教習所で大型自動二輪免許が取れなかった20年間、400ccこそが現実的に乗れる最大排気量だった。2ストロークの250レプリカも速くて軽くて魅力的だったけれど、やっぱり400の迫力には敵わない! だから僕らはヨンヒャクに乗りたかったんだ!!
●文:伊藤康司 ●写真:ヤマハ
ヤマハも意外とパワー押しだった?
1975年~1995年の約20年間は、排気量に制限のない自動二輪免許は教習所では取れず、運転試験場で一発試験を受けて「限定解除」するしかなく、その合格率は限りなく低かった。400ccが現実的に乗れる最大排気量の時代があったのだ。
しかし、バイクブームの盛り上がりに合わせてメーカーも中型クラスに注力し、250ccと400ccはラインナップも豊富で毎年のようにモデルチェンジ。そして2ストロークの250レプリカは、4ストローク400と遜色ないほど良く走るようになった。しかも250は車検が無く、400ccは車検があるので、コスト的にも250の「お得感」が高まっていた。
とはいえ4ストロークの400は、気筒数やDOHC、バルブ数といったメカニズムがどんどん進化しスペック競争も激化。そしてレプリカブーム後に訪れた「ネイキッド」は、剥き出しのエンジンの迫力も格別だった。400ccの人気の秘密は、こんなところにもあるのだろう。
そこで今回は、ヤマハのヨンヒャクをご紹介。「ハンドリングのヤマハ」は有名だが、当時はパワーにも思いっ切りこだわっていた!?
※基本的に1970年代前半から、免許制度が改正される1995年頃までに国内で販売されたロードスポーツとオフロードモデルを掲載(アメリカンは別の機会に紹介予定)
ヨンヒャク以前の400?
ヤマハで初めて登場した400ccは、トレールバイクのDT400。1975年発売なので免許制度改正に合わせたようにも思えるが、実際は3月発売だったので開発時間を考えると少々微妙……。
遡れば、ヤマハは1968年に発売した2ストローク250のトレールバイクDT1が国内を始めアメリカでも人気を獲得。70年に排気量を拡大した360RT1、71年にRT360、74年にDT360と力を入れ、75年にさらに排気量を増したDT400をリリース。それゆえ、純粋に2ストローク・ビッグオフの進化版と考えた方が自然かもしれない。
2ストのヤマハ!
オン・オフともに2ストロークで技術を磨いてきたヤマハ。ロードスポーツでは初の4ストローク車である650ccの XS-1が出るまでは、GPマシンの技術を投入した2ストローク348cc空冷2気筒のスポーツ350R1から発展したモデルが最大排気量だった。そこからRX350→RD350と進化し、1976年に排気量をアップしたRD400が登場した。
初の4ストローク400、GX400が1977年に登場!
中型クラスは長らく2ストロークで頑張ってきたヤマハが、初めて作った4ストローク400がGX400。GXシリーズの750や500はDOHCだが、400の並列2気筒はSOHCで、180度クランクだがバランサーは装備せず、独特なバイブレーションを発した。
この2気筒エンジンはアメリカンのXS400スペシャルも搭載。そして1982年にXS400スペシャルがDOHCエンジンの新型にフルモデルチェンジし、ロードスポーツのGX400はXS400と名を変えて登場。新エンジンはバランサー装備で振動を抑制した。
とはいえ時代は4気筒ブームでヤマハもXJ400を販売していたため、XS400は当時もかなりレアな存在だった。