
1993年、デビューイヤーにいきなり世界GP250チャンピオンを獲得した原田哲也さん。虎視眈々とチャンスを狙い、ここぞという時に勝負を仕掛ける鋭い走りから「クールデビル」と呼ばれ、たびたび上位争いを繰り広げた。’02年に現役を引退し、今はツーリングやオフロードラン、ホビーレースなど幅広くバイクを楽しんでいる。そんな原田さんのWEBヤングマシン連載は、バイクやレースに関するあれこれを大いに語るWEBコラム。第132回は、Moto2チャンピオンとしてMotoGP最高峰クラスへ乗り込む小椋藍選手に声援を送ります。
Text: Go TAKAHASHI Photo: MICHELIN
開幕までに最低でもあと1秒、トップに近付くならさらに0.5秒
Moto2のチャンピオンになり、来年はMotoGPに昇格する小椋藍くんですが、シーズンが終わってからめちゃくちゃ多忙なようです。何しろ世界一のライダーですからね、そうでなくては困ります(笑)。
最終戦が終わった直後のカタルニアサーキットでは、アプリリアのMotoGPマシンに初乗りしていました。トップタイムを出したアレックス・マルケスとの差は、2.1秒。同じくMotoGP昇格組のソムキアット・チャントラも2.4秒差でしたから、Moto2のトップライダーなら初乗りでもだいたいこれぐらいのタイムは出せるのでしょう。
バルセロナテストでアプリリアのMotoGPマシン「RS-GP」を初ライド。
でも、開幕戦までの間に少なくともあと1秒は詰めなければなりません。そしてトップ争いに食い込むためには、さらに0.5秒を削る必要がある。つまり、現状からあと1.5秒ほど縮めなければならない、ということです。この1.5秒が、どれだけ重いことか……。
これから走り込めば走り込むほど、タイム差はグングン縮まっていくでしょう。でも、変な言い方になりますが、タイム差が縮まれば縮まるほど、その差はどんどん広がっていくんです。サーキットを走った経験のある方ならすぐ分かってもらえると思います。走り始めの頃は、行くたびに10秒、5秒とどんどんタイムを縮められたはず。でも、「あと1秒でトップに手が届く」となった頃には、その差がとてつもなく大きなものに感じられる。
たぶん今の藍くんにとって2秒差は「まだまだ行ける」という感触だと思います。でもこれをどんどん詰めていって「あと0.5秒」となった頃には、トップがとてつもなく遠くにいる感じがするはずです。タイム差が縮まるほど、タイム差は広がっていく。ちょっと不思議ですが、これはモータースポーツに限らず、あらゆるスポーツに当てはまりますよね。限界域での競い合いって、そういうものです。
限界ギリギリ、転ぶ0.1歩手前まで攻める
それにしても、1周3〜4km、コーナーも10個ぐらいあるようなサーキットを2分近くかけて走っているのに、0.5秒しか差がないって、どういうことなんでしょうね?(笑)現役時代は何も考えずに取り組んでいましたが、今、こうして端から見ていると、「とんでもないことをしていたんだな!」と気付かされます。
はっきり言って0.5秒差ともなると、もはや速いだの遅いだのという話ではありません。みんな速い。では何が差を生むのかと言えば、「本当にちょっとした、信じられないほど細かいことを突き詰めているかどうか」。その違いでしかありません。
もはやみんな限界ギリギリで走っています。ちょっとでもブレーキを頑張りすぎると、フロントが切れ込んで瞬く間に転んでしまうでしょう。でも、もう1m奥まで突っ込むのは無理でも、99cmなら大丈夫かもしれない。いや、99.5cmなら……という具合で、ほんのちょっとを突き詰めていく。
マシンセッティングに関しても、ライディングに関しても、すべてをほんのちょっとずつ突き詰めるんです。あまりにも「ちょっと」のことなので、コースコンディションや気候にも大きく左右される。レースは豪快なスポーツに見えるかもしれませんが、実は超が付くほど繊細でシビアな世界です。
先日、とある人とバイクのセッティングについて話す機会があったんですが、どうにも噛み合わない(笑)。「なんでだ……?」と話の内容をしっかり擦り合わせてみたら、センチ単位で話をしていた相手の方に対して、僕はミリ単位で話していた。そりゃ単位が違うんじゃ、いつまで経っても噛み合いませんよね(笑)。
レーシングスーツは50着を作ってもらった中から選んだ
