元MotoGPライダーの青木宣篤さんがお届けするマニアックなレース記事が上毛グランプリ新聞。ヤングマシン本誌で人気だった「上毛GP新聞」がWEBヤングマシンへと引っ越して、新たにスタートを切った。1997年にGP500でルーキーイヤーながらランキング3位に入ったほか、プロトンKRやスズキでモトGPマシンの開発ライダーとして長年にわたって知見を蓄えてきたのがノブ青木こと青木宣篤さんだ。最新MotoGPマシン&MotoGPライダーをマニアックに解き明かす!
●監修:青木宣篤 ●まとめ:高橋剛 ●写真:Red Bull
2つの仕様のマシンを走らせるという異例
はい、上毛グランプリ新聞です。今回も、超マニアック全開で飛ばして行きます。ホンダはかつて、2仕様のMotoGPマシンを作っていた。……という話をすると、のっけからかなりの説明が必要になるが、まぁのんびりとお付き合いください(笑)。
現在のMotoGPに参戦しているのは、5メーカーだ。ホンダ、ヤマハの日本勢、そしてドゥカティ、アプリリア、KTMのヨーロッパ勢である。各メーカーは、基本的に複数チームにマシンを供給している。
各チームはそれぞれ2名のライダーを擁しているから、各ライダー用として2台のマシンを走らせるのが通例だ。現在のところ、ホンダ、アプリリア、KTM(サテライトはGAS GASを名乗る)が各2チーム・4台、ドゥカティは4チーム・8台、ヤマハは今季からサテライトチームを廃止し、1チーム・2台となっている。
そして、これはあくまでも原則論だが、各メーカーはそのシーズン用のマシンとして、1仕様のマシンを用意する。現在、各メーカーのファクトリーチームは2023シーズン用に作られた1仕様のマシンを使っており、サテライトチームは前シーズンの仕様か、2023シーズン用に準ずる仕様のマシンを使っている。ただし、ここから先は話が煩雑になるのを防ぐため、ファクトリーチームに絞って書き進める。
詳しい方なら、「いやいや、同メーカーの同ファクトリーチームでも、ライダーによって仕様は違うじゃないか」と思うだろう。もちろんライダーの好みに応じて細かな変更は施されている。だが、それはサスペンションセッティングやポジション合わせといったレベルの微細な違いに過ぎず、根本的には同じマシンと言っていい。
例えば、よく話題になるフレーム。「誰ソレ用のフレーム」なんて言い方を耳にすることもあるが、それは実際にはあり得ない。というのは、MotoGPマシンはキッツキツのギッチギチに攻めた設計となっているため、そう簡単にはバリエーション展開ができないのだ。
もちろん、ライダーの好みに応じてフレームも微細な変更は可能だが、基本形状は同じだ。もし仮にライダーによってフレームの形状が違えば、それに合わせてエアボックスの形状が変わり、ラジエターの形状も変わる。カウルの取り付けもシートカウルも、すべてを変更する必要が出てくる。当然、ジオメトリーにも影響するし、ハンドリングを大きく左右するエンジン搭載位置も共通というわけにはいかなくなる。つまり、1台1台完全にゼロから新設計になってしまうのだ。
「世界最高峰のプロトタイプマシンで競われるレースなんだから、それぐらいやれよ」と思うかもしれないが、いやいや、ライダー各人に完全に合わせてゼロから作っていたら、とてつもないコストがかかる。先に挙げたのはフレームの例だが、エンジンにしても同じ。個々人への合わせ込みには限界があるから、基本的には1仕様と思っていい。
いくらレースとはいえ企業活動の一環だから、無尽蔵無条件にお金を使えるわけじゃない。ということで、そのシーズン用のマシンとしては、1メーカー1仕様。それを可能な範囲で微調整しながら各ライダー用にアジャストする、というやり方が普通なのだ。
そしてようやく話は冒頭に戻る(笑)。ワタシがMotoGP参戦経験の中で知り得た情報や、パドックで関係者たちに聞いた話や、現場で実際に起きていることを照らし合わせると、ホンダは完全に別系統の2仕様のMotoGPマシンを作っていたようなのだ。
『規格外の超天才』という甘い蜜
