パシフィックGPの決勝ゴール直後、チームスタッフから祝福を受ける玉田選手。最終ラップのパッシングシーンが問題視されることなど、微塵も想像していなかったであろう満面の笑みだった。
ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。MotoGPクラス参戦2年目となった2003年、ブリヂストンはリオGPで最高峰クラス初表彰台登壇を果たし、その2週間後に地元大会を迎えました。 目次 1 地の利を生かし、決勝を見据えたタイヤで […]

![2003年、ツインリンクもてぎ・パシフィックGPの玉田誠|山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.21「幻と消えたホームグランプリの3位」](https://young-machine.com/main/wp-content/uploads/2020/07/TAMADA_QUALF.jpg?v=1594290578)




























