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[画像 No.5/8]編集者の執念に応えることは最高のPR活動【ホンダ高山正之のバイク一筋46年:第7回】

ホンダ高山正之のバイク一筋46年|編集者の執念に応えることは最高のPR活動【ホンダ高山正之のバイク一筋46年:第7回】
’98年2月号「夢に挑む」の番外編に登場いただいた河島喜好氏。1947年に入社し、マン島TT参戦の監督などを務めた後、’73年10月に45歳の若さでホンダの2代目社長に就任した。写真のドリームE型(’51年10月)に搭載されている4ストロークOHVエンジンは河島氏が設計したもので、当時のホンダの経営を支えた製品だった。
ホンダ広報部の高山正之氏が、この7月に65歳の誕生日を迎え、勇退する。二輪誌編集者から”ホンダ二輪の生き字引”と頼りにされる高山氏は、46年に渡る在社期間を通していかに顧客やメディアと向き合ってきたのか。これを高山氏の直筆で紐解いてゆく。そして、いち社員である高山氏の取り組みから見えてきたのは、ホンダというメーカーの姿でもあった。連載第7回は、二輪系の書籍/雑誌編集者との関わりについて振り返る。 […]