ちょっと変な話になりますが、こんなエピソードもあります。多くのライダーはレーシングスーツの下にインナースーツを着用しています。そして僕は、インナースーツの下には何も履きません。下着のパンツは履かず、ノーパンです(笑)。そういうライダーは、結構多いんじゃないかな。
ノーパン組も、ライダーによって理由はさまざまです。「ごわつくから」とか「動きにくいから」と言う人もいます。でも僕がノーパンだったのは、パンツの厚みの分、リヤが高くなったように感じるから。パンツの生地の厚みが何ミリかは知りませんが(笑)、確実にその分はおしりが上がります。つまり、リヤが高くなる。そうなるとセッティングに影響します。その日に履いたパンツの種類によって厚みが変化する、なんてことになったら、おおごとです。
だんだん思い出してきましたが、装具はかなりこだわりました。レーシングスーツは50着を作ってもらい、その中からベストなものを選んでいました。決勝レースは、その中でもさらに着心地が良いものを着ていました。もちろんメーカーさんはすべて同じように作っているのですが、どうしてもちょっとした差がある。そこが見逃せなかったんです。
グローブやブーツも同じです。特にグローブはハンドル操作というライディングの要に影響しますから、スーツと同じように数十個の中から選びます。当然左右ペアで渡されますが、左右で別々のペアから選ぶこともありました。
なかなか理解してもらえないかもしれませんが、装具だけ取ってみてもライダーの要求はこれぐらいシビア。同じぐらいのシビアさでマシンセッティングをして、レース中は各周で0.1秒差以内に収まるぐらいのコンスタントさで周回しているんです。
周回を重ねるにつれてタイヤは減ってグリップレベルは落ちていきますし、エンジンを始めマシンのコンディションも変わる。ブレーキも刻々とフィーリングが変化する。そして、もちろん自分も疲れる。1周たりとも同じラップはないのに、だいたい0.1秒以内ぐらいに収める。
激しいライディングをしながら、物事の変化を感じ取るセンサーを敏感に働かせなければなりませんし、非常に素早い処理能力や対応力も必要です。MotoGPは年々レースラップが向上している……ということは、20周近くもの間、ものすごい精度の高さでライディングしている、ということになります。
感じ取ったことをチームに伝えるコミュニケーション能力も大切。
最新デバイスは想像もつかないほど複雑で緻密
今のMotoGPは、エンジニアリングも突き詰められており、僕らの現役時代よりもずっと複雑で、なおかつ緻密です。そこへきてさらに、空力パーツやらライドハイトアジャスターやら、僕からすると走りにかなり影響しそうなデバイスが付け加えられている。当然、ライダーが判断しなければならない要素が増える。しかも、精度は恐ろしく高い……。
ホント、見た目にも車高が変わるライドハイトアジャスターなんて、パンツ1枚の厚みにすらこだわっていた昭和のおじさんからすると、とんでもなく巨大な振れ幅です(笑)。トラクションのかかり方など、想像も付きません。
昭和の感覚からすると不自然なほどリヤを沈み込ませながら加速する。左はドゥカティファクトリーチームに加入するマルク・マルケス選手、右は2024年シーズンに最後までチャンピオン争いを繰り広げ、M.マルケス選手をチームに迎え入れる立場になったペッコ・バニャイア選手だ。
アプリリアのマシンも各種デバイスはテンコ盛り。
そしてライバル同士、ギリギリのバトルまで繰り広げるわけですから、本当に今のMotoGPライダーは超人的です。今現役じゃなくてよかったと、つくづく思います(笑)。そういう化け物たちの中に飛び込んでいく藍くんには、敬意しかない。もちろん、彼自身もMoto2でチャンピオンになるぐらいの化け物(笑)。本当にすごい能力の持ち主だと思うし、ぜひとも頑張ってほしいし、期待もしています。
来シーズンのMotoGPは藍くんの昇格を始め、ライダーがかなりシャッフルされるので、見どころが盛りだくさん。カタルニアテストではほんの肩慣らし程度でしたが、2月に行われるマレーシアテストでは、勢力図がかなりハッキリと見えてくるはず。いちレースファンとしては今から楽しみで仕方ありません。
※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
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