元MotoGPライダーの青木宣篤さんがお届けするマニアックなレース記事が上毛グランプリ新聞。1997年にGP500でルーキーイヤーながらランキング3位に入ったほか、プロトンKRやスズキでモトGPマシンの開発ライダーとして長年にわたって知見を蓄えてきたのがノブ青木こと青木宣篤さんだ。ヤングマシン本誌で人気だった「上毛GP新聞」がWEBヤングマシンへと引っ越して早くも8回目、今回も最新MotoGPマシン&MotoGPライダーをマニアックに解き明かす!
●監修:青木宣篤 ●まとめ:高橋剛 ●写真:Michelin
バニャイアは何が上手かったのか
モトGPも2023シーズンが終わり、ドゥカティのフランチェスコ・バニャイアが2年連続でチャンピオンを獲得した。連覇の要因はいろいろあるが、上毛グランプリ新聞はマニアックさが身上。ここではバニャイア戴冠の理由のひとつとして、タイヤの空気圧に注目したい。いかにもマニア向けだ……。
’23シーズンの第9戦イギリスGPから、タイヤの空気圧管理が厳格化された。そして公式なレギュレーションとして、指定空気圧を下回った場合はペナルティが課せられるようになった。これがシーズンの行方にどう影響したか、という話だが、まずはタイヤの内圧について細かく説明しよう。
このレギュレーションは、簡単に言えば「タイヤの内圧を下げすぎるなよ」ということ。つまり、チームとしては内圧を下げたくて仕方がないわけである。それはなぜかと言えば、内圧を下げることには大きなメリットがあるからだ。
一般的な量産車のメーカー指定空気圧は、冷間でだいたい2.5~2.9barとされている。これはふたり乗りや荷物の積載によって大きな荷重がかかったり、長時間にわたって高速走行をしても耐えられるための空気圧だ。
余談になるが、高速走行する時間はサーキットより一般道の方が圧倒的に長い。例えばバイクの本場・ヨーロッパでは、アウトバーンのように速度制限のない高速道路を延々と走ることも想定しなければならないからだ。一方のサーキットは、最高速度こそ高いものの、その最高速度レンジで延々と走り続けることはなく、比較的すぐにブレーキングして減速する。意外かもしれないが、公道用タイヤの方がより高速、かつ、より長時間の走行に耐えなければならないのだ。
さて、低い空気圧でタイヤに負荷がかかると何が起こるかというと、憂慮すべき最悪の事態はバースト──いわゆる破壊である。いざバーストが発生してしまうと、ライダーのスキルや経験ではどうにもならない。ですから皆さん、公道走行時にはしっかりと指定空気圧を守り、常に空気圧チェックすることを心がけましょう。
MotoGPで空気圧引き下げ競争が行われる理由
一方、サーキットではだいぶ事情が変わってくる。グリップ力を高めるために、空気圧を下げるのがごく普通だ。一般的にサーキットではフロントタイヤの空気圧を2.1bar、リヤタイヤを2.2〜2.3barぐらいにまで下げる。もちろんこれはバーストの恐れがある行為であり、自己責任。タイムのためにリスクを取る、ということになる。
これをさらに下げていくのが、モトGPの世界だ。空気圧を下げる最大の理由は、接地面を増やすこと。風船をイメージしてもらえれば分かりやすいが、パンパンに空気が入った風船を机に押しつけてもなかなかつぶれないが、空気を抜けば抜くほどベチャッと机にくっつきやすくなる。接地面が増えればそれだけグリップ力も高まる、という分かりやすい話だ。
先に書いたように、空気圧を下げればバーストの恐れが高まる。だがチームとしてはグリップ力を得るためにできるだけ空気圧を下げたい。この「空気圧引き下げ競争」を抑止するために空気圧をリアルタイムでモニタリングし、既定値を下回った場合はペナルティを課すことにしたのだ。モトGPではフロント1.9bar、リヤ1.7barが最低値とされているが、これは相当に低い数値。グリップレベルの要求と安全性のギリギリの線を狙っていることが分かる。
’23シーズンは、1回目の違反で警告、2回目は3秒加算、3回目は6秒加算、4回目が12秒加算のペナルティが課せられることになっている。第17戦タイGPではアプリリアのアレイシ・エスパルガロが3秒加算されて5位から8位へ、最終戦バレンシアGPではドゥカティのファビオ・ディ・ジャンアントニオがやはり3秒の加算で3位から4位に降格となっている。
……よくない! 元モトGPライダーの立場から言わせていただけると、これは非常によくないレギュレーションだ。というのは、タイヤの空気圧はとてもシビアかつあまりにも繊細なもので、ちょっとしたことですぐに上下するからだ。
