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[画像 No.3/7]強いホンダを見てもらう新たな試みを青山から発信【ホンダ高山正之のバイク一筋46年:第5回】

ホンダ高山正之のバイク一筋46年|強いホンダを見てもらう新たな試みを青山から発信【ホンダ高山正之のバイク一筋46年:第5回】
ヤマハが満を持して鈴鹿8耐にワークスマシンFZR750を持ち込んだ翌1986年は、ホンダRVF750(NW1C)が圧倒的な速さを見せつけ、W・ガードナー/D・サロン組がポール・トゥ・ウィンを達成。ヤマハのK・ロバーツ組は転倒リタイヤ、同社もう1台の平忠彦組はエンジンブローに見舞われた。
ホンダ広報部の高山正之氏が、この7月に65歳の誕生日を迎え、勇退する。二輪誌編集者から”ホンダ二輪の生き字引”と頼りにされる高山氏は、46年に渡る在社期間を通していかに顧客やメディアと向き合ってきたのか。これを高山氏の直筆で紐解いてゆく。そして、いち社員である高山氏の取り組みから見えてきたのは、ホンダというメーカーの姿でもあった。 連載第5回は、ウエルカムプラザ青山での鈴鹿8耐生中継、F1ブーム時 […]