情報をまとめると、恐らく2014年あたりから、ホンダはマルク・マルケス用と、それ以外のライダー用という2種類を作っていたと思われる。よく「マルケス・スペシャル」などと言われるが、それがどうやら根本からの仕様違いとして用意されていたようだ。
これがどういう意味を持つかは、ここまでの話で分かっていただけるのではないかと思う。1仕様のマシンを微調整するのではなく、完全に別のMotoGPマシンを2仕様用意するというのは、とてつもないことだ。開発の実態を考えると、予算規模も人員数もハンパない。
しかし、2013年にMotoGPにデビューしたマルケスは、いきなり大活躍してみせた。全18戦中で6勝を含め16度も表彰台に立ち、文字通りの圧勝でタイトルを獲得したのである。MotoGPは各国から天才ライダーを集めて競われるレースだが、マルケスはその中でも規格外の超天才だったのだ。
だが、マルケスには問題があった。
実はワタシの中で、規格外の超天才はもうひとりいる。ケーシー・ストーナーである。ストーナーは、どんなマシンでも乗りこなしてしまう。彼は’07〜’10年にドゥカティに所属したが、その時代のドゥカティは今とは比べものにならないほどひどい出来栄えだった(苦笑)。
ガチガチのフレームにピーキーなエンジンは、極めて乗りにくかったはずだ。にも関わらずストーナーは、チャンピオン1回、ランキング2位が1回、そしてランキング4位が2回と目覚ましい成績を収めたのだ。
ちなみに、その様子を見たバレンティーノ・ロッシが「それじゃオレもいっちょ伝説を作るか」とヤマハからドゥカティに乗り込んだものの、2シーズンを過ごして1勝もできなかった……(今のドゥカティの躍進につながる基盤は作ったが)。
ストーナーは、とんでもない出来栄えのドゥカティで活躍した挙げ句、’11年にホンダに移籍するや、いきなりチャンピオンを獲得した。この人は本当にマシンを選ばない。というより、マシンに対する本人の意思や希望はなかったのだと思う。「ブレーキ利く? エンジン走る? あっそ。じゃ、あとはオレが何とかするわ」というタイプだったのだ。
メーカーからすれば、こんなにおいしい話はない。優勝請負人としてストーナーを招聘さえすれば、チャンピオンを獲ってくれるのだから。だが、同じ超天才というジャンルにいても、マルケスは真逆だ。とてつもない身体能力と反射神経の持ち主ゆえに、マシンにも彼のフィジカルに見合うだけの特殊性を求めた。
これは、メーカーとしては大きな問題だ。基本的には1シーズンを1仕様のマシンで賄うつもりでいたところに、特殊なマシンを得ることでとんでもない成績をもたらすマルケスが登場したのである。
マルケス加入当時のホンダには、ダニ・ペドロサという「普通の天才」がいた。ペドロサは、普通の天才なら誰でも乗れるマシンを求めた。いたって普通の流れである。だが、マルケスという超天才の甘い蜜を知ってしまったホンダは、「ここは1発、予算をかける価値あり!」と判断し、マルケス仕様のマシンを用意することにした。
その効果は極めて大きかった。デビューイヤーの’13年に続き、’14年、そして’16〜’19年とマルケスとホンダは世界の頂点を欲しいままにした。だが、その水面下で、ホンダはマシンを1仕様にしていた。その理由は明確には分からないが、予算の問題と考えるのが妥当だろう。マルケスが確実にチャンピオンが獲れるなら、1本化して効率を高めるという考え方は、何らおかしいことではない。
ペドロサの引退を早めたかもしれないマルケス仕様
いろいろな情報をまとめると、恐らく’18年頃から1本化が進められたようだ。普通の天才であるペドロサは、’17年はランキング4位だったが、’18年にはランキング11位と急落し、現役を引退している。たび重なったケガの影響は間違いなくあっただろうし、年齢的な衰えも多少は感じていただろう。
しかし今年、KTMの開発ライダーとしてワイルドカード参戦したペドロサが上位で活躍したことを見ると、5年前のペドロサのフィジカルに致命的な問題があったとは考えにくい。ペドロサが引退したのは、ホンダのマシンがマルケス仕様1本に絞られてしまい、思うように走れなかったことの方が大きかったのではないかと思う。