走行前の、いわゆる冷間時にはタイヤにあまり空気を入れない。走行による発熱と、それに伴っての空気圧上昇を見越すので、冷間時の空気圧はだいたい1.2bar程度しかない。それが見込み通りに最低空気圧以上に高まるかは、かなり読みが難しい。
タイヤの空気圧は気温や路面温度の影響をモロに受けるし、ライディングスタイルにもよる。なんならスムーズなライディングをするライダーほど空気圧は下がりやすい。それこそ気温や路面温度によるが、スムーズにコーナーを立ち上がってストレートを走っているだけで空気圧は下がりかねない。
では、とアグレッシブに走れば、今度は空気圧が上がりすぎる。今のモトGPマシンは、空気圧が2.1barを越えると警告が表示される。転倒の恐れが高まるからだ。これも余談だが、モトGPマシンのホイール塗色は黒が基本だったが、最近は白やメッキも散見される。これは空気圧の上がりすぎを抑制するため、と言われている。ホイールの色も影響するほどシビアなのだ。
空気圧の変動を感じ取るライダーとは
空気圧が下がりすぎるとペナルティを課せられ、上がりすぎると転倒する。空気圧をコントロールしながら走るなんていう至難の業が、ライダーには求められている。ちょっと想像できないほど難しいことなのだが、それをやってのけたのがバニャイアなのだ。
最終戦バレンシアGPで、バニャイアはいったんKTMの後ろに下がった。それで空気圧を落ち着かせてから、スパートをかけたのである。バニャイアのコメントを聞いてると、どうやら空気圧の変動を手応えとして感じ取っていたらしい。ス、スゴイ……。
しかもバニャイアは、1周ごとのタイヤの消耗度合いまでも正確に把握できているようなのだ。(ほぼ)完璧にタイヤマネージメントできるからこそ彼はレース終盤に強いし、シーズンを通して有利に戦いを進められる。それが王座につながった、というわけだ。
もちろんチャンピオン獲得にはさまざまな要因があって、タイヤマネージメント能力がすべてとは言い切れない。しかし、同一メーカーによるワンメイクタイヤが長く使われれば使われるほど、タイヤの使いこなしの重要度が高まるのは間違いない。圧巻の速さと勢いを見せつけたホルヘ・マルティンの猛追をバニャイアがギリギリしのげたのは、彼がミシュランマスターだったからだ。
バラつきのなさが生むスポーツ性か、空気圧の戦略が生むエンターテインメント性か
さて、このタイヤ空気圧によるレギュレーションを「よくない!」と断じたのは、そこまでの精度をライダーに求めるのはあまりにも酷すぎるからだ。レースではスタートからゴールにかけて気温や路面温度は変動するし、ライバルとのバトルによってラインも変わればスロットルを開けるポイントも変わる。そんな中でバニャイアがやってのけたような的確なタイヤマネージメントを強いるのは、現実的には不可能に近い。
もちろんバニャイアはやってのけたわけだし、「それが今のモトGP」と言ってしまえばそれまでだ。しかしライダーの立場からすれば、「空気圧が低くてもバーストしにくく、高くても転倒しにくいタイヤを開発してくれよ……」と言いたくもなるだろう。
実際、昨今は空気圧やタイヤ性能のばらつきについて、ライダーからのコンプレインが多く聞かれる。ミシュランとしても頑張りどころだ。……と、言いつつですね……。空気圧に関する「悪しき」レギュレーションやタイヤ特性がレースを面白くしているのも確かなのだ。
ミシュランの前にモトGPタイヤのサプライヤーだったブリヂストン時代、特に後半は、表立ったタイヤ問題は少なかったように思う。だが、今ほどスリリングなレース展開もあまり見られなかったのではないだろうか。一本調子と言うべきか、ライダーは最初から最後までとにかく全力で走るだけ。みんながみんなめいっぱいなものだから、そのレースで速かったライダーがぶっちぎりで勝つ、という実にシンプルな展開が多かった。
転倒の多発や、ましてやバーストなどはまったくいただけない事態だし、ライダーとしてはタイヤマネージメントなど考えずに思いっ切り全力で走り抜けたいだろう。その方がスポーツ性は高いとも言える。しかし、レース展開を最後まで面白くすることも興行としては不可欠。タイヤを軸にした頭脳戦のおかげでライダーはペース配分せざるを得ず、それがレースを飽きさせないものにしているのも事実なのだ。スポーツ性か、エンターテインメントか。ドルナには絶妙な舵取りが求められている。
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