ブリヂストンのMotoGPクラス挑戦が、地元の日本ではじまった。ゼッケン17がカネモトレーシングのユルゲン・ファンデン・グールベルグ選手。 最後尾一歩手前の20位に沈み、決勝はリタイア。この段階ですでに、うっ憤は溜まっていた。 ※タイトルカットは第3戦ヘレス
ブリヂストンがMotoGPでタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。2002年、ブリヂストンはロードレース世界選手権最高峰クラスに参戦開始。しかしそのシーズン序盤、待ち構えていたのは数々の試練と“事件”だったのです。 目次 1 開幕戦鈴鹿の日本GPでは地の利の生かし、青木宣篤選手が決勝 […]

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