マルケス仕様のマシンは、ヘッドパイプまわりが強烈に硬い。その硬いヘッドパイプをしならせられるぐらい強烈にブレーキングしないと、フロントからのフィーリングが得られない。しかし普通の天才たちには、そこまでのハードブレーキングはできない。そして今はその1仕様しかないから、ホンダの普通の天才たちは苦戦している。
長くホンダに乗っている中上貴晶くんも、ジョアン・ミルも、アレックス・リンスも、うまく乗りこなせない。しかし、もがき苦しんでいるのは、彼ら普通の天才たちだけではない。超天才のマルケス自身も、完全本調子とはいえないのだ。バシッと決まれば表彰台を争う位置を走るものの、かつてのような「こいつ絶対勝つな?」という迫力は失われている。
マルケスは、圧倒的な身体能力と反射神経で、世界の頂点に立った男だ。しかしそういう脊椎反射的なライディングは、さすがにそう長くは続けられない。負傷の影響もあるだろうし、年齢もあるだろうし、マルケスといえども徐々に普通の天才になりつつあるのだ。だから、他の普通の天才たちと同様に、超天才時代の仕様を乗りこなせなくなっている。過去の自分に追いつけず、イメージと合わずに戸惑っている状態だ。
ホンダも困っている。マルケス1本に絞ったのに、マルケス自身の変化や技術トレンドの変化もあって、マルケスのスイートスポットがまったくつかめない。ホンダもマルケスも、当然返り咲きを狙っている。せめてチャンピオン争いには加わりたいだろう。だが、あまりに孤高の存在であるがゆえに、立て直すにあたって参照すべき前例もなく、お互いに困り果てているのだ。
孤高すぎた超天才ゆえの孤独
イタリアGPではマルケスとホンダ上層部が直談判し、マルケスがホンダに対して相当なプレッシャーをかけたとされている。その後、オランダGP決勝を欠場したこともあり、「いよいよマルケスがホンダを離れるのではないか」という憶測がまことしやかに飛び交っている。しかし、話はそう簡単じゃない。
もしマルケスがホンダを離脱し、他メーカーに移籍したとして、どこがマルケスの超天才性を理解し、それに見合うだけのスペシャル仕様を用意できるのか、ということなのだ。どのメーカーも普通の天才を擁しながら、普通の天才でも勝てるマシンを作り続け、ようやくまとまってきたところだ。
そこへ、ちょっと先行き不透明な超天才がフラリと現れても、恐らく対応し切れないのではないかと思う。ホンダのように別に1仕様作ることはコスト面からも現実的ではないし、かと言って今、他メーカーにはマルケスの走りに応えられるマシンはない。
ホンダもどう取り扱えばいいのか分からず、他メーカーでの再起の夢を見ることもできない。マルケスは今、完全に八方ふさがりの状態だ。あまりに突出した能力を持つライダーは、こんなにも孤独になってしまうのかと驚いてしまう。
過去に、こんなライダーは見たことがない。天才性という点ではフレディ・スペンサーの名も思い浮かぶが、彼もどちらかといえばストーナーと同類で、何でも乗りこなしてしまうタイプだ。マルケスのように、マシンに特殊性を求めるほど、ズバ抜けた身体能力の持ち主というわけではなかった。
あまりにも孤独な、マルク・マルケス。孤高すぎた超天才は、ただの時代のあだ花なのだろうか? ワタシはそう思わない。というのは、彼の登場以前と登場以降では、ヤング&キッズライダーたちの走りがガラリと変わっているからだ。
若い彼らの練習を見ていると、ヒジ擦り、スライドは当たり前、フロントが切れ込んで転びそうになっても、どうにか操作して立て直してしまう。超天才マルケスをベンチマークにし、目標にしているから、極めて高いレベルでライディングしている。
あと何年か経てば、マルケスすら踏み台にして、マルケスを超越した超々天才ライダーが登場するかもしれない。そう思えば、マルケスの孤独も浮かばれるというものだ。
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