ドンと分かりやすい大きな技術的なトピックスから、傍観者には見えにくいミクロなステップへの転換。先鋭化した技術が分かりにくくなるのは、モトGPに限らず、成熟した技術カテゴリーの宿命と言える。
しかし、ミクロなステップだからといって、その意義もミクロになるわけではない。桒田が言う。
「重箱の隅をつつくような開発は、技術的にも非常に重要だと考えています。ビッグステップで脚光を浴びることも大切ですが、重箱の隅をつつくような微細さの中にも、超えるべき限界があるんです」
あくまでも例えだが、50kgのエンジンを49kgにしたところで、傍目にはその差はほとんど分からないだろう。しかしエンジニアリングからすれば、既存の常識に囚われていては成し遂げられない大ごと、という理解になる。
1kgもの軽量化は、素材、形状、製法など、ありとあらゆる角度から検討し、常識を打ち破りながら越えていかなければならない高い壁だ。
これと同じことが、モトGPマシンの全面で起こっている。もはや壁だらけ、と言ってもいいほどだ。
ここで非常にやっかいになるのが、「常識」だ。メーカーが長い時間をかけて蓄積した技術的ノウハウ──メーカーそれぞれの常識──は、貴重なリファレンスになると同時に、重い足かせにもなる。
人の歩き方にはクセがある。今や生体認証技術にまで応用されている、固有のクセ。人は、自分の歩き方でしか歩くことができず、変えることはほとんど不可能だ。
人の集合体であるメーカーにも、同じことが言える。スズキにはスズキの、ヤマハにはヤマハの、そしてホンダにはホンダの伝統的な「やり方」があり、それは強固な基盤となっている。
殊にヤマハやホンダは、グランプリで強かった時代を経験している。勝利の甘美な記憶は強くメーカーに根を張り、常識という名で隅々まではびこる。
しかも、グランプリマシンはプロトタイプとして各メーカーがアップデートを繰り返しながら熟成させてきたものだ。完全にリセットすることは、人が生まれ直すのと同じレベルで、まったく不可能な行為、ということになる。「常識を打ち破れ」と言うのは簡単だが、実行するのは並大抵のことではない。
ホンダがもがき苦しんでいるのは、まさにここだ。
「’22年型では、今までの殻を壊しました」とRC213V開発責任者の山口が言えば、「壊し過ぎちゃったんだよね」と桒田が苦笑いする。
自分たちの常識を覆すために、ビッグステップを踏んだマシン開発を行った。傍目には分からないまでも、極めて大きな変化が起きている。
その結果、マシンを運用するために自分たちが積み重ねてきたノウハウ自体が、通用しない部分が出てきた。あるいは、今までとは逆の考え方をする必要も。
何が通用するのか、何が通用しないのか。自分たちが造ったマシンの使いこなしがままならない中で、空力パーツや車高調整機構といった他メーカー由来のトピックスも追いかけなければならない。
これが桒田の言う「迷走」の内訳だ。自分たちの常識を壊すべく、重箱そのものを大きく変化させたがゆえの、生みの苦しみである。
’23年2月のマレーシアテストの現場で、桒田は「いろいろな影響や、行き過ぎや、不足が多々噴き出している。それがまだ止まっていない感じです」と振り絞るように言った。胎動とは、かくも苦しいものなのだ。
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