とはいえ、CB750フォアより大きくしないことが絶対条件。そこで当時最良といわれた英国のノートンマンクスの「フェザーベッドフレーム」も参考に設計。ステアリングヘッドから伸びるパイプがエンジンを取り囲み、再びステアリングヘッドに戻る形態のフェザーベッドに、Z1ではさらに背骨といえる補強パイプを加えている。

そしてZ1で絶対にハズせないのが、その端正なスタイリング。燃料タンクはアメリカで人気のティアドロップ型。そこから流れるようなサイドカバーや、長く反り上がったテールカウルなど、車両全体のバランスにとことん拘った。砲弾型のメーターカバーや人気を博した“Z2ミラー”、丁寧に面取りしたクラッチやポイントカバーなどの細部も後世のバイクデザインに大きな影響を与えている。

世界一のパワーを狙いながら、整備性や信頼性に長けたニードルベアリング支持のベアリングや、クロモリ鋼のカムシャフトなど“過剰品質”とも言われたZ1の直4エンジン。

ライダー側に起こしたメーターは斬新な砲弾型カバーを装備し、底板の溶接が目立たないよう内側に追い込んだ“内プレス”の燃料タンクなど、デザインや仕上げにとことん拘る。

T103エンジンの設計目標を記した手書きの性能曲線図。ライバル車のCB750フォアや、後にZ2となる750cc版も比較している。

1015ccにスープアップ

こうして開発コードT103、または“ニューヨークステーキ”のコードネームで呼ばれた新型マシンは、1972年(モデルイヤーは1973年)に900super4として誕生。903ccのDOHC4気筒エンジンは最高出力82psを誇り、CB750フォアの67psを大きく上回った。

そのずば抜けたスペックと併せ、端正なスタイルや“火の玉”と呼ばれる手の込んだカラーリングも大人気を博した。また頑強なエンジンはチューンナップにも適し、ヨシムラやモリワキなど有名コンストラクターや各国のチューナーの手によってレースでも大いに活躍。そして900super4は、熱心なファンが推す人気モデルでよくある“型式呼び”で、正式名称ではなく「Z1」が定着した。

1973 Z1 900super4

カワサキZ1系前期:1973~1978

ちなみに火の玉カラーやブラックに塗装されたエンジンは1972年~1973年のZ1のみ。1974年からはエンジンがシルバー地肌になり、毎年カラーチェンジが施される。またオイル漏れ対策でシリンダーのヘッドガスケットやカムカバーのOリングを変更したり(1974年:Z1A)、耐久性の高いシールチェーンを採用(1975年:Z1B)など細部のリファインも行われた。

そして1976年には基本スタイルを踏襲しつつ外装パーツを一新し、車名をZ900に変更(アメリカ仕様はKZ)。欧州仕様はダブルディスクでブレーキを強化するも、騒音対策でキャブレターを小径化したことで最高出力が1ps低下した(最大トルクも0.2kgf-m減少)。

そのスペックダウンを補うべく、翌1977年にはボアを4mm拡大して排気量を1015ccにアップ。83馬力の最高出力を確保して車名をZ1000に変更した。またマフラーが4本出しから4in2の2本出しに、リヤブレーキがドラムから油圧ディスクになってルックスも大きく変化した。

1978年には操縦安定性の向上を狙ってフロントブレーキのキャリパーをフォークの後方に移動し、フレームも強化。これが“丸Z”の最終形態となった。

【1973 900super4(Z1)】欧州向けにごく少数生産された通称“イエローボール”も人気カラー。

【1974 900super4(Z1A)】通称オレンジタイガー及びイエロータイガー。エンジンがシルバー地肌に。

【1975 900super4(Z1B)】玉虫ブルー及び玉虫マルーンに。サイドカバーのエンブレムを変更。

【1976 Z900(A4)】外装を一新。ダブルディスクになり、キャブを小径化&エアボックス増量。

【1977 Z1000(A1)】排気量を1015ccに拡大。マフラーが2本出しでリヤブレーキをディスク化。

【1978 Z1000(A2)】“丸Z”の最終型。フロントキャリパーの位置を変更し、フレームに補強が入る。

※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。※掲載されている製品等について、当サイトがその品質等を十全に保証するものではありません。よって、その購入/利用にあたっては自己責任にてお願いします。※特別な表記がないかぎり、価格情報は税込です。