“ライダー語”を理解できることが助けになった

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.2「テストライダーとして学んだ“感覚”が、MotoGPへの第一歩」

  • 2019/9/25

ブリヂストンがMotoGPでタイヤサプライヤーだった時代に、その総責任者として活躍。関係者だけでなく一般のファンにも広く知られた山田宏さんが、2019年7月末で定年退職されました。その山田さんに、あんな秘話やこんな逸話を、毎回たっぷり語ってもらいます。今回は、のちのMotoGPタイヤ開発につながる、テストライダー時代の経験談。

TEXT: Toru TAMIYA

摩耗させるために谷田部の高速周回路をひたすら……なんてことも

60歳になった現在でも、仲間と一緒にお遊びレースに参加することもあるのですが、ブリヂストンに入社してしばらくは、バイクに乗る時間が結構ありました。遊びではなく、タイヤのテストをする仕事としてですよ! でも、富士(富士スピードウェイ)を貸切でテストするときなんて、最大でも5名程度が走行しているかどうかという状態ですから、いま考えたらとてもぜい沢な話です。ただ、当時テストでサーキットを走って楽しいと思った事は一度もありませんでした。やはりきちんとした評価をしなくてはならないという事と、限界を掴もうとすればする程リスクが高まるという事でプレッシャーがあったのです。朝目が覚めて雨が降っているとテスト中止で嬉しかったことも数多くありました。テストライダー時代の私の一つの自慢は、10年間やって転倒は2回しかない事です。うち1回はエンジンが壊れての転倒ですから、転ばない自信はありましたね。

谷田部(日本自動車研究所がかつて所有していたテストコース)は当時、いろんなメーカーや雑誌社が使用していたので、あまり走行できる枠を確保できず、早朝5時から2時間だけみたいなテストも多くありました。当時は、車体の安定性向上というのがタイヤに求められる重要な性能で、とくにホンダあたりからはタイヤ摩耗後の安定性についても要望がかなりあったので、摩耗させるためにひたすら谷田部の高速周回路を走ったり……。サーキットと違って景色の変化がないから本当に退屈で、なおかつめちゃくちゃ疲れたという記憶しかありません。

前回お話したように、私は入社当初からタイヤの試験だけでなく設計も担当していたので、テスト走行の結果を受けてタイヤの設計に改良を加える作業を、自分で担当することもありました。当時のタイヤ開発は、設計図を基にまずはグルービング(手作業によりタイヤの溝を掘る工程)でパターンをつくり、実走させてみてウェット性能などを確認してから、モールド(金型)を製作していました。当時モールドの図面は、まだドラフターで手書きしてたんですよ! しかし、走らせてみたらパワーに負けて溝底にクラックが発生したとか、その原因が溝底のR形状にありそうだとかいうのは、実際の工程でタイヤを製造し、これを実車でテストしてみないとわからない部分なので、評価が悪ければテスト後にモールドの改良をしていました。

実際に体感できない現象でも、解決しなければならない

1980年代の市販車というのは、ロードレースでMotoGPクラスが誕生したときと同じように、マシン性能が急激に上がっていった時期。それに伴って、タイヤも未知の領域に入っていきました。OE装着するタイヤを開発するとき、当然ながら我々は従来型のマシンしか使用できないわけですが、これで大丈夫と思って納入したら、車両メーカーからダメ出しをされることもよくありました。ブリヂストンが所有するテスト車両やテストコース、あるいは富士なんかでは、指摘された症状が再現できない場合もあって、そんなときは車両メーカーのテストコースに出向いて手合わせしていました。

計測機を搭載した車両でタイヤをテストする山田さん

でも、それで症状が再現できるときもあれば、まるでわからないときもあったんですけどね。世間がレーサーレプリカブームに突入したある時、某メーカーのテストコースに呼ばれて、「このコーナーを3速全開で旋回すると、ジャダー(タイヤの振動の一種)が出るので改良してほしい!」なんて言われたんですけど、そもそも初めてのコースでいきなりそんな風に走れるわけがない! あの時は、指摘された症状がまるで体験できなかったことを覚えています。ただ、そのコーナーの旋回半径、速度、キャンバー角が分かるし、自分が走った時のフィーリングでその挙動が想定できるので、改良する事は出来るのです。

体感できたか否かは別として、タイヤ開発の経験を積んでいくことで、その症状が設計のどこに起因するのかというのは、予測がつくようになります。あるいはテストライディングしているときも、症状が出始めた段階で、これはこの速度領域を超えたら危険だぞとか……。一例を挙げるなら、ウォブル(車体振動現象のひとつ)が発生するような場合、タイヤを鈍感にすることで力が逃げて、解消される傾向にあります。

英語はまったくできなかったがライダーの言葉はわかった

そんなこんなで、1980年代はテストライディングと設計で、市販車のタイヤ開発に携わってきたわけですが、その経験はレース用タイヤの開発業務に大きく活きました。やっぱりバイクのタイヤ開発というのは、乗ったことがある人でないとわからない部分がたくさんあります。メーカーやライダーから、「あのコーナーでこんな挙動が……」と言われても、バイクに乗ったことがなければピンと来ないはず。設計者としての経験が長ければ、自身に蓄積されたデータから、「こういう挙動を訴えられたとき、タイヤをこう修正したら改善したぞ」というように、バイクの運転経験がなくても理解できるようになるかもしれません。しかしバイクに乗ってテストしてきたことで、私は相手のメーカーやライダーが指摘する挙動そのものを、すぐに理解できました。それをタイヤ設計にどう落とし込んでいくかというのは、また別の経験ですが、まず発生した挙動を理解できるかというのは、とても重要なんです。

山田さんは現在でも、サーキットのファンライドを楽しんでいる

1990年、私はレース用タイヤの開発グループに異動し、まずは全日本ロードレース選手権を担当しました。ちょうどその頃、ブリヂストンがレース活動を強化することになり、その一員として私が選ばれたわけですが、その背景にも「山田は試験をずっとやっていたのだから、レーシングライダーの言っていることが理解できるだろう」というのがありました。

その翌年、TSRのノビー(上田昇)がロードレース世界選手権日本グランプリの125ccクラスにワイルドカード枠で出場して、いきなり優勝したことで、ノビーと一緒にブリヂストンも世界選手権に挑戦することになりました。ブリヂストンドイツのサービスがこれを担当し、ノビー以外にも何人かのドイツ人ライダーをサポートすることが決定。開発の上司はどの開発者に担当させるか悩んだようです。というのも当時の私は、英語がまったくできなかったんです……。

しかし、英語はできるけどレース部門未経験だったもうひとりの開発者よりも、英語ではなくライダーの言葉がわかる私が選ばれました。実車評価を10年やってきた経験がなければ、あのときに選ばれていないわけですから、もしかしたら私がMotoGPに関わることはなかったかもしれません。

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山田 宏

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ブリヂストンでタイヤ開発を経てレース部門へ。ロードレース世界選手権では1991年のWGP125ccクラスへのスポット参戦からMotoGPへのワンメイクタイヤ供給まですべてを統括した。その後は世界耐久選手権シリーズで、ブリヂストンサポートチームの初優勝、初タイトルを見届けた。2019年7月をもって定年退職。視線はモータースポーツの未来